第55話 学校帰りと商店街
「はぁ~、お腹すいたー」
高校からの帰り道。商店街に漂う美味しそうな匂いにつられて、華が物欲しそうに言葉を放った。
華達が通う桜聖高校は、今まで通ってきた中学校とは全く逆方向に位置する。自宅マンションを中心に考えると、中学校は自宅から右手に徒歩15分程の距離にあるが、高校は左手に徒歩20分程。
そして、高校の帰りには、様々な飲食店が立ち並ぶ商店街を通らなくてはならないため、お腹が空いた頃の学生には、なかなかハードな帰宅経路でもあった。
「やっぱり、学校帰りに商店街通るのは、キツイよねー」
「いま食べたら、確実に太るぞ」
「もう、分かってるよ!」
商店街の中を進みながら、華と蓮はいつも通りの会話をする。
二人でこうして帰るのも、かれこれ小学校の頃からなので、それを考えると長いことこの習慣を続けていることになる。
中学で部活でも始めていたら、また違ったのかもしれないが、二人とも帰宅部で、そのためか不思議と友達と帰ることもなく、むしろここまでくると、一緒に帰らないのも不自然にすら感じてくるくらいだ。
「そういえばさ、華は部活とか考えてる?」
すると、ジューシーな香りのする唐揚げ屋さんに視線を流しながら、蓮が何気なしに問いかけてきて、華は、部活かーと、一声唸りながら答える。
「どうしようかなー。蓮は? なにか考えてる?」
「俺、中学で一緒だった先輩から、バスケ部誘われたんだよね」
「へ~いいじゃん、バスケ。中学でも、たまにスケットで入ることあったし」
「……まーそうだけど、華はどうすんの?」
「うーん……私はまた帰宅部でもいいかなー」
「そう……」
「? なに? なんか乗り気じゃないみたいな? あ!? 私に気を使ってるんなら、全然気にしなくていいからね!」
「……」
「別に一人でも帰れるし、やりたいことあるならした方がいいよ!」
「……」
いつもの無邪気な笑顔を浮かべて華がそう言うと、蓮は「そう……」と小さく相槌をうったのち、また視線をうつした。
「あ! そうだ!」
すると、なにか思い出したのか、華が少し大きめの声を上げた。
「この前、葉月から聞いたんだけど! アンタ、私のこと女捨ててるって、触れ回ってるって本当!?」
「あー」
「あーじゃないでしょ!? なに、テキトーなこと言ってんの!?」
「テキトーじゃないだろ。俺はただ、事実を正確に伝えてるだけ」
「事実!? 私のどこが女捨ててるのよ!?」
「だってお前、兄貴に甘えてばっかりじゃん。料理もできないし」
「できるよ! カレーとか、スパゲティとか!」
「そういう、女子が作れて当たり前みたいなやつじゃなくて、煮物とか煮魚とか、そんな感じの家庭料理のこと」
「っ……それは、今から覚えます! てか、蓮だって飛鳥兄ぃに甘えてるじゃん! この間は、シャツのボタンつけてもらってたし! ボタンくらい自分でつけなさいよね!」
「俺、裁縫とか苦手なんだよ! それに華に頼むより、兄貴の方が上手いし!」
「はぁ?! なにそれ!!」
蓮の言葉に華が甲高い声を上げると、二人はひたすら言葉で衝突する。だが、それもしばらくしてやむと、相変わらず兄に頼ってばかりの自分たちに、双子は深く深くため息をつく。
「はぁ、ていうか、ホントダメだな俺たち。兄貴のためにも、早く大人にならなきゃいけないのに」
「だよねー……いつまでも甘えてちゃいけないのに」
あの兄が、彼女も作らず、いつも自分たちと一緒にいてくれるのは、自分たちが兄にとってまだ”頼りない存在”だからだと華と蓮は思う。
だからこそ、兄に心配をかけないように、少しでも大人に近付こうと頑張っているはずなのに、なかなかこの甘え癖は抜けないものだった。
「てか、料理の話したら、マジで腹減ってきた」
「飛鳥兄ぃの煮魚、美味しいもんねー」
「言うなよ。喰いたくなってくるだろ」
「だって……」
「やぁ、飛鳥ちゃん!! 今日も美人だねー!」
「「!?」」
瞬間、前方に見えた一軒の魚屋から、意気揚々とした男性の声が響いた。
そして、その言葉の中には、二人にも聞き覚えのある『名前』がしっかりと混じっていて……
「やだなー、おじさんも相変わらずだね♪」
「飛鳥ちゃん、最近はどうだい?」
「うん……せっかく帰ってきた父も、また海外にいっちゃったし、高校生になったばかりの
「あぁ、そうだよな~。下の
「え? いいの~♪」
((あ、悪魔が……悪魔がいたいけな店主タブらかしてる!!!))
目の前に見えた魚屋には、これまた見覚えのある金髪碧眼の美少年が、にこやかに笑っていた。
しかも、その人物はあろうことか、その店の店主から立派な鯛を一匹、しっかりと巻き上げているではないか!?
「ありがとう、おじさん。じゃ、せっかくだし、シシャモも10匹くらい買っとこうかな」
「お、相変わらず律儀でいい子だなー飛鳥ちゃんは~」
(いやいや、騙されてるよオジサン! シシャモ一匹10円だよ! 10匹買っても100円にしかならないよ!?)
()さっきの魚の価値いくら!? 損してる! それ明らかに損してるから!?))
おじさんの善意を、その切なそうな笑顔で見事引き出したかのように見えた兄の姿に双子は愕然とする。
この兄の厄介なところは、その見た目からくる儚げな印象が、相手の「守ってあげたい」という感情を強く引き出すところにある。
だが実際、兄は守ってあげなきゃいけないほど、か弱くはなく。
むしろ、相手を敵とみたすと容赦ないくらい恐ろしいのに、兄に陶酔した人々は、その裏の悪魔のような性質には全く気づいていないのだ!
しかも兄自身、その性質と自分の容姿の価値をよく理解しているのか、時折それを上手く利用する。
「ありがとう。またねー」
そして、呆然と立ち尽くす双子の思考が再び動き出した頃には、もう兄は、魚屋の店主に手をふり二人の数メートル前を歩き出していた。
そんな兄のあとを追いかけ、華と蓮は、その背後からガシリと飛鳥の腕を掴む!!
「コラー! なにしてんの!?」
「わっ、なんだ蓮華か! 今、普通に『技』かけそうになったじゃん!?」
「技ってなに!? 護身術的なあれ!?」
「そーだよ。いきなり後ろからはないだろ。声かけろよバカ」
「バカは兄貴のほうだろ!? 善良な魚屋の店主に、なんてことしてんだよ?!」
「え?……あー、さっきの見てたんだ。失礼だなー。別に頂戴とかいってるわけじゃないし。俺、可愛いから、みんな勝手にくれるんだよね?」
「だからって、魚屋さんの優しさにつけ込むなんて、サイテー! マジでタチ悪いからね、それ!?」
「そんなこと言われても、俺この商店街、子供の頃から通ってるんだよ。それに、さっきの魚屋さんは俺のこと息子みたいに思ってるし。俺、この商店街には第2、第3の親みたいな人が、たくさんいて……」
「なにそれ、怖いよ!!?」
悪びれもなく放った兄の言葉に、蓮が呆れ、華が悲鳴じみた声を上げた。
確かに兄は、よく父に買い出しを頼まれ、この商店街には子供の頃からよく訪れていた。だからなのか、商店街の人たちからしても、我が子のような存在なのだろう。
しかも──
母は幼い頃に他界。
父は海外に単身赴任。
五つ下の双子の面倒をみながら大学に通い
家事や料理をこなしている。
その兄の姿は、もはや涙なしでは語れないと、おじさま、おばさまの心を鷲掴みにする!!
「だいたい、私たちが急に食べるようになったって、なに!? 前とそんなに変わらないでしょ!」
「だって、ここのところ誰かさん達の入学で、ものスゴーく出費が嵩んだもんから、せめて食費くらいは抑えないとなーと思って♪」
「うそだろ!?」
「そもそもの原因、私たちなの!?」
にっこりと天使のような笑顔で放たれた言葉に双子は再び驚愕する。
よもや、魚屋の店主を毒牙にかけた発端が、自分たちの高校入学だったとは!?
華と蓮は、今すぐ魚屋にかけこみ、土下座したい衝動にかられた。
「お、俺たちのせいで、魚屋さんが……っ」
「そんな、この世の終わりみたいな顔するなよ」
「したくもなるだろーが! そうやって、無闇に人タブらかすの、マジでやめろよな!」
「タブらかしてるつもりないんだけど」
「もう、見た目からして、そういう素質そなえてるの! 飛鳥兄ぃの
「……っ」
だが、その瞬間、飛鳥が突然足を止めた。
その場に立ちつくし、少し表情を崩した兄が、その後小さく俯くと、それをみた華と蓮は不思議そうに兄の顔を除き混む。
「……飛鳥兄ぃ?」
俯く兄の瞳は、いつもとは違って見えた。
どこか、脅えているような
悲しんでいるような
そんな───瞳。
「さーて、お腹もすいたし! 帰って、ご飯作ろっか~♪」
「「え!? わっ!」」
だが、そうに見えたはずなのに、また、いつもの笑顔を浮かべると、兄は双子の手を引き、歩きだしていた。
ニコニコと笑いながら「今日のご飯は、カレーだよー」と飛鳥が華と蓮に告げると、二人はいつもと変わらない兄の雰囲気に、またワイワイと騒ぎ始める。
「もう、急に立ち止まらないでよ。びっくりするじゃん!」
「つーか、今魚もらっといて、なんでそこでカレーになるの。この流れだと煮魚だろ」
「だって俺。今日は色々あって疲れたんだよね。だからカレーでいいから、華作ってよ」
「え、私!? あーそんな感じの流れですか」
「よかったじゃん華。得意のカレー作るチャーンス」
「なにそれー。じゃぁ蓮、野菜刻んで」
「はぁ? やっぱり華、女捨ててるよ。絶対、華より兄貴の方が女子力高いと思う」
「飛鳥兄ぃと比べないでよ。飛鳥兄ぃは、そこいらの女子より断然女らしいんだからね!!」
「お前ら、帰ったら風呂掃除もしろよ」
喧嘩を始めた双子を優しく見つめながら飛鳥が呆れながらそう返すと、三人はいつも通りのやり取りを繰り返しながら、賑やかな商店街をあとにする。
二人が大人になろうとする度に、少しずつ少しずつ、弱い心が顔を出しそうになる。
閉ざしたしていた記憶の蓋が
ポロポロと綻び始めて──
──”飛鳥のその綺麗な顔が、大好きよ”──
思い出したくもない”記憶”が甦る。
離れたくない。
離したくない。
繋いだ手の温かさが、余計にそれを感じさせて
──願ってしまう。
どうか、まだ傍にいて欲しい。
どうか、まだ離れていかないで欲しい。
──お願いだから
(大人になんて、ならないで……っ)
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