第188話 狭山さんと坂井さん
8月末、もうすぐ夏休みが終わろうという頃、エレナは今日もモデルの撮影に大忙しだった。
真夏のこの時期に撮影するのは、真冬の衣装撮影だ。
エレナは、撮影スタジオの中で、今年の冬のトレンドになりそうな、コートやブーツ、ベレー帽を着込んで、カメラマンの前に立っていた。
「よし、エレナちゃん。次は笑顔で、何パターンか、いってみよーか!」
「は、はい」
最近になり、小学生向けのファッション誌に掲載されることになった。まだ、枠は小さいが、ファッション誌に載るのは、それなりに大きな成果とも言える。
エレナはカメラマンの指示どおりに、ポージングを取りながら、笑顔をむける。
「エレナちゃん、笑顔ねー。笑顔!」
だが、再度笑顔と指示され、エレナは更に笑顔を作るが
「ごめん、エレナちゃん、少し疲れちゃったかな?」
「え? そ、そんなことないです!」
「うーん」
すると、カメラマンは、ポリポリと頭をかき、苦笑いを浮かべた。
「でもね、さっきから、全然笑えてないんだよ」
「え?」
その言葉に、エレナは驚き、目を見開く。
笑えて……ない?
「ちょっと、休憩してまた後で撮ろう。半田~次の子、連れてきてー」
「はい!」
「…………」
ざわざわと騒がしくアシスタントたちが動き始める中、エレナはその光景を、酷く青い顔をして見つめていた。
そして、そんなエレナを担当である狭山と坂井は、撮影スタジオの端から傍観する。
「おい、狭山」
「は、はい。なんすか、坂井さん」
「お前、エレナちゃんのメンタルケアどうなってんだよ!来週には、オーディションもあるってのに、あれじゃ、受かるもんも受からねーじゃねーか!」
「そ、そんなこと言われても!」
坂井に、じっと睨みつけられ、狭山はバツが悪そうに視線をそらした。
最近、エレナの様子が極端におかしいのは気づいていた。
だが、エレナは何を問いかけても、決して話そうとはしないのだ。
「少し前まではちゃんと笑えてたのに、今の笑い方は、ぎこちなさすぎる。カメラマンの指示に答えられないモデルは、すぐ消えていくぞ」
「わかってますよ……! でも、あの親子の間には、なかなか踏み込めないというか」
「はぁ~」
すると、坂井は深いため息をもらすと
「まぁ、確かに……あの母親は、ちょっと厄介だよな」
そして言葉に、今度は狭山が反応する。
そう、坂井は前に、狭山に「あの母親には気をつけろ」と忠告してきたことがあったのだ。
「坂井さん、何か知ってるんですか?」
「あー、んー……まぁ、いいか。あんまり他言するなよ。ほら、エレナちゃん、前の事務所やめて、うちに来たっていってただろ?」
「はい」
「実は、その事務所でアシスタントしてる知り合いがいてな。担当になった時に少し話聞いたんだよ。エレナちゃん、それなりにいい線いってたみたいなんだけど、ある時、撮影中にアシスタントが誤って、
「え?! なんすか、それ!? ストロボって時間たつと、かなり熱くなって」
「ああ、それに、エレナちゃんみたいに小柄な子供の上に倒れてきたら、下手したら火傷だけじゃすまない」
「それで、どうなったんですか?」
「ミサさんが咄嗟にかばって、エレナちゃんは無事だったんだけど、それからが大変だったらしい。ミサさん、酷く怒り出して、照明倒したアシスタントに掴みかかって、怪我までさせたらしくてな。日頃、温厚な人だったから、みんな驚いたらしいよ」
「…………」
その話を聞いて、狭山は息をのむ。
確かにいつも温厚で物腰も柔らかいため、人に怪我をさせるほど、怒り狂うような人には見えなかった。
だが、娘が照明の下敷きになりかけたのなら、親が怒るのも仕方ないと思う。
それも、ミサにとっては、唯一の家族である一人娘だ。そんな子を失う恐怖を垣間見たとなれば、気持ちは分からなくもない。
「そ、そうなんですか」
「まぁ、備品管理を怠って、モデルに怪我させかけたんだ。あれは事務所も悪い。だが、どの道、あの母親は怒らせると手に負えない。だから、狭山も機嫌損ねないように、うまく状況変えろよ。来週までに、エレナちゃん、何とかしとけ!」
「な、なんとかって、簡単に言わないで下さいよ!?」
「とりあえず、笑えるようになればいいんだよ!あと、エレナちゃんが、次の撮影で気落ちしないように、気持ちもちゃんとほぐしといてやれよ。俺も今日、残業したくねーし」
「え? 何か用事でも?」
「彼女と夏祭り行く約束してんだよ。榊神社の」
「へーへー、いいっすね!リア充は!」
「はは、僻むなよ狭山。今度、可愛い子紹介してやるから!」
そういうと、坂井は「タバコ吸ってくる」と狭山の横をすり抜けると、スタジオからでていった。
「来週までに、ねぇ」
狭山は、片隅で沈んた顔をしているエレナを見つめると
(難題すぎるだろ……っ)
と、口元を引き攣らせたのだった。
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