第344話 告白と恋人


「俺と本気で、付き合ってみる?」


 その言葉に、あかりは目を見開いた。


 驚きと困惑が一気に押し寄せて、なんの反応もできず、ただ見つめ合う。


 付き合う──その言葉の意味が、理解できないわけじゃない。


 しかも、話の流れからしても、それは嘘ではなく、本当に『恋人』になろうといっていて……


「どうする?」

「……っ」


 より距離が近づけば、その青い瞳に魅入られた。


 ──きっと、冗談。


 そう思いたいのに、その瞳が、冗談を言っているようには見えなくて、あかりは慌てふためく。


「ど、どうするって……っ」


「俺に、嘘つかせたくないんだろ?」


「そ……そうですけど」


 その真剣な瞳から、目が離せなかった。


 まるで、本気で告白でもされているような、そんな感覚に陥って、心臓がドキドキと震えだす。


 なにより、好きでもない相手と付き合うなんて、そんなことを、冗談で言うような人じゃないと思った。


 でも──


(………そんな、わけない)


 そんなわけない。勘違いしちゃダメだ。

 だって、私を──選ぶはずがない。


「神木さん、最近おかしいですよ!」

「……え?」


 瞬間、あかりが話をそらすと、飛鳥は小さく息を詰めた。


 室内は、一気に静まり返って、まるで、外に降る雪の音が聞こえてくるのではないかというくらい、場の空気が凍りつく。


「……おかしい?」


「お、おかしいですよ、があってから……もしかして、ミサさんが、私に怪我をさせようとしたこと、まだ気にしてますか? でも、あれは、お互い気にし合うのはナシにしようって言ったはずです。だから、その……私のために、そこまでする必要はありません」


「…………」


 徐々に語尾が弱々しくなるあかりの話を、飛鳥は何も言わず聞いていた。


 つまり、あかりが言いたいのは、自分が、まだあの時のことを気にしていて、その罪滅ぼしで、付き合ってまで、あかりを守ろうとしていると──そう、言いたいのだろう。


(……これだけハッキリ伝えても、気づいてくれないんだ)


 まるで、暖簾に腕押しだ。


 どんなに、素直な気持ちをぶつけても、あかりには響かない。


 ただの友達のまま、その先には進めない。


 まるで、掴んでは消える雪のように、俺の手から、すり抜けていく。


 お前に、この『糸』は


 絶対に、掴ませないとでもいうように──




「バイト、本気でする気なの?」

「え?」


 すると、飛鳥が、また話を戻し、あかりは、安心したような顔をした。


 たけど、そんな風にホッとした顔をされると、少しだけ胸が傷んだ。


「は、はい。社会勉強にもなりますし、いずれは始めようと思っていて」


「なんのバイトするの?」


「それは、まだ何も考えていませんが……でも、心配しないでください。出来れば夜よりは、昼間できそうな仕事をしようとは思ってますし」


「そう……じゃぁ、バイト決まったら教えて」


「え?」


「冷やかしに行くから」


「やめてください!?」


 普段の調子でからかえば、あかりは、また困った顔をした。


 勿論、冷やかしに行くなんて冗談だけど、こうして、振る舞えば、あかりは安心するのだろう。


 だからきっと、この位置から、近づくことはできなくても、離れてはいかない──



「一つだけ、約束してくれない?」


「約束?」


「うん。お金がたまって、引越しできるようになるまでは、俺の事を、今まで通り、彼氏として扱うこと。それと、大野さんの前だけじゃなく、バイト先でも彼氏がいるってことにしとけよ」


「え、なんで……」


「これ以上、変なやつに付きまとわれたら困るだろ。誰とも付き合う気がないなら、尚更」


「そ、そうですね」


 納得したのか、あかりが小さくうなづけば、飛鳥はあかりから目をそらし、軽くため息をついた。


 バイト先でまで、嘘をつかせる必要はないのに、なんとなく嫌だと思った。


(本当、ダメだな……)


 あかりの前だと、冷静じゃいられなくなる。


 俺の過去を知っても友達でいてくれた。

 俺自身を、受け入れてくれた。


 本来なら、それだけで良かったはずなのに、それ以上を求めてしまう今の自分は


 なんて、わがままなんだろう──





 ◇


 ◇


 ◇




「じゃぁ、お気をつけて」


 その後、10時前になり、さすがに怪しまれることはないだろうと、帰宅することになった飛鳥は、玄関前に立っていた。


「雪、ふってますが、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。傘もあるし」


 軽く挨拶をして、いつも通り別れた。


 雪がシンシンと降る中、アパートの階段をおりた飛鳥は、サッと傘を開く。


(俺の恋は、一生叶わないのかな……)


 なんだか、虚しい。


 そう思って、一度振り返り、あかりの部屋を見つめれば、窓の前で、こちらを見つめている、あかりと目が合った。


(……お見送り、してくれてるんだ)


 その姿に、自然と心が温かくなる。


 その後、飛鳥が軽く手を振れば、それを見て、あかりも手を振り返してきた。


 だが、その後、去っていく飛鳥の背をみつめながら、あかりは、ずっと考えていた。


(さっきのあれは……本気だったのかな?)


 もし、本気だったとしたら


 あなたは今、私のことをどう思っていますか?


 ちゃんと友達として、見てくれていますか?


「……っ」


 胸が、ドキドキしているのは、きっと気のせいじゃない。


 これまでの彼の言動や行動を振り返れば、その感情は自然と大きくなる。




    ずっと、俺の隣にいて



          あかりが、一人で寂しがってるんじゃないかと思って


   はい、俺からのバレンタイン


            あかりの……時間が欲しい



       俺と本気で、付き合ってみる?




 心の奥で、何かが警鐘をならす。

 彼の言動の全てが、一つの答えに近づいていく。


 だけど、気づきたくない。

 気づいたら、苦しくなる。


 お願い、お願い。私は、彼のことを




 友達として、好きでいたいの──……っ






『あかりちゃんも、神木くんのこと好きなんだね』




「……っ」


 その瞬間、前に言われた大野の言葉を思い出して、あかりはキュッとカーテンを握りしめた。


「ッ……ちがう」


 ちがう、ちがう。

 私の好きは、その『好き』じゃない。


 彼は友達で、それ以上の感情なんて何もない。


 だけど──


 そう、言い聞かせれば、言い聞かせるほど

 気付かされてしまう。


 早くなる鼓動が

 赤くなる頬が


 それを、確信させようとしてくる。



「っ……どうしよう」


 ずっと、気づかないようにしてきた。


 どんなに、優しい言葉をかけられても、誰にでも、そんなことを言う人なんだって必死に言い聞かせて、あくまでも友達として振る舞ってきた。


 だって、私なんて選ぶはずないって、本気で思っていたから。


 それなのに──


『俺と本気で、付き合ってみる?』


 そう聞かれて、直ぐに返事が出来なかった。


 考えてしまった。

 思い描いてしまった。


 この人の隣にいられたら




 きっと、幸せだろうなって───





「………っ」


 窓の外を見れば、帰っていく飛鳥の後ろ姿が目に入って、無性に切なくなった。


 今日は、一人でいたくなかった。

 だから、来てくれて嬉しかった。


 本当は、映画を見て泣いていたなんて


 ──嘘だ。


 雪が降ってきたのを見て、思い出してしまった。


 4年前の、2月18日。


 忘れたくても、忘れられない──あの日のこと。



「っ……う、……ぅっ」


 その場に座り込むと、あかりは自分の気持ちを自覚して、ポロポロと涙を流した。


 傍にいてくれて、嬉しかった。

 一緒に料理をして、食事をとったのが楽しかった。


 気づきたくなかったのに、気づいてしまった。


 そして、それは、張り裂けそうなくらい、胸の奥を締め付ける。



「っ……神木さん……私……っ」




 あなたが『好き』です。


 きっと、もう、友達以上に──



 でも……




(どうか、気づかないで……っ)




 この気持ちには、気づかないでください。


 私が、あなたの隣にいられるように




 私が、この先もずっと




 あなたの






 「お友達」でいられるように──……っ







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