第67話 彼氏と彼女


「もしかして……耳、片方、聞こえてないの?」


 至近距離で放たれたその言葉に、あかりは目を見開いた。ただただ飛鳥をみつめたまま、なにも言えず、身体が硬直する。


「あ、ごめん! もしかして……違った?」


 すると、その沈黙に不安を感じたのは、もちろん飛鳥の方で、思わず口に出してしまったことを、軽く後悔する。


「ごめん、もし違ったなら──」


「ぁ、いえ……違ってません。ごめんなさい……気づいてくれる人、ほとんどいないので……ちょっとビックリしてしまって……」


「……」


「あなたの言った通りです。私、、左耳だけで生活してるんです。だから、音がどこから聞こえてくるのか、その方向性がつかめなくて……」


 そういって、少し困ったように笑ったあかりに、飛鳥は、先程の行動の不自然さについて、改めて納得する。


 人と距離が近いのは、聞こえる方の耳を無意識に近づけていたからで、先程の自分の質問に「変わりましょうか?」とこたえたのも、車の音に邪魔されて「遠い」を「重い」と聞き間違えたから。


 そして、歩道の車道側にわざわざ移動したのは、聞こえる方の耳を、飛鳥の方に向けるためだろう。


(本屋や、さっきの住宅街で、ちゃんと会話できてたのは、周りが静かだったからか……)


 あかりを見下ろし思考を巡らせていると、今度はあかりが遠慮がちに、飛鳥の手にそっと手を沿えてきた。


「あの、自転車がきたのに気づかなくてごめんなさい。もう、大丈夫ですから……」


「ぁ……」


 その言葉で、まだあかりの腕を掴んだままだったと気付いた飛鳥は、言われるままに、その手を離す。


「すごいですね?」


「え?」


「いや、すごい洞察力だなって。人のこと、よく見てるんですね?」


 そう言って、まるで「感心しました」とでもいうように、再びふわりと柔らかな笑みを見せたあかりに、飛鳥は目を細めた。


 きっと、気づく人は、ほとんどいないのだろう。


 それもそのはずだ。なぜなら彼女は、ちゃんと会話はできているのだから──


「ねぇ……」


 ゴオオオォォォォォーー!!!!!


「え??」


 だが、その後、再び言葉を投げようとした瞬間、大きなトラックが激しい音を立てて通りかかって、飛鳥はその音に、諦めにもにた感情を抱くと


「あの……とりあえず、場所変えていいかな?」

「?」


 と、聞こえているのか分からない、あかりに向かって、寂しく提案したのだった。





 ◇◇◇



「華、また明日ね~」

「うん、また明日ー!」


 放課後の桜聖高校にて──華たちは下校の時刻を迎えていた。


 華の友人である中村葉月なかむらはづきは、先日バレー部に入部届けを出したようで、今から部活をしに体育館に向かうそうだ。


 そんな中、華は、放課後の少し慌ただしい教室内で、もうすぐ蓮が迎えに来るだろうと、教科書を学校指定の鞄の中に詰めこみながら、帰宅の準備をしていた。


「華ー」


 するとそこに、タイミングよく教室の入口から、蓮が声をかけてきた。華はそれに気づくと、準備を終えた鞄を手にして蓮の元へと急ぐ。


 こうして、蓮の元に駆け寄る華の姿は、まるで恋人を待っていた彼女のようにも見えなくもないが、念のためいうが、彼らはただの「双子の姉弟」である。


「早かったね!」


「あぁ、あのさ華、俺今日、さかきと一緒にバスケ部の見学しに行くことになった」


「あ、この前言ってたやつ?」


「うん。お前一人で帰れる?」


「はいはい! 問題なく!」


「本当に大丈夫か? お前、いつもボサッとしてるから」


「レン!いくぞー!!」


「うわ!?」


 瞬間、蓮はガシッと肩を組まれた。


 華への忠告も虚しく、その言葉を遮るように声をかけてきたのは、蓮の友人のさかき 航太こうた


 航太は、蓮と肩を組み、まるで少年のような笑顔で、華に問いかける。


「神木。今日、蓮借りるな!」


「うん、どうぞ~」


「てか、神木は部活やんねーの?」


「私?……うーん。私はまた帰宅部かな?」


「そっか、もったいねーな。神木、運動神経いいし、テニスとかバレーとか上手いのに」


「そうかな?」


「よく、変なミスするぞ、こいつ」


「こら、蓮!? あんたはまたそうやって!」


「ホントのことだろ。それより華、気を付けて帰れよ」


「うん! 蓮も、しっかり見学してきなさいよ! それじゃ、榊君も頑張ってね!」


「おお!」


 華は、笑顔で手を振り、蓮と航太の横を通りぬけると「じゃぁ、お先に~♪」といって走っていった。


 そして、そんな華の後ろ姿をみつめながら


「神木って、可愛いよな……」


 航太がボソリと呟く。


「はぁ??」


「だって神木、スゲーいい子じゃん……明るくて素直だし、おまけに可愛いし」


「え? お前なに言ってんの?」


「あ、だから……その……つまりは、蓮が許してくれたら、俺、彼氏にするんだけどな……って」


「……」


 ──ん?


 瞬間、蓮は瞠目どうもくする。

 言葉が上手く飲み込めない。


 彼氏に立候補? ということは、つまり


「はぁ?! お前、華のこと好きだったの!?」


「ま、まぁ……っ」


「うそだろ!? いつから!?」


「中二のころから……」


「マジかよ!? こんな近くにケダモノがいたなんて!」


「ケダモノ言うな!! それとも、やっぱり双子だと、片っぽに彼氏とかできたら、複雑なもんなの?」


「……そ、それは、別に、いつかそんな日がくるのは、分かってることだし」


「へー……その辺は案外ドライなんだな、蓮は」


「ドライと……いうか……」


 いつまでも、自分や兄が守ってやれるわけではないし。


 華だって、兄だって、いつかはみんな大人になって、それぞれ、別の道を歩いていくわけで──


「むしろ……華を守ってくれそうな、しっかりした彼氏がいてくれたら、いいとは思うよ。単純に」


「じゃぁ、俺が彼氏になってもいいってことだよな!」


「だぁ!ちげーよ!! 誰がお前のことって言った!? つーか、マジか!? 本気で好きなの!?」


「……ぁ、うん、ごめん。いつ言うか、ずっと考えてたんだけど、高校入ったらもういいかなと」


「よくねーよ! 墓場まで持ってけよ!」


「なんで墓場まで、恋心埋めにいかなきゃなんねーんだよ! むしろ高校上がるまで待ってやったんだぞ、ありがたく思え!」


「思えるか!!」


「おいこら、お前らぁ! なに廊下で騒いでんだ!」


 すると、廊下で騒くバカ二人に、たまたま通りかかった藤本先生が眉をしかめて注意をしてきた。


 蓮と航太は、突如現れた藤本先生に、とりあえず逃げるかと、バスケ部が部活をしている体育館へと退散する。


 一方、その頃、華はというと──


「えーお兄さん、料理もできるの!」


「いいな~うちのお兄ちゃんなんて、カップ麺しか作れないよー!」


「男の料理って、憧れるよね~」


(……どうしよう。帰れない)


 玄関の下駄箱前で女の子たちに呼び止められ、見事に捕まっていたのだった。

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