第372話 兄と幸せ


「おっそーい! 何かあったのかと思ったじゃん!」


 その後、自宅に帰ると、飛鳥が玄関で靴を脱ぐ前に、華が血相を変えてやってきた。どうやら、ミサの元に行き、なかなか帰らない兄を心配していたらしい。


 すると、少し申し訳ないことをしたと思いつつも、飛鳥は、いつもと変わらない、にっこりとした笑みを浮かべた。


「ごめん、遅くなって。でも、大丈夫だよ。無事にお弁当は渡せたし。遅くなったのは、帰りにあかりと出くわして」


「え? あかりさんと」


「うん。美里さんの所に面接受けに行った帰りだったみたいで、道端にうずくまってたから、どうしたのかと思って」


「え!? あかりさん、どこか具合わるかったの!?」


「いや、具合が悪いというよりは、ドジ踏んで自滅してた感じ」


「自滅!? あかりさんて、意外とドジっ子!?」


「まぁ、そこそこ。華には劣るけど」


「はぁ!?」


 あかりの話に加えて、急にぶっ込んできた妹への中傷に、華が声を上げた。


 なぜなら、華自身は、一切ドジな自覚がないからだ。とはいえ、あのしっかり者なあかりさんが、ドジっ子だったなんて……


「ふーん。でも、そんなドジで可愛らしいところも含めて、飛鳥兄ぃは、あかりさんを好きになったってことだよね~?」


「……!」


 すると、華がニヤニヤと笑いながら、からかうような言葉を返してきて、飛鳥はジッと華を見つめた。


 別に間違いではない。だが、そんなことを妹から言われるのは、なんか、ちょっと……


「うるさいな」


「あー、もしかして照れてるの!?」


「照れてない。それより、昼飯なんにする?」


「え? もしかして、考えてないの!?」


「考えてない。もう、インスタントラーメンでもいいかな。なんか、ショックであまり作る気力が」


「え? ショック?」


 すると、玄関からリビングに向かいながら、ため息をつく兄をみて、華は首を傾げる。


「どうしたの? やっぱり、なにかあったの?」


「…………」


 心做しか、心配の眼差しでみつめてくる華。すると飛鳥は、思い切って聞いてみることにした。


「あのさ、華……俺のって、そんなに見たいもの?」








 第372話 『兄と幸せ』








 ◇◇◇


 そして、その後──リビングにうつり、ラーメンを作り始めた飛鳥の傍では、双子の妹弟がをしていた。


 先程、兄から聞いた話によれば、なんと、あのあかりさんから、直接、女装姿が見たいと言われたらしく、兄は珍しく落ち込んでいた。


 だが、これには、さすがの華と蓮も、笑うしかなかった。それはもう、腹がよじれるほど!


 だって、好きな女の子に、女装姿が見たいといわれるなんて、きっとどこを探しても、うちの兄くらいだ!


「もう、飛鳥兄ぃってば! 全然男として見られてないじゃん!」


「マジで、脈ナシじゃん!」


「わかってるよ! ていうか、笑いすぎ!」


 傷心中の兄を、これでもかと笑い飛ばす双子に、飛鳥は真っ黒な笑みを浮かべた。


 まさか、ここまで笑われなんて。正直、真面目に話した、自分がバカだった。


「ほら、ラーメン出来たから、持ってって!」


「そんなことより、飛鳥兄ぃ! このままじゃ、絶対ダメだよ! もっと攻めないと!」


「は?」


「だって、あかりさんは今、お兄ちゃんのことんだよ! なら、ちゃんと男だって自覚させないと、お兄ちゃんの恋が実る頃には、もう、おじいちゃんになってるよ!?」


「おじいちゃん!?」


 ズイッと兄に詰め寄る華! すると華は、ピンク色のエプロンをつけた美人すぎる兄を見つめ、切実に訴え始めた。


「だって、見てよ! この髪の毛アップにして、エプロンしてる姿!! どこをどう見ても、女子でしょ!? ただでさえ、飛鳥兄ぃは、男子力よりも、女子力のほうが高いんだから、もっと男らしいところ見せないと!!」


「女子力じゃなくて、って言ってくれないかな」


「え!? なにが間違うの、ソレ!?」


 女子力と主婦(夫)力。その明確な違いは上手く説明できないが、それでも、飛鳥にとっては、違うと思いたかった。


 なぜなら飛鳥は、は極めてきたが、を極めたつもりはないから。


「でも、華の言うとおり、このままじゃ、いつまでたっても、あかりさんに振り向いてもらえないよ」


「……っ」


 すると、そこに蓮が口を挟み、飛鳥は口篭る。

 確かに、それはそうかもしれない。だが……


「じゃぁ、どうやって、男として自覚させるの?」


 不意に飛鳥が問いかけた。


 日頃、無自覚に口説き文句をぶっこむ飛鳥だが、あれは、あくまでもで、故意にやっているわけでないのだ。


 すると、華と蓮は、ふたり顔を見合わせると


「「やっぱり壁ドンじゃない?」」


「壁ドン!?」


 これは、皆様も、ご存知だろう!


 【壁ドン】とは、意中の相手を強引に壁際に追いつめ、耳元で甘~い言葉を囁く、あの少女漫画界御用達の壁ドンである!


「壁ドンて、なんか古くない!?」


「でも、手っ取り早く男だって意識させるには、有効な手段でしょ!」


「そうだよ兄貴! 兄貴のその顔と声で、真面目に迫れば、普通の女の子ならイチコロだって!!」


「……い、イチコロ」


 確かに、今までは、大抵の女の子は、このだけでイチコロだった。


 待ってもいないのに好意を抱かれ、バレンタインや誕生日は、命懸けの逃走劇を繰り広げてきた。


 ならば、こちらがで迫れば、意識ぐらいはするだろうか?


「あ、でも、壁ドンってさ。なんとも思ってない相手からされたら、キモイだけだよな?」


 ──グサッ!!


 だが、その後、蓮が言った言葉が、無惨にも飛鳥の胸に突きささる。


「え、キモイ?」


「あー、確かにそうかも? キモイって言うか、わりと恐怖だよね? でも、逆に意識してる相手からなら、顔赤くするんじゃない?」


「あー、確かに華の言う通りかも……兄貴、この際だから、壁ドンして、あかりさんが、どんな反応するか試してみれば?」


「ちょっと待って! 試験的に壁ドンなんてさせないで!?」


 しかもそれ、結果次第で、すごく落ち込みそう!!


 その双子の話に、飛鳥は眉をしかめた。

 ていうか、壁ドンってなんか恥ずかしくない?


 だが、そこで、飛鳥はふと思い出す。


(いや……でも俺、前に、あかりに壁ドンしたことがあったような?)


 そう、それは昨年の夏祭り!


 あかりに大野の件を話に行った時、あかりが、あまりにも無防備な姿で出てきたものだから、壁際に追いこんで忠告したことがあった。


 あまり男に気を許さないようにと──


 だけど、その時のあかりの反応は焦っていただけで、赤くはなっていなかったような??


(あれ? もしかして、もう結果でてる?)


「というわけで、飛鳥兄ぃ! 今度あかりさんと、ふたりっきりになったら、レッツゴー壁ドン!」


「いや、待って。俺もう、やってる」


「「やってる!?」」


 瞬間、飛鳥の言葉に双子は固まった。


「──て、壁ドンを!?」


「あ、いや……あえてした訳じゃないけど、それらしい事はした記憶が」


「いつ!?」


「夏祭りの時に」


「「夏祭りぃぃぃ!!?」」


 あれか!? 私たちをコンビニに残して、女の家に差し入れ届けに行った、あの時か!?


「うそだろ、兄貴!? あの時、浴衣きてたじゃん! 浴衣姿でフェロモン垂れ流し状態で壁ドンしたのに、まだ男として見てもらえてないの!?」


「ぅ、やめて……なんか、それ以上言われたら、さすがに心にくる……っ」


 なんだか、悲しくなってきた。


 この中性的で愛らしい容姿のせいで、ここまで惨めな思いをする日が来るなんて!?


「俺、もしかして……諦めた方がいい?」


 すると、珍しく弱気な声が返ってきた。


 無理もない。浴衣姿で壁ドンしても、男として意識されず、挙げ句の果てに、女装姿が見たいと言われたとなれば、さすがの兄も弱気になる。


 だが、華は──


「ちょっと、ダメだよ、諦めちゃ! 私、お兄ちゃんには、幸せになってもらいたいんだから!!」


「え?」


 幸せに──そう力強く言った華に、飛鳥は目を見開いた。


 幸せに、なれたらいい。

 それは、自分だって願ってる。


 だけど……


「華の言う、"俺の幸せ"ってどんなの?」

「え……?」


 瞬間、飛鳥が真面目な顔で問いかけた。


 その青い瞳は、どこか迷い子のように不安げな色をしていて、そんな兄の瞳に、華は困惑する。


「ぁ、どんなって……べ、別に、凄いこと望んでるわけじゃないよ! 普通でいいの。普通に好きな人と恋をして、結婚して、子供とか産まれて……そんな、当たり前の幸せでいいの! 私は、今ここで、お兄ちゃんが笑ってるように、この先も、家族に囲まれて、笑ってて欲しい……!」


 しっかりと、兄の目を見て、華がそう告げた。


 当たり前の幸せ

 普通の幸せ


 それを、自分だって望んでる。


 だけど


 あかりは、それを────望んでいない。




「そっか……ありがとう」


 苦笑し、飛鳥は華の頭をポンと撫でた。


 だけど、自分とあかりの意思は、決して交わることがない。


 結婚して家族を求める自分と、結婚をしたくないあかりでは、望む未来が何もかも違うから。


 そして、その違いは、どうしたって──覆らない。


 だけど、そんなこと言えない。


 俺の幸せを誰よりと願ってくれる




 この優しい家族には……






 トゥルルルル──!


「……!」


 瞬間、テーブルに置いていた飛鳥のスマホが、突如鳴り出した。


 少しだけ真面目な空気が変化すると、飛鳥は、すぐさまダイニングテーブルまで移動し、電話に出る。


「もしもし」


『よぅ、飛鳥。さっき、電話したよな?』


「あー……うん」


 電話をかけてきたのは、隆臣だった。


 先程、を確認するために、飛鳥は電話をした。


 きっと今は休憩中なのだろ。すると飛鳥は、手短に済ませようと、すぐさま隆臣に問いかける。


「あのさ、隆ちゃん」


『ん?』


「隆ちゃんて、俺のこととして、だったりする?」


『は??』



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