第291話 始と終のリベレーション⑯ ~疑心~


 それから私は、少しずつ少しずつ、侑斗を束縛し始めた。


 なぜなら侑斗は、部署が変わってから出張が多くなっていて、たまに一週間くらい家を空けることがあると、私は、よりいっそう不安を感じるようになったから。


「じゃぁ、行ってくるから」


「うん。電話、毎日してね」


「え? 毎日?」


「うん」


「……わ、わかった」


 自分では、束縛してるとは思ってなかった。ただ、不安だったから、安心したいだけだった。


 だけど、侑斗にとっては、少し窮屈だったのかもしれない。でも、優しい侑斗は、それでも毎日、電話をしてくれた。


『もしもし、ミサ』


「うん。お仕事、お疲れ様!」


『飛鳥は?』


「もう寝ちゃった」


『そっか。戸締りとか、しっかりしてから寝ろよ』


「うん、大丈夫よ」


 妻と息子が二人だけの我が家。


 侑斗は侑斗なりに、私達を心配してくれて、仕事が終わると、毎日電話をかけてくれた。


 だけど──


『神木さーん! いつまで電話してるんですかぁ、早く行きましょう~』


『おい、くっつくなよ』


「!?」


 電話先から、女の声が聞こえてきて、思わず携帯をきつく握りしめた。


 甘えるような、女の猫なで声。それが妙に不快で、侑斗に近づかないで欲しいと切に思った。


「侑斗……今の誰? 仕事終わったんじゃないの?」


『え? あぁ、仕事は終わったんだけど、応援先の部署の子達から飲みに誘われて』


「……行くの?」


『あぁ……』


「…………」


『ミサ?』


『神木さん! 置いてっちゃいますよー』


『あ、あぁ! じゃぁな、ミサ! おやすみ!』


「…………」


 電話が切れた後、私はリビングに立ち尽くしたまま、携帯を握りしめた。


(おやすみって、何……もう、かけてくるなってこと?)


 一つ不安が、次の不安へと重なって、だんだん侑斗のことを信じられたくなっていった。


 ほんの些細な一言すら疑うようになって、そうするうちに、私は少しずつ、侑斗を困らせるようになった。


「なんで昨日、電話してきてくれなかったの!」


『ご、ごめん、昨日は疲れてて、つい……』


 不満が爆発して、当たりちらした。


 仕事が忙しいのも、疲れてるのも、わかってたはずなのに、私の思い通りにならない侑斗が嫌で仕方なかった。


 あーして欲しい。

 こーして欲しい。


 一方的に私の望みだけ伝えて、侑斗の気持ちなんて、全く考えなかった。


 そして、それが一年くらい続いた頃。また出張先にいる侑斗に、私は、最悪の言葉をかけてしまった。


してるんじゃないの?」


「は?」


 電話先から響いた、侑斗の低い声。

 空気が変わったのが、すぐにわかった。


 侑斗は、それを疑われることを一番嫌がっていたから。あの"自分の母親"と、同じ人種と思われることを、一番嫌っていたから。


 それなのに──


「だって、出張先なら、いくらでもバレずに浮気できるじゃない! 飲み会にもよく誘われてるけど、本当に会社の飲み会!? この前なんて、香水の匂いさせて帰って来て! 本当は、女と浮気してるんじゃないの!?」


 もう、止められなかった。

 攻撃的な言葉を、たくさん言った。


 侑斗は、それをずっと無言で聞いていて、私がひとしきり不満をぶちまけたあと


『……それ、本気でいってるのか?』


 心は、警鐘をならしていた。


 これ以上言っては、ダメだと。侑斗を傷つけるだけだと。


 だけど──もう、止まらなかった。



「本気よ」

「……………そうか」


 長い沈黙の後、侑斗が酷く冷たい声を発して、一方的に電話を切られた。


 私はその場に、座り込むと


「なんで……っ、なんで『してない』って言ってくれないのよ!」


 全部、全部侑斗のせいにした。


 侑斗が、私に隠し事なんてするから、いけない。

 欲しい言葉をかけてくれないから、いけない。


 人間は、弱い生き物だ。


 ほんの少し亀裂が入っただけで、あっさりと、相手を疑ってしまう。


 ───壊れてしまう。


 そして、それは、誰にでも、起こりうることで



「まま……?」


「……!」


 瞬間、泣いている私の頬に、飛鳥の手が触れた。


 2歳になった飛鳥の手は、まだ、とても小さかったけど、まるで慰めるみたいに優しく触れたその手に、涙が止まらなくなった。


「ッ……本当……ダメね、私……っ」


 そう言って、飛鳥をきつく抱きしめた。


 どうして、私はこんなに弱いんだろう。


「ごめんね、ごめんね、飛鳥……っ」


 何度と飛鳥に謝りながら、同時に侑斗にも謝った。


 ごめん。

 ごめんなさい。


 私もう、侑斗のこと









 信じて、あげられない。






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