第315話 倉色家と初詣
宇佐木市
緑豊かなその町には、由緒ある神社が一社、あかりの実家から、そう遠くない場所にあった。
その
元日の朝は、どこの神社もごった返しているからか、
4時をすぎ、夕日に照らされた鳥居をくぐれば、社の前には長蛇の列が出来ていた。だが、時間帯が時間帯だからか、午前中に比べれば、まだマシな方だろう。
あかりの弟・
「
「?」
すると、そのタイミングで、どこからか声をかけられた。辺りを見回せば、髪の長い女の子が、理久に手を振りながら走ってくる。
「明けましておめでとう!」
「あぁ、水野さん。明けましておめでとう」
「倉色くんも、今、初詣だったんだ!」
「あぁ、うちはいつも夕方に来てて」
きゃっきゃとテンションの高い水野さんは、理久と同じクラスの小学四年生で、ちょうど参拝を終えて帰るところだったらしい。
「じゃぁ、また学校でね!」
それから軽く雑談を交わしたあと、ヒラヒラと手を振る水野に、理久も手を振り返せば、その隣にいた理久の母親──
「水野さんて、去年、理久にチョコレートくれた子?」
「!?」
唐突に放たれた言葉に、理久は途端に顔を赤らめた。
確かに、去年のバレンタインに、チョコレートを貰った!それも、ちょっと手作りらしい気合いがはいったチョコレートを!
「べ、別に、チョコ貰っただけだから! 深い意味はないし」
「うーん……でも、理久はそうでも、水野さんはどうなのかなー」
きっと、息子に恋をしているだろう水野さんの気持ちを察し、稜子が苦笑いをうかべる。
今年41歳。軽くウェーブのかかったボブヘアーで、スレンダーな体格をした彼女は、あかりと理久の母親だ。
近所の子供服メーカーで働いていて、どことなく理久にもあかりにも似た雰囲気をもつ稜子は、少しおっとりとした口調で話しかける。
「理久はモテモテね」
「別に、モテててねーし!」
「そう? 勉強も運動も出来るし、オマケにクラスの学級委員だし、これでシスコンじゃなければ、もっといい線行ってたと思うんだけど」
「シスコン!? 今、シスコンって言った!?」
まるて、残念と言った感じで呟いた稜子に、理久が素早く突っ込む。理久自身は、あまりシスコンという自覚はない。
「俺、シスコンじゃねーし!!」
「でも、今日あかりがいなくて、寂しいんでしょ?」
「う……っ」
母親の言葉に、理久は姉の姿を思い出し、思わず口篭る。
姉のあかりは、昨年、大学進学を期に家を出て以来、あまり実家には帰ってこず、年末年始も帰省ラッシュに巻き込まれるのが嫌だからと、帰って来なかった。
それ故に、今年の初詣は、理久と稜子の二人きり。ちなみに、父親は接客業をしているため、元旦から仕事だ。
「それは……寂しい、けど」
「相変わらず理久は、あかりのことが大好きね。覚えてる? 昔あかりが『一生結婚しない』って言い出した時『じゃぁ、俺と結婚すればいい!』とか理久言いだして」
「ぎゃぁぁぁ、いつの話だ! 息子の黒歴史、ほじくり出すなよ!?」
幼い日の恥ずかしい話に、理久が先程より顔を赤くし吠える。だが稜子は、そんな理久の頭をポンと撫でると
「別に茶化してるわけじゃないのよ。あかりが、あそこまで立ち直れたのは、理久のおかげだっていいたいの」
「……っ」
理久のおかげ──そういった母の言葉に、あの日の姉の姿を思い出す。
雪の中で、泣き崩れていた、まだ中学生のころの、姉の姿──
「姉ちゃん……今ごろどうしてるかな?」
「朝電話した時、今日は一人でゆっくりするって言ってたじゃない」
「そうだけど、姉ちゃん帰って来れば良かったのに。そしたら、一人で年越しすることもなかったし、また一緒に初詣にも来れたのに」
「………そうね」
あかりがいないことで、寂しさを感じていたのは、稜子とて同じだった。
でも、やっと、立ち直って前に進み始めた娘の決意に、今更、水を指すわけにはいかない。
「稜子さん!」
「!?」
だが、その瞬間、今度は稜子が声をかけられた。
目を向ければ、髪をオールバックにし、右耳にピアスをした30代半ばの男が、二人にむかって笑いかけてきた。
彼の名は──
「明けましておめでとうございます。稜子さん」
「あら、蒼一郎くん。明けましておめでとう」
蒼一郎の登場に、理久は途端に眉を顰めた。どうしても、この人に会うと昔の事を思い出してしまうから。
「理久君も、明けましておめでとう。今年も宜しくね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「蒼一郎君、一人なの?」
「いえ、両親と一緒です。そうだ、稜子さん。近いうちに、また、お宅にお邪魔してもいいですか?」
「えぇ、大丈夫よ。明日、あさっては自宅にいるから、いつでもいらっしゃい」
「ありがとうございます。あれ、そういえば、あかりちゃんは?」
「……」
蒼一郎が、明らかにあかりを探して辺りを見回す。それを見て二人は、少しバツが悪そうな顔をすると
「姉ちゃんは、帰ってきてないよ」
「大学生活が、忙しいみたいなの」
「そうなんですね」
「蒼一郎!!!」
だが、次の瞬間、神社内に高らかな声が響いた。
今度は誰かと、その声の方を見れば、蒼一郎の母親が、鬼のような形相で駆け寄ってきた。
「蒼一郎! あんた、まだこの家族と関わってたのかい! この家の娘の事は、もう忘れろって、何度もいっただろうに!?」
「うるさいな! 俺がどうしようが、俺の勝手だろ!!」
もう、30を超えた男を怒鳴りつける母親の姿に周りが騒然とする。だが、そんな中、理久と稜子は、その光景を冷静な眼差しで見つめていた。
「あの……お久しぶりです、高梨さん」
「あぁ、その節はどうも。すみませんね、うちの息子が。ほら行くよ、蒼一郎!」
「ッ──」
その後、母親の悪態を申し訳なさそうに謝り、去っていく蒼一郎を見送り、稜子が小さくため息をつき、その隣で理久がボソリと呟く。
「うわ、正月から最悪」
確かに、気持ちは分かる。
なんて幸先の悪い、年明けだろう。
「姉ちゃんが、いなくてよかった」
「そうね。私も今は、あかりがいなくてよかったと思うわ」
さっきは、一緒に初詣に来れたら──そう思っていたが、そんな気持ちもあっさり消え失せた。
今の光景を目にしたら、あかりは何を思うだろう。
やっと立ち直れたのに、また、あの頃の辛い記憶を思い出させていたかもしれない。
「つーか、蒼一郎さんも、早く結婚すればいいのに。そしたら、姉ちゃんだって」
「こら、そんなこと言わないの。それだけ本気だったのよ、蒼一郎君は」
「それは、わかるけど」
「ほら、辛気臭い顔してないで、気持ちを切り替えましょう! 新年から、私たちがこんなことじゃ、幸運も逃げちゃうわ!」
母が笑って前を向くと、理久も同時に前を向いた。
見れば、順番待ちの列も大分進み、もうすぐ自分たちの番がやってくるのがわかった。
「理久は、何をお願いするの?」
「……」
母の言葉に、賽銭箱の前に立った理久は、改めて本殿に祀られた御神体を見つめた。
なんでも、この神社は、恋愛の神様を祀っているらしい。
理久は、賽銭を投げ入れ一礼すると、その御神体を見つめ、パン!と手を合わせる。
「どうか、この先、ねーちゃんを好きになる男が一生、現れませんように!!」
そう、ハッキリと言い切ると、その隣で稜子が優しく微笑む。
「……そうね」
もう、あかりのあんな姿は見たくないから──
姉を思う弟の優しい願いに、母もまた同じことを願う。
(どうか、あかりが──)
この先、”恋”をすることが、ありませんように……と。
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