第271話 不幸と幸せ


「お母さんが死んだのは、お兄ちゃんのせいなの!?」


「……ッ」


 瞬間、飛鳥は言葉をなくした。


 小さく肩を震わせる妹の姿を見れば、そこに怒りの感情があるのが、ありありと伝わってくる。


 もうこれ以上、何を言えばいいか、分からなかった。


 何度、後悔したって、過去はなくならない。何度、謝ったって、もう二人の母親は帰ってこない。


「っ……華」


「ふざけたこと言わないでよ!!」


 だが、再び華の声が響いて、飛鳥は瞠目する。


「さっきから聞いてれば、自分と出会わなければ、お母さんは刺されなかったとか。5分早く帰れば、助かったかもとか。私たちから、お母さんを奪ったとか……なに訳わかんないこといってんの!?」


「……」


「親が人を刺したからって、その罪を、子供も背負わなきゃいけないの!?  お兄ちゃんもエレナちゃんも、関係ないじゃない! それに、お母さんが刺されたのは、浮気相手と間違えられたからでしょ! なんで、お兄ちゃんが謝るの!?  それとも『刺されたのは、お兄ちゃんのせいだ』って、お母さんがいったの!?」


「……っ」


 まるで責めるように捲し立てる華の言葉に、飛鳥はあの日、刺された時の、ゆりの言葉を思い出した。


『飛鳥…これは…ぁんたの…せいじゃ…なぃから……だから、そんな顔…し、ない…で』


 痛みに耐えながら、泣いている自分を必死に抱きしめて、言ってくれた言葉。


「いや……言って、ない」


「じゃぁ、なんで……なんで、そんなに自分のこと責めてるの!? お母さんと約束したから? 守れなかったから? 5分帰りが遅くなったからって、ふざけたこといわないでよ! お兄ちゃん、その時、まだ8歳でしょ! 小学二年生で、救急車呼んで、その時できること精一杯やったんでしょ! ちゃんと、守ろうとしてるじゃない!」


「…………」


「それで、守れなかったからって、なんでお兄ちゃんのせいになるの?  お母さんが亡くなったのは病気! 誰のせいでもない! それなのに、なんで全部、自分が悪いみたいに言うの!? なんで、お母さんの人生が、自分のせいで不幸になったみたいな、いい方するの……なんで……なんで、私たちから奪ったなんていい方するの。お兄ちゃんが、私たちの傍にいてくれたのは──みたいなものだったの?」


「……っ」


 華が泣きながら、そう言えば、リビングには、先程とは違う悲痛な声が響き渡った。


 ──罪滅ぼし


 まるで、今までの兄妹弟の関係をくつがえすような、その悲しい言葉に、飛鳥が言葉をつぐみ、蓮と隆臣が眉を顰める。


 今まで、ずっと一緒だった。

 母がいない寂しさなんて、感じなくなるくらい。


 だけど、兄から向けられたその「愛情」が、母親を奪ったことによる「罪滅ぼし」からくるものだとしたら、これ程、辛いことはなかった。


 自分の青春のほとんどを犠牲にして、いつも家族を一番に考えてくれた兄。


 自分達が、今まで感じていたその温もりが


 与えられた「愛情」が


 全て「罪の意識」から来るものだったとしたら


「もし、そうなら……そっちの方が、許せないよ……っ」


 ずっと、そばにいてくれた大好きな人が、本当は、自分たちといるのが「苦痛」だったかもしれないなんて……


「そんなの……っ」


 ──辛い。


 自分たちの「存在」が、兄を苦しめていたかもしれないなんて、そんな──…っ


「お兄ちゃん、私たちといるの……嫌だった?」


「……」


 兄の青い瞳を見つめて、涙で、ぐちゃぐちゃになった顔で、華が問いかけた。


「本当は、お母さんのこと思いだして、辛かった?  もう、この際だから、はっきり言って」


 溢れる涙を袖で拭いながら、華は声を震わせながら問いかける。


 もしかしたら、その「兄の本心」を聞いてしまったら、もう、元の兄妹弟には、戻れないかもしれない。


 壊れても、元に戻して

 何度だってやり直して


 また、兄妹弟に戻ろうって決めたけど


 もし兄が、自分たちといるのが「苦痛」だったのだとしたら、もう、これ以上「兄」でいることを強要してはいけない気がした。


「ねぇ、ちゃんと答えて。お兄ちゃんは──私たちといて、だった?」

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