第298話 文化祭と不安


 あれから数日がたった金曜日の夜。


 文化祭を一週間後に控えた華は、リビングで飛鳥と共に芝居の稽古をしていた。


「はぁぁぁ!」


 新聞紙を丸めて作った剣を、王子飛鳥魔女に向けて振りかざすと、それはシュッと空気を切り、飛鳥の眼前まで迫る。だが


 ──バシィ!


 その剣はあっさり避けられ、代わりに新聞紙魔法の杖で背中をはたかれた。


「いったぁぁぁい!? ちょっと飛鳥兄ぃ、なにやってんの!?」


「何って……お前、そんなへなちょこな殺陣で魔女に勝てると思ってんの? もっと、新聞が折れる勢いで切りかかれよ」


「いや、これお芝居だから! 今のは王子に切られて魔女が倒れるところ! 台本通りにやってよ!!」


 台本を無視し、本格的指導に入る兄に、華がはたかれた背中を押さえながら叫んだ。


 色々あったが、あれから兄妹弟の雰囲気はいつも通りに戻り、ここ数日は、文化祭の練習なども重なり毎夜こんな感じだ。


 そして、そんな神木家に圧倒されつつ、エレナは、明日の授業の予習をしながら、その光景を呆然と見つめていた。


 この家で暮らして、もうすぐ一週間。エレナにとっては、経験したことのない騒がしさだった。


「ごめん、うるさいよね?」

「え……」


 すると、華と飛鳥のやり取りを見ていたエレナに、テーブルを挟み向かい合わせに座っていた蓮が、何気なしに問いかける。


「勉強、集中できない?」


「うんん、大丈夫です。ただ、いつもこんなに賑やかなのかなって」


「まー、大体いつもこんな感じかな。これで父さんが帰って来くれば、もっと騒がしくなるよ」


「もっと……」


 これ以上になるのか?と思いつつ、蓮の言った『父さん』と言う言葉に、エレナは視線を泳がせた。


 明日、この神木兄妹弟の父である"神木 侑斗"が帰国する。


(侑斗さんて……どんな人なんだろう)


 母が、ずっと大切に持ちあるいていた、あの写真の中の男の人。


 きっと母は、今も好きなんだと思った。その"侑斗さん"のことが──


(でも、その人のことが好きなら、なんでお母さんは、私のお父さんと結婚したんだろう)


 好きな人がいたのに、なんで結婚したの?


 私のお父さんのことは、好きじゃなかったの?


 じゃぁ、なんで、私を産んだの?


(スマホの暗証番号も、飛鳥さんの誕生日だったし……お母さんにとって、私は)


 漠然と良くないことばかり考える。


 母にとって自分は、どんな存在だったのだろう。好きでもない人の子供で、瞳の色だって青くはなくて、その上、モデルをさせても、幼い時の飛鳥さんみたいに大成してない。


(殺しちゃってもいいような子だったのかな?)


 包帯が外れた首に触れて、唇をきつく噛んだ。


 今、母は自分のことをどう思っているんだろう。もう、いらない子なのだろうか?


 約束を破った、悪い子だから──…



「エレナちゃん?」

「……!」


 不安げなエレナをみて蓮がまた声をかければ、エレナははっと我に返った。


「あ、ごめんなさい」


「いや……もしかして、うちの父さんに会うのが、不安だったりする?」


「そ、それは……」


 その言葉に、エレナは、手にしていた鉛筆をきつく握りしめた。正直、不安がないといえば嘘になる。


「ふ、不安……です。もし、受け入れてもらえなかったら、私、本当に行くところがなくなっちゃうから」


 この賑やかな時間も、今日までかもしれない。


 一時でも兄や姉が出来た、この穏やかで優しい時間も、明日には終わってしまうかもしれない。そう思うと、不安がどんどん増していく。


「それは、心配ないよ」

「え?」


 だが、そんなエレナに、蓮が再び声をかけた。何をしているのか、針と糸を持った蓮は縫い物をしながら話しつづける。


「うちの父さん、行く宛てのない女の子を追い出したりするような人じゃないから」


「で、でも私……離婚した相手の子だし 」


「まぁ、そうだけど、それでも、絶対大丈夫!」


「……っ」


 ──絶対、大丈夫。


 そのハッキリとした言葉に、じんわりと心が熱くなる。


「本当に……大丈夫かな?」


「うん。大丈夫だよ。じゃなきゃ、女子高生、引き取ってないって」


「あ……」


 瞬間、二人は『ゆり』のことを思いだした。


 昨晩、飛鳥の話の中で全て聞いた。ミサが刺したあと、華と蓮の母親である『阿須加 ゆり』が、その後、どうなったのかを


(でも、まさか父さんと母さんの馴れ初めが、兄貴を助けたことから始まってたなんてな)


 裁縫をする手を止め、蓮はリビングにある母の写真に目を向けると、改めて兄の話を思い出した。


 正直、とまどうこともあった。


 その頃、まだ女子高生だった母の家庭の事情とか。そしてそれ故に退院後、行く宛てがなかった母を、父が一時的に引き取った。


 だけど、二ヶ月ほど一緒に暮して、高校を卒業し仕事を始めた母は、一度は出ていったけど、結局離れて、また会いたくなって、最終的に


 ──二人は結婚した。


(なんか、すげーな。ドラマみたいだ)


 知らなかった、親の馴れ初め。気にはなっていたが、実際に知ると少し恥ずかしかった。


「まぁ、見ず知らずの女子高生を預かってたくらいなんだから、元妻の子でも大丈夫だろ」


「そ、そんなもんかな?」


「そんなもんだよ。仮に渋ったとしても、俺たちが3人で説得──いッ!?」


 瞬間、裁縫をしていた蓮の手に針が刺さった。


 ちなみに、さっきから珍しく何をしているのかというと、蓮は蓮で文化祭のコスプレ喫茶で使う衣装をつくっていたのだが


「うわ、なにやってんの?」

「血、出てるじゃん!?」


 弟の悲鳴に、芝居の稽古をしていた華が何ごとかと飛んでくると、その後、救急箱を持ってきた飛鳥が、蓮の手をとる。


「全く。話するのはいいけど、ちゃんと手元はみろよ」


「兄貴、やっぱ裁縫これやって。俺には無理。俺このままだと、文化祭、血だらけの指で執事しないといけなくなる」


「裾上げくらいで、血だらけにはならないよ。てか、なんで執事向いてないくせに、執事のコスプレすることになったの?」


 料理できない。

 裁縫できない。

 なにより、人に尽くせない。


 そんな末っ子の弟が、何ゆえ執事に?と、飛鳥が呆れかえると、その光景を見ていたエレナが、小さく小さく笑みを零した。


(暖かいなぁ……この家)


 暖かくて、優しくて、楽しくて、穏やかで、すごく、居心地がいい。


(私もお母さんと、こんな家をきづけたら良かったのに)


 そんなことを思いながら、エレナはゆっくりと目を閉じた。



 明日、この兄妹弟の父親が帰ってくる。


 まだ、少し不安はある。だけど、ちょっとだけ、大丈夫な気もしてきた。


 侑斗さんは、母が、ずっと好きだった人。


 そして、なにより、こんなにも優しい三人のお父さんだから──


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