第389話 特別とイチゴ


「兄貴、行ってらっしゃい!」


 二時前になり、出かける兄を、妹弟達が見送る。


 これから、あかりさんの家に向かう兄は、今日も変わらず、カッコ良かった。


 黒のジーンズを履いた脚はスラリと長いし、Vネックのシャツから覗く鎖骨は、これまた色っぽいし、更に、オシャレなジャケットを羽織る姿は、もう、ため息がでるほどの美男子だ。


 だが、今、その絶世の美男子の手には、が入った紙袋が握られていた。


 そう、華と葉月が一生懸命選んだ、あの服が!!


((なんだか、ドキドキしてきた……っ))


 出かけ間際、双子は緊張の面持ちで、兄を見つめた。


 兄は、これから、あかりさんの家で二人っきりになる。


 もちろん、初めてのことではない。

 だが、兄のことを考えると、どうにも気持ちが落ち着かない。


「じゃぁ、行ってくるね。帰りは」


「待って、飛鳥兄ぃ! 大丈夫だよね!?」


「大丈夫って、何が」


「だから、理性がはずれて、あかりさんを押し倒したりとか!」


「しないよ」


「ほんとかよ! わからないだろ、兄貴だって男なんだから! しかも、あかりさんの部屋で二人きりで脱いだり着たりするんだぞ!」


「脱ぐのも着るのも、だよ」


「うん、分かってるよ、飛鳥兄ぃは、今日女装しに行くんだもん! でも、万が一ってこともあるかもしれない!」


「そうだよ、だから、万が一朝帰りすることになったら、遠慮なく連絡して。俺たちは、二人だけでも大丈夫だから!」


「どんなミラクルが起これば、朝帰りすることになるの? ちゃんと6時には帰ってくるから。ていうか、エレナの前で変な話するな」


 にっこりと笑いつつ、双子を叱咤する。

 こんな純粋な小学生の前で、なんという会話を……


「ねぇ、飛鳥さん!」

「ん?」


 すると、今度はエレナが、飛鳥に近づき話しかけた。エレナは、キュッと飛鳥の服を引っぱると、コソッと耳打ちをする。


「あかりお姉ちゃんと飛鳥さん、とってもお似合いだと思う。だから、頑張ってね」


「……っ」


 その可愛らしい応援に、自然と胸が熱くなった。

 飛鳥は、エレナの頭をぽんと撫でると


「うん、ありがとう。頑張るよ」


 何を頑張れば、あかりの心を振り向かせられるのか、それは分からなかった。


 だけど、まだ、諦めきれない。


 あかりは、これまで生きてきて



 初めて、好きになった、特別な女の子だから……










 第389話 『特別とイチゴ』










***



「よし、いい感じ♪」


 午前中に買い物を終わらせたあかりは、その後、部屋の掃除をし、お昼を食べたあと、昨晩作って冷やしておいたデザートにデコレーションをしていた。


 あかりが、つくったのはチョコレートプリン。


 ビターチョコを多めにした甘さ控えめなプリンの上には、たっぷりの生クリームとハート型に切ったイチゴが綺麗にデコレーションされていた。そして、仕上げとばかりにブルーベリーとミントの葉を乗せれば、あっという間に上品なデザートが出来上がった。


 うん。なかなかの出来栄えだ。


 クリームの巻き方も綺麗だし、これも喫茶店で、キッチンのバイトを始めたおかげ!


「あ……」


 だが、そこに来てあかりは、はたと気づく。


(……イチゴの形、ハート型にきっちゃったけど、大丈夫だよね?)


 何気なく、バイト感覚で切ってしまったイチゴ。


 だが、このハートの形により、自分の恋心を悟られたりしないだろうか?

 あかりは、少しだけ不安になった。


 とはいえ、ハート型のイチゴは、ある意味、定番だ。街の中では、そこら中のデザートにハート型のイチゴが乗っているレベル。


(だ、大丈夫だよね? ただの飾りだし……)


 さすがに意識しすぎかと、あかりは、出来上がったデザートを冷蔵庫にしまいながら、ため息をついた。


 ちなみに、あかりが、今日デザートをつくったのは、バレンタインのお返しも兼ねて。


 バレンタインの日、あかりは、飛鳥から手作りのクッキーを貰った。


 そして、そのお返しに、花見に誘われたが、まだ、ちゃんとしたお返しはしていなかった。


 前に、実家に帰省した際に、お土産は渡したけど、やはり、ちゃんとお返しはしたい。


 そう思い、昨晩から、こうしてデザートを作ったのだが……


(手作りにしなくても、良かったかな?)


 買った方が良かったかも?

 もし、口に合わなかったら、どうしよう?


 いろいろ考えたら、不安になってきた。

 だが、今更変更はできない。


(……もうすぐ、着くかな?)


 壁にかけられた時計を見つめれば、今の時刻は、13時45分。2時までは、あと15分──


 そう思うと、また少し緊張してきた。


 あかりは、その後、気持ちを落ち着かせようと、一度窓を開け、ベランダに出た。


 初夏の風が吹く空は、なんとも清々しい。


 そして、その風を浴びながら、アパート前の公園を見つめれば、そこでは、子供たちが楽しそうに遊んでいた。


 泥まみれで水遊びをする子。滑り台で遊ぶ子。


 その無邪気な声に癒されたおかげか、ずっと忙しなかった心が、少しづつ落ち着いていく。


(みんな、可愛いなぁ……)


 子供は、嫌いじゃない。


 中学までは、いつか自分も子供を産むのだろうと、当たり前のように思っていた。


 好きな人と結婚して、家庭を作る。

 そんな未来に、憧れたものだった。


 だけど、そんな憧れも、あの日、見事に砕け散った。自分には、無理な話なのだと──


(神木さんも、子供が好きいってたっけ。きっと、いいお父さんになるんだろうなぁ。面倒見いいし)


 彼が、父親になった姿を想像する。

 案外、似合ってる気がした。


 そして、そんな彼の横に立つ女性は、どんな人なのだろう。


 きっと、みんなが納得する、素敵な女性だ。だが、自分ではない誰かを想像すれば、少しだけ切なくなった。


 だけど、仕方ない。

 自分には、無理なのだ、どうしても。


 だからこそ、離れなくてはならない。


 私は、神木さんには、相応しくないから──



「あれ、あかりちゃん!」

「……!」


 だが、その瞬間、真横から声が聞こえた。


 その声に、ゆっくりと隣のベランダを見つるると、そこにいたのは、ちょっとしつこい隣人・大野さんだった。

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