第804話 ご無沙汰してます2

 ロソネラ公と、二、三軽い商談を行って部屋を出ると、案内の老人が扉の外で待っていてくれた。


「お待たせしてすまない。ではゲルマニス公のところに」


 次はオライーのお兄ちゃんのところに挨拶だ、と考えていた僕を、困ったような顔の老人が身振りで制する。

 

「いえ。申し訳ございませんが、先程到着されたお客様に、ヘッセリンク伯爵様がいらっしゃっていることをお伝えしたところ、すぐに会いたいと」


 僕に会いたいお客さんですって?

 それはおかしな話だ。


「客というからには貴族だと思うが、私に積極的に会いたい貴族などいるかな?」


 こちとらトラブルメーカーヘッセリンクの当主ですよ?

 よっぽどの変わり者でもなければ、わざわざ会いたいなんて言わないと思うんだけど。

 そう言外に含むと、老人がゆっくりと首を振る。


「私からはなんとも」


「だろうな。では、先にそちらに伺おうか。後回しにして、伝言を託された貴方の立場が悪くなってもいけない」


 貴族なんていうのは元来ワガママな生き物だから、仮にこの老人が教会のトップだったとしても意に沿わなければクレームを入れる可能性は否定できないからね。

 僕の言葉を受け、老人は意外そうな表情を浮かべた。


「存外、お優しいのですな」


「教会内部で広めておいてくれると大変助かる。狂人と呼ばれる振る舞いは、父の代を以って終了した」


 僕が新しいヘッセリンクだ!

 ……へい、無言で視線を交わし合うんじゃないよヤング文官ズ。


【若い子達を困らせるのはお控えください】


 善処します。

 さて、案内について教会の廊下を進むと、目的の部屋に着いたらしく、先程ロソネラ公がいた部屋と同じ装飾の扉を老人がノックする。

 

「……よろしいでしょうか。ヘッセリンク伯爵ご夫妻とご家来衆をお連れいたしました」


「どうぞ」


 部屋から聞こえてきたのは、知っている声だった。

 なるほど。

 この人なら僕に会いたいというのもわかるし。ヘッセリンクを苦にしない変わり者でもある。


「やあ。ヘッセリンク伯。北では、随分ご活躍だったみたいだね」


「……ご無沙汰をしております、ラスブラン侯」


 ソファに腰掛けまま笑顔で迎えてくれたのは、僕の母方の祖父、『狂った風見鶏』ことラスブラン侯爵だった。


「本当にご無沙汰さ。寂しい老人に、たまには文くらいくれてもバチは当たらないんじゃないかな? 孫の活躍を、よりによってカナリアのクソガキから聞かされるなんて最悪の気分だったよ」


 本当は仲良いんだから言葉ほど最悪だと思ってないでしょう? なんて口にしたりはしない。

 絶対叱られるから。

 

「貴方に文を出すのは、全編にわたって添削されやしないかと緊張するんですよ」


 祖父のツンデレをいじる代わりに同僚貴族としての本音を伝えると、心外だというように天を仰いだままラスブラン侯が言う。


「ヘッセリンク伯爵としてラスブラン侯爵に文を出せばきっちり添削してあげるけど、孫から祖父への手紙に赤を入れるようなことはしないさ」


 これで本当に傷ついてくれるようならこの人はただの風見鶏止まりだっただろうが、なんせ『狂』の冠を被ったレアな風見鶏だ。

 これまでのお付き合いの教訓として、特に弱った素振りを信じてはいけない。


「そう言ったそばから赤いインクに手を伸ばすのがお祖父様でしょう?」


 そう投げ掛けると、天を仰いでいたところからゆっくりと顔を下ろし、僕に向けてニヤリと笑うと、なぜか後ろに控える家来衆に視線を移した。


「孫からこれほど信用がないのも悲しいものだ。そう思わないかな? エリクス君」


 名前を呼ばれるとは思わなかったのだろう。

 あの炎狂いと同じ時代を生きた大侯爵からの投げ掛けに、背後に立つエリクスが居住まいを正す気配を感じる。

 きっと文官として臨戦態勢をとったんだろうけど、ランダムエンカウントでラスボスにでくわしたような不運だ。

 そんな若手の反応が可笑しかったのか、ラスブラン侯がクツクツと喉の奥で笑う。


「そんなに身構えなくてもいいさ。君は、闇蛇のメアリと並ぶ将来の孫の側近候補だからね。祖父としては名前くらい押さえるさ」


 祖父は、もちろんラスブラン侯爵としてもね? と付け加えると、さらに言葉を続ける。


「それに、エリクス君はラスブラン侯爵領出身なんだってね。まったく惜しいことをした。いや、優秀な成績で学院に入り、卒業した領民がいることは把握していたのに、いつの間にやらヘッセリンクに囲い込まれてるというじゃないか。人には困っていないからついついそのあたりが疎かになっていたと、反省するいいきっかけになったよ」


「先に申し上げておきますが、僕の家来衆は皆非売品です。いくらお祖父様でも、手を出そうというなら容赦致しません」


【我が家は他所から引き抜くが、他所がうちから引き抜くこと罷りならん! ということですね?】

 

 変形のジャイアニズムをぶち上げる僕に、ラスブラン侯が肩をすくめてみせる。


「おお、怖い。そう凄まなくともそんなこと考えちゃいないから安心しなさい。エリクス君……と、君達二人も文官かな? いいかい? レックスはこのとおり暴走しがちだし、奥方はどれだけ平時に穏やかで優しかろうと、歴代夫の暴走を止めるどころか火に薪をくべる傾向にある」


 失礼な。

 僕は暴走なんてしないし、エイミーちゃんだって、エイミーちゃんだって……うん。

 火魔法使いだから燃やすのはお手のものだよね。

 

「そんな当主夫妻を止めるのは君たちの役目だと心得なさい。難しいことを言っているのは理解しているが、将来的にそれができるよう研鑽を積むことを期待しているよ」

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