第603話 仕上がり
カナリア公爵領にやってきて百余日。
ただひたすらに走り、跳び、重いものを振り回し、おじ様達と殴り合う。
そんな脳みその隅々まで筋肉に変えていく作業を繰り返す日々を過ごした僕達。
メアリは血反吐を吐きながらカナリア公に鍛えられ、エリクスは連日おじ様達に捕まり最後のほうは文官修行をぶん投げるハメに陥った。
もちろん許可を出したのは僕だ。
僕は僕でサルヴァ子爵との模擬戦を軸に、体力に物を言わせて泥試合に引き摺り込む得意戦法に磨きをかけるため、スタミナ強化に向けた走り込みに精を出した。
そんな僕達ヘッセリンク組に、ついにカナリアブートキャンプを卒業する日がやってくる。
帰り支度を済ませて屋敷前に並ぶ僕達を、修行に付き合ってくれたおじ様達が勢揃いで見送ってくれた。
「ふむ。まあまあ仕上がったというところじゃな。特に小僧二人は見違えた。なかなかの面構えじゃ。ラッチ。どう思う?」
二人の肩をバンバンと叩きながら笑うカナリア公。
水を向けられたサルヴァ子爵も満足そうに頷き、エリクスに視線を向ける。
「そうですな。まずはエリクス。もともとが細かったというところはありますが、相応に見れる身体になったのではないかと」
「ありがとうございます! サルヴァ子爵様!」
声がでかい!
この百日で一番風貌が変わったのがエリクスだろう。
もちろん身体が大きくなったのもあるがそれだけじゃない。
持ち前の根性と負けん気で文官修行と筋肉修行を両立しようとした結果、髭を剃る時間も惜しかったらしく、厳つい髭面になっている。
その真っ直ぐな眼差しを受けたサルヴァ子爵が右手を差し出すと、髭の若手ががっちりと両手で握る。
「ただ、貴様に教えたのは基礎の基礎のそのまた基礎だ。未だ筋肉に使われる側だということを忘れず、引き続き精進しろ!」
「はいっ! カナリア公爵様、サルヴァ子爵様、さらには諸先輩方の教えを胸に、引き続きオーレナングで鍛えていく所存であります!」
変わるのは見た目だけでいいんだよ?
そう言いたいところだったけど、サルヴァ子爵ががっちりと抱擁したのを見れば黙っておくほかない。
「いい返事だ! 壁にぶつかったならいつでもサルヴァ子爵領に来い。私直々に鍛えてやろう!」
「ありがとうございます!」
文官が筋肉絡みで壁にぶつかるケースなんてない。
とは言い切れないのが実にヘッセリンク。
そんな意味不明のやりとりのあと、おじ様達に胴上げされるエリクスを尻目に、カナリア公がメアリの講評に移る。
「メアリは、今の段階では言うことはないかのう。対人という意味では不足なし。それを魔獣退治にどう生かすかは教えてやれんからジャン坊あたりに聞いて自分で落とし込むがよい」
シンプルに『よくできました』という評価らしい。
メアリの方も不満そうな顔は一切見せず、軽く頷いて応じる。
「あいよ。ほんとは聖騎士オドルスキみたいな筋肉に憧れてたけど、言われたとおり向いてねえことはやめとくわ。最終的には、昔の俺を生かすほうがいいってわかっただけでここに来た甲斐があった」
メアリのパンプアップの到達点はオドルスキだったらしいけど、それを聞いたカナリア公に闇蛇で身につけた良さを捨てる気かとお説教されたメアリ。
そこからはほぼマンツーマンで指導を受ける日々を送っていた。
分厚さではなく、精悍さが増した気がする。
「皆さん。短い間でしたが、お世話になりました」
メアリが珍しく丁寧な言葉で挨拶を繰り出すと、おじ様達から一斉にどよめきが起き、その後盛大な拍手や指笛が送られた。
「ふん。お前もまだまだ先は長いぞ? 修行に終わりはないと思え。いくら可愛い弟分でも、鍛錬を怠りついて来れなくなれば平気で振り落としていく。それがヘッセリンクじゃ」
振り落とさないよ?
みんなで一緒に歩んでいこうというのが僕の方針ですけど?
「それはほんとにそう。だから爺さんみたいな世界一に指がかかってるような化け物も鍛えるのやめねえんだよ」
どうやら方針が伝わってないようなので、帰る道中懇々と言い聞かせることにしよう。
「メアリ、それは違うぞ? あのイカれた友人は昔からあんなものだ。寝るか食うか鍛えるかしか選択肢がない。六十も越えればそれはもう変えられないのだろう」
ジャンジャックへの解像度はヘッセリンク並のサルヴァ子爵。
その慰め混じりの言葉に、メアリが諦めたように首を振る。
「ヘッセリンクが関係ねえなら、よりバケモンだわ。いつ追いつけるのか全然見えねえ」
「ジャン坊を目標に据えられるだけ立派なもんじゃて。まあ、子供も生まれるんじゃ。やんちゃは控えつつ精進せい。さて、最後にヘッセリンクの」
来た来た来ました!
真打登場!
さあ、褒めてくださいよカナリア公!
筋肉量が増えたところかな?
それとも、より磨きのかかったフライングボディアタックかな?
「特段言うことはないのう。精々頑張れ。では、解散!」
「お待ちください! いや、それはないでしょう! 私もこの百日ほどかなり鍛えられたはずですがふっ?」
あまりのことにすがる勢いで距離を詰めた僕の顔に、遠慮のないアイアンクローを放ちながらニッコリ笑うカナリア公。
「冗談じゃよ冗談」
冗談にしてはすごく痛いんですがそれは。
【元国軍トップのアイアンクローを受けてすごく痛いで済むなんて、修行の成果がでていますね!】
おかしいな。
顔面の強度を鍛えた記憶はないんだけど。
「では改めて。ヘッセリンクの、よく頑張ったのう。今のお主なら大丈夫じゃ。一昼夜どころか、二日三日でも奥方を膝に乗せておくことも可能じゃろう」
【おめでとうございますレックス様。早速オーレナングで修行の成果を奥様に披露しましょう!】
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