第648話 実技試験(文官)
よく考えたら、レックス・ヘッセリンクが伯爵位に就いてから、文官を雇うための面談はしても実技試験を行うのは初めてかもしれない。
内容は全部ハメスロットに任せているので何をするのか聞かされていないけど、いきなり森に連れ出すなんて蛮族じみたことはしないはずだ。
【蛮族引きずってるじゃないですかやだー】
別に引きずってませんけど?
ええ、そんな事実は少ししかありませんとも。
コマンドとのライトなキャッチボールをしていると、ハメスロット達三人はオライー君を文官組が普段使っている部屋に連れて行き、それぞれ定位置である席についた。
受験者には、試験官であるハメスロットの対面に席が用意される。
そして始まる通常業務。
ハメスロットが無言で渡す書類をエリクスとデミケルが無表情で精査し、誤りがあれば補正したうえで筆頭文官の横に置かれた箱に投げ込んでいく。
試験開始の合図もなく動き始めた三人に戸惑いの表情を浮かべたオライー君だったけど、これが試験だと思い出したらしい。
自らハメスロットの前に進み出て書類を要求してみせた。
やるね、若者。
伊達にトップ貴族の家で揉まれてないようだ。
そこから約二時間、ひたすら書類を捌き続けた四人。
ハメスロットが突然ぱんぱんっと手を叩くと、エリクスとデミケルは落ち着いた表情で手元の書類を整え、オライー君は疲労困憊といったように机に突っ伏した。
「まあ、年齢と経験を考えれば及第点でしょう」
そんな若者を咎めることはせず前向きな評価を口にするハメスロット。
そんな筆頭試験官に、厳しい顔で弟の試験を見守っていたシーズさんが、発言を求めて挙手した。
「ハメスロット殿、一つ質問をしてもよろしいでしょうか」
「はい、構いませんよ? 仕官に向けた試験というのは相互理解が大事です。伯爵様からも、可能な限りオライー殿の持つ疑問点に答えるよう言われております。本人がこの状態なので、お姉様の質問に答えることにしましょう」
ハメスロットが笑顔を浮かべると、シーズさんが頭を下げて感謝を示す。
「では遠慮なく。これは、本当に試験ですか?」
鋭い視線でそう問うお姉さんに対し、問われたハメスロットは笑顔を消し、真面目な顔で応じた。
「ええ。間違いなくヘッセリンク伯爵家の文官登用試験で間違いありません。何かおかしな点でもございましたか?」
「実技試験というからには、複雑な計算や法の解釈にかかる議論が主だと思っていた私は、甘かったのでしょうか」
僕も、まさか実技が本当に実技だったなんて思わなかった。
しかもなんの説明もなくよーいどんで走り出して、何周走ればいいかわからないタイプの試験。
十代の若者相手に鬼かと言いたい。
「他の家に仕官される場合においては、まさにそれらが試験科目として課されることになったはず。それを考えればシーズ様が甘いとは一概には言えますまい」
そこで一度言葉を切ったハメスロット。
しかし、間をおかずにただ、と話を続ける。
「残念ながらここはヘッセリンク伯爵領オーレナング。他の貴族家とは、ほんの少しだけ毛色が違うところがございますので、もしかしたら、ご本人も戸惑われたかもしれませんね」
それを聞き、突っ伏していたオライー君がようやく顔を上げる。
「これは実技試験ではなく、研修と呼ばれるものだと思うのですが」
「あっはっは! おかしなことを仰る! デミケルさん。オライー殿にこれが研修などではないことを説明して差し上げてください」
ハメスロットの爆笑を聞いた弟子二人の背筋が伸びたのが気になるけど、突っ込む前に指名されたデミケルが一歩進み出た。
「オライー殿、これは間違いなく実技試験です。なぜと言われれば、本物の日常は、こんなものではありませんから」
「……え?」
目を点にしたのはオライー君だけではない。
お姉さんであるシーズさんもデミケルの言葉を聞いて目を丸くしている。
「雰囲気を掴んでいただこうと本物の執務室で本物の書類を使用していますが、担当していただいた仕事の量は、普段の半分……でも言い過ぎですね。実質三分の一程度です」
何か言いたそうに口をぱくぱくさせたオライー君が、助けを求めるようにエリクスに視線を向けた。
わかる。
見た目はエリクスが一番優しげだからね。
「まさか、と思われたでしょうが、そのまさかです」
エリクスが首を横に振りながら事実であると告げ、そこからはハメスロットが解説を引き取る。
「ゲルマニス公爵家は文官の数も多いでしょうから、一人当たりの担当業務がもしかすると当家より少ないのかもしれませんね。ちなみに、ジャンジャック殿あたりの興が乗って大量の魔獣を討伐してきたりしたらそれはもう大変です。目を通す書類も、それに伴う事後処理も、とにかくやることの数が跳ね上がります」
ほんとにあった怖い話らしく、その時のことを思い出したらしい若手二人の顔が著しく曇った。
「大丈夫。心配するなオライー殿。流石のハメスロットも初めから処理しきれないような高強度の仕事を課すようなことはしないさ。そうだろう?」
「もちろんでございます」
二人の様子からこれ以上はいけないと判断した僕がそうフォローすると、ハメスロットも穏やかな笑みを浮かべて頷いてくれる。
「その代わり、できるかできないかギリギリのところを攻めてこられますけどね……」
「ええ。音を上げられない絶妙なところを……」
「そこの二人。言いたいことがあるなら聞きますよ?」
「いいえ! お師匠様に言いたいことなどありません。そうだよね、デミケル君」
小声のやり取りを聞き咎められたエリクスが再び背筋を伸ばし、デミケルも合わせるように気をつけの姿勢をとる。
「エリクスさんの仰るとおりです! ところで、及第点ということは、オライー殿は合格ということでよろしいのですか?」
デミケルの強引な話題転換。
ハメスロットもそれ以上追及するつもりはないらしく、弟子の質問に軽く頷いた。
「正式な合否は伯爵様と詳しく協議させていただいてからになりますが、文官としては特段問題ない水準ですよ」
ハメスロットが前向きなら僕から言うことはない。
文官としては合格、と。
「オライー殿、ご苦労だったな。今日はゆっくり休んでくれ。明日は朝から、引き続き実技試験を実施させてもらうつもりだ」
文官としては合格。
では、ヘッセリンク伯爵家の家来衆としては?
「くれぐれも、夜更かしなどしないように。いいかな?」
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