第718話 リンギオおじ様
僕達夫婦と妹夫婦、さらにはオドルスキ家族とメアリがダイゼ君に案内されて屋敷の奥に進む。
通されたのは広めの応接室で、扉が開くと、エスパール伯が両手を広げて出迎えてくれた。
ちなみに、ちょび髭を剃った後、エスパール伯が別人のように穏やかに過ごしていることから、呪いの装備だったのではないかと一部界隈で噂されているらしい。
貴族の慣習に則り、若輩者である僕から挨拶するため前に出ると、上機嫌なおじ様がさらに頬を緩める。
もちろん僕に会えて嬉しいからというわけではない。
その視線は余裕で僕を通り越し、我が家の天使に固定されていた。
「おお! ユミカ嬢! 久しぶりだな! さ、もっと近くへ!」
先程のダイゼ君がしたように床に両膝をついてユミカを呼ぶ北の支配者さん。
名前を呼ばれたユミカは、笑顔でトコトコと進み出ると、僕の横に並んで深々と頭を下げた。
「リンギオおじ様! お久しぶりです! 綺麗な剣をたくさんありがとうございました!」
サブスクかと疑いたくなるくらい定期的に届くからね、エスパール伯爵領製の剣。
そんなにいらねえっすと伝えても、好きでやってることだから気にするなという手紙と共に刃物が贈られてくる。
噛み合わないまま、ユミカ専用装備はそろそろ二桁に届きそうです。
「礼など不要だ。本当なら鎧兜も私が贈ってやりたかったのだが」
その呟きを聞いたユミカが、まじりっけなしの悪気ゼロで言う。
「鎧はロニーお爺様からいただきました!」
ピシッ! と空気が凍る音が聞こえたのは気のせいではないだろう。
音の発信源であるエスパール伯は、自らを落ち着かせるように二、三度深呼吸をすると、ユミカではなく、僕に笑みを向けてきた。
得体が知れなくて怖えっす。
「ヘッセリンク伯。ユミカ嬢はこれからどんどん背が伸びるだろう。つまり、カナリア公が贈った鎧も小さくなるのでは? であれば、私が新しい鎧を贈るのも吝かでは」
どんだけユミカに好かれたいんだこのおじ様。
ここまで来ると行き過ぎな感があるので心を鬼にして釘を刺そうとすると、僕が物を言う前に息子さんが厳しい口調で親父を叱りつけた。
「父上。せっかく足を運んでいただいたヘッセリンク伯とリスチャード様への挨拶もなしにとは、行儀が悪すぎるのでは? 確かに伯爵位を私に譲ることは決まっておりますが、それでもこの瞬間は父上がエスパール伯爵家当主なのです。お客様方の前でだらしない姿を見せられては、困りますね」
流石に後継者であるダイゼ君に叱られたとあっては正気に戻らざるを得なかったらしく、いつの間にか焦点がぼやけていたエスパール伯のピントが段々と合っていく。
「ふぅ、わかったわかった。ユミカ嬢の可愛いさについ、な。んんっ! 見苦しいところをお見せして申し訳ない。皆様、ようこそエスパール伯爵領へ。エスパール伯爵家当主として、心から歓迎いたす」
咳払い一つであら不思議。
今の今まで盛大に血迷っていたとはとても思えない、レプミアの北を守る大貴族が現れた。
これでようやく話ができるというものだ。
「ご招待をいただき、厚かましくも押し掛けました。土産はご家来衆にお渡ししておりますので、後ほどご確認ください」
お肉とかお肉とかお肉とか濃緑の葉っぱとか、たくさん用意したのできっと喜んでもらえるだろう。
「お気遣い痛み入る。さて、先程の話だが」
「父上……」
さあ挨拶は終わったとばかりに話を戻そうとする懲りないエスパール伯に、ダイゼ君がキッ! と目を吊り上げた。
もう一息で親子喧嘩が始まりそうな雰囲気を察し、宥めるように二人の間に割って入る。
「まあまあ。いいではないかダイゼ殿。エスパール伯、確かにユミカはこれからどんどん大きくなるでしょうが、申し訳ない。カナリア公からこの子に贈られた鎧。実は、一つだけではないのです」
そう伝えると、何が言いたいかを察したらしい元ちょび髭伯がこれでもかと目を見開き、絶叫した。
「あのジジイ、まさか!」
盛大なジジイ呼ばわりと同時に、怒りでワナワナと震え始めるエスパール伯。
その様子を見たダイゼ君は、恥ずかしそうに片手で顔を覆って首を振っている。
「お察しのとおり、カナリア公からは、この子の成長を見越して複数の鎧が届きました。そのお陰で、オドルスキ達の家の横にユミカ用の武具保管庫を作る羽目に」
エスパール伯から贈られた複数の美しい剣と、カナリア公から贈られた複数の美しい鎧が常設展示されている様は、ユミカミュージアムと言っても差し支えない状態だ。
一度ジャンジャックの傷だらけの鎧やオドルスキの大剣を一緒に飾ってみたんだけど、ユミカに贈られたそれらは、美術品としての側面が強いことがわかった。
どうやら、カナリア公もエスパール伯もアクセサリーを贈るノリで武具を贈ってきているらしい。
「くっ! やることが汚い! 金に物を言わせるとは! 天に唾する行為ではないか!」
エスパール伯が、膝をついたまま床を叩き、憎々しげに呪詛を吐く。
やってること、カナリア公と変わりませんよ? とは怖くてとても言えない雰囲気のなか、ちょび髭時代のエスパール伯を知るメアリの呆れたような呟きが部屋に響いた。
「エスパールのおっさんって、こんなんだったっけ? ほんとにフィルミーの兄ちゃんに殴り倒されたのと同じおっさんか?」
「こらメアリ。言いたいことはわかるが、おっさんはやめないか。申し訳ございません、エスパール伯」
悪気はないんです。
ただ人よりかなり正直なだけで。
僕が軽く頭を下げると、おっさん呼ばわりされたエスパール伯が笑顔で手を振る。
「なに、構いはしない。オーレナングの森で命の危険に晒されたあの時から、生まれ変わったような気分で過ごしているのでな。多少のことでは心揺れたりはしなくなった」
カナリア公をジジイ呼ばわりする程度には心揺れまくってましたけどね。
そう思いつつ穏やかに微笑むエスパール伯を眺めていると、ダイゼ君が面倒くさそうな表情で口を開く。
「そんなにカナリア公よりもいい物を贈りたいのなら、大剣でも拵えてあげればいいでしょう。彼女も将来的にはオドルスキ殿と同じ大剣使いを目指しているとか」
「馬鹿を言うなダイゼ! ユミカ嬢が大剣に並々ならぬ思いを持っていることは私も知っているが、なればこそ、それを贈る権利は父であるオドルスキ殿にしかない。それを理解しているからこそ、私もカナリア公も、そしてヘッセリンク伯もそれ以外の贈り物で勝負しているのだ。そうだろう? ヘッセリンク伯」
「いや、勝負などしていませんし、そもそも子供に剣やら鎧やらを贈らないでいただきたい。このままでは、服より鎧をたくさん持っている女の子になってしまいますからね?」
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