第181話 エイミー、そして料理人 ※主人公視点外

「若奥様、錆竜のソテー。おかわりをお持ちしました」


「ありがとう、アデル。ふふっ」


 今日もよく召し上がる若奥様の前に、ソテーという名の分厚いステーキを置くと、可愛らしい丸顔に笑みが浮かびます。

 この屋敷では、伯爵様のお母様と区別するために若奥様と呼ばれているエイミー様。

 だいぶお腹も大きくなっていらっしゃいますが、食欲は一分たりとも落ちる気配がありません。


「今日は特にご機嫌が良いように見えますが、何かございましたか?」


 普段から常に穏やかで微笑みを絶やさないエイミー様。

 怒っていらっしゃったのは、伯爵様がクリスウッド領から国都まで供も連れずに走ったと聞いた時くらいでしょうか。

 とにかく本当にお優しいエイミー様が、特に今日は目尻が下がってるように見えます。


「だって、愛しのレックス様が討伐した竜種のお肉ですもの。嬉しいに決まっているわ。私のために一番に届けると文をいただいたの。陛下よりも先に、ですって」


「まあまあ。流石は愛を司ると言われる伯爵様ですね」


 国王陛下に対して、お肉の現物を贈らず文で味の感想だけを伝えるという、私のような平民からみたら考えもつかない恐ろしい悪戯をしかける伯爵です。

 今回も陛下を後回しにしてエイミー様を優先したのですね。

 家来衆としてはその夫婦愛に感動を覚えます。

 

「本当なら、私がレックス様の隣に立って、ともに竜種を討伐したかったわ。氾濫のときもそう。私はまだ、レックス様の隣に立つに相応しい実力には至っていないの」


 エイミー様の強くなりたいは、伯爵様にもっと愛されたいという意味のある種の惚気です。

 そんな伯爵様一筋の可愛らしいエイミー様は、国都の屋敷の家来衆にもすぐに受け入れられました。

 伯爵様のお言葉を借りるなら、愛される能力が高いのでしょう。


「まあ! それでは、お子様を出産されたら一刻も早く体力を戻さなければなりませんね」


「ええ、そうね。この子が立派なヘッセリンクに育つまで、強い母親の姿を見せてあげたいわ」


 この場合の強いは、腕力のことなのか精神のことなのか。

 どちらにしても、私も乳母として、エイミー様のお子様を立派なヘッセリンクにお育てする所存ではあります。


「そのためにはしっかり食べて体力をつけないと。このスープもとても美味しいわね。アデル、おかわりをいただけるかしら?」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 お申し付けに頭を下げて静々と部屋を出ます。

 そして。

 部屋を出た瞬間、髪が乱れることも気にせず厨房まで全力疾走です。

 メイドさんや元闇蛇の子とすれ違いますが気にする暇はありません。

 腕を振り、腿を上げて、一秒でも早く目的地に着くよう長い廊下を駆けます。


「料理長!! 若奥様がスープのおかわりをご所望です!! あと、おそらくソテーも、もう一皿、いえ、二皿は召し上がるかと!!」


 今日厨房に駆け込むのは何度目でしょうか。

 到着すると同時にオーダーを伝えると、料理長がわかっていたとばかりに動きを早めます。


「ソテーは都合六皿目ですよ? かあっ! 今日もよく召し上がるものだ!! やるぞお前ら!!」


「はい! 料理長!」


「今日もスリル満点ですね我々の厨房は!」


 エイミー様がこの屋敷に入られた当初はその食欲を満たすために朝から晩までの過酷な労働を強いられて疲労困憊だった料理人の皆さんも、今ではすっかり慣れたようです。

 料理に取り掛かる笑顔に余裕すら感じます。


「アデル姐さん、申し訳ないが若奥様にもう少しお待ちいただくよう伝えてもらっていいだろうか。スープはすぐだが、ソテーは時間がかかる」

 

 あまりにも食べ過ぎるエイミー様を叱る姿を見られて以降、料理長に姐さんと呼ばれるようになりました。

 

「承知しました。ではその間になにかつまめるものはあるでしょうか。甘くても辛くてもいいのですが。できればよく噛む必要のある歯応えのあるものを」


 私の注文に少しだけ中空を見つめた料理長でしたが、すぐに若い子に指示を出します。


「おい! カニルーニャから送られてきた物資の中に干した小魚があったろ! 軽く炙ってお出ししろ! くれぐれも焦がすんじゃないぞ!」


 その小魚を干したものは、おそらく煮出して出汁を取る用ですが、エイミー様なら喜んで箸休め的に召し上がるでしょう。

 素晴らしい判断です。


「任せてくださいよ料理長。どれだけ若奥様に鍛えられたと思ってるんですか。今なら国都一忙しい店に勤めても、俺達は汗一つかきやしませんって」


 今や、この屋敷の厨房は、国内有数の忙しさを誇っていますので、彼らならどんな繁盛店に雇われても対応できるでしょう。

 

「流石は国都の料理人の皆さんね。オーレナングのマハダビキアさんやビーダーさんに勝るとも劣らないわ」


「いやいやいや! それは褒めすぎだろ姐さん。あのお二人のコンビネーションはこの国最高峰だ。他の家の料理人に負けるつもりはないし、自分達の腕も捨てたもんじゃないと思ってるが、オーレナングには勝てる気がしないね」


 この料理長も、ヘッセリンク伯爵家に雇われているだけあって、素晴らしい腕前の持ち主です。

 相応のプライドもあるはずなのに、はっきりとオーレナングには勝てないと口にしたことに驚きました。


「ご謙遜を」


「謙遜ならどれだけいいか。勝てないものは勝てない。だが、その差を埋める努力はしてるつもりだ。俺もヘッセリンク伯爵家の料理人ですからね」


 やはり素晴らしい。

 勝てないから諦めて腐るのではなく、今は勝てないけど差を埋める努力を続ける。

 その精神性はやはりヘッセリンクの家来衆なのだと。


「いやあ、料理長が朝から鍋を振る練習してるの見た時は目を疑いましたよ」


「な、見てやがったのか!? そういうのは黙っておくもんだろ! 恥かくだろうが!」


 そんな若い子の指摘に顔を赤くして怒鳴りつける料理長。

 どうやら基礎的な動きから見直そうと、隠れて練習していたらしいのです。


「素晴らしい。若奥様のご出産が無事に済んでオーレナングに戻った暁には、皆さんのことを伯爵様にお伝えしないといけませんね。国都の料理人は素晴らしい方々だったと」


 伯爵様には、国都の屋敷の様子を伝えるようにも指示を受けています。

 主に気になるところを、とは言われていますが、素敵な部分を伝えても問題はないでしょう。


「あー、よしてくださいアデルの姐さん。俺達は当たり前のことをしてるだけだから」


「はい、できましたよアデルさん。とりあえずこれで繋いでおいてください。その間にソテーを仕上げてしまいます」


「ありがとうございます。でも、素晴らしい料理人の皆さんに寸志を出していただくようお願いすることくらいは許していただけるでしょう?」


「はっはっは! それはぜひお願いしたいですな!」

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