第182話 セアニア男爵領にて ※主人公視点外

「セアニア男爵領に住む諸君。今般、私の三女であるイリナが結婚することになった!」


  巻き起こる歓声。

 一体、どのくらいの人が集まっているのだろうか。

 伯爵様のご好意でセアニア男爵領にやってきた私は、到着してすぐに街の中心にあたる広場に連れて来られた。

 そこで待っていたのは、人、人、人。

 何かの催しかと思っていたら、ステージが用意されており、男爵様がイリナを伴って登壇された。

 沸き立つ人々に笑顔で手を振り、静まったのを見計らっての冒頭の発言だ。

 

「イリナお嬢様ああ!!」


「おめでとうございますお嬢様!!」


「あんなに大きくなられて……。イリナお嬢様!! おめでとうございます!!」


 歓声の量で、イリナが領民に愛されていることがよくわかる。

 そのことに嬉しさを感じていると、セアニア男爵様が手招きしているではないか。

 まさかとは思ったが、イリナに手を引かれて壇上に上げられてしまう。

 

「ありがとう。ありがとう諸君。イリナのお相手だが、こちらのフィルミー騎士爵殿だ!」


 静まり返る領民の皆さん。

 突き刺さる、大量の「誰だお前」という視線。

 胃が痛い。

 この胃の痛みはエスパール伯を殴り倒した後、伯爵様に名前を呼ばれた時以来だ。

 よく考えるとつい最近だが、最近の私は紆余曲折があり過ぎる。


「そうだろうそうだろう。聞いたことのない名前だろう。イリナを愛してくれている皆のことだ。何処の馬の骨ともわからぬ男に嫁ぐことに不満がある者もいるかもしれない」


 まあそうだろう。

 愛してやまない領主の娘が無名の男と結婚なんてと思われても仕方ない。

 ただ、ここでセアニア男爵様が私の肩を親しげに抱き、声量を一段階上げる。


「聞け、我が領民達よ! このフィルミー騎士爵は、十貴院の四、アルテミトス侯爵家、その領軍で斥候隊長を務めていた男だ」


 一部からおおっ! という歓声が上がる。

 流石はアルテミトス侯爵様だ。

 

「さらには! 現在、あの護国卿ヘッセリンク伯爵の家来衆に名を連ねている」


 おおおおっ!! と、先ほどを上回る歓声。

 伯爵様の名前が色んな意味で国中に知られているからか、先ほどよりも私に興味を示す視線が増えたような気がする。

 だが、セアニア男爵様はまだ止まらない。


「さらにさらに! あの伝説の鏖殺将軍ジャンジャックの弟子として、先日発生した魔獣の森の氾濫において竜種の討伐を成し遂げた我が国で最も新しい英雄である!!」


 うおおおおおっ!!! という、本日最大級の歓声は、相応の広さを持つ広場中にこだまし、空気を激しく震わせた。

 私が何者かを示す肩書きが、アルテミトス侯爵領軍の斥候隊長でもヘッセリンク伯爵家の家来衆でもなく、鏖殺将軍の弟子だとは想像していなかった。

 これ以上の歓声はないだろうと思える人々の声。

 だが、次の男爵様の言葉で、人々の歓声は最高潮となった。


「そしてなにより。イリナを娶るため。そのためだけに平民から騎士爵に成り上がったと言うではないか! どうだ! これでもフィルミー殿がイリナに相応しくないという者はいるか!!?」


「フィルミー様!!」


「イリナ様を、イリナ様をよろしくお願いいたします!!」


「イリナ様を泣かせたら許さないからなあ!!」


 その歓声は、数分間やむことはなく、私はイリナとともにひたすら手を振る羽目になった。


「煽りすぎですよ、セアニア男爵様」


 屋敷でお茶を啜りながら、そう言わずにはいられなかった。

 あの後、なぜか握手を求める人々の対応に追われ、気付いたら日が沈みかけていたのだから。

 そんな私の苦情を苦笑いで躱そうとする義父。


「親が言うのもなんだが、イリナは領民に愛されているからな。領民の愛する『お嬢様』を娶る男へのよろしくない視線を鎮めるには、あのくらいやらねばいかんだろう」


「そんなものですか。やはり貴族というのは大変ですね」


「今は貴方も貴族でしょう、フィルミー殿」


 ああ、そう言えばそうだった。

 イリナと結ばれるためにもぎ取ったと言っても過言ではない騎士爵だが、貴族になったという自覚はない。


「そうは言いますがね……。最近まで平民だった私には荷が重いのですよ」


 私の向かいに座り、笑みを浮かべているのはイリナの一番上の兄であるクリバ殿。

 次期セアニア男爵だ。

 歳は彼の方が私より十近く下だが、やはり貴族の嫡男ともなると落ち着きがある。


「私としては、フィルミー殿のような義弟が出来て心強い限りです。関係上私が義兄になるわけですが、頼りにさせてもらいます」


「ご期待に添えればいいのですが。ああ、もし獣や魔獣が出たら呼んでください。なんとかいたしますので」


 得意分野というか、私がこの家に貢献できることがあるとすれば、そこに限定されてしまうだろう。

 

「我が領で魔獣が出てしまったらどうしようもなくなるのですが……」


「死に物狂いで籠城してください。私と、ヘッセリンクの家来衆が必ず駆けつけます」


 脅威度Cまでなら私一人で、Bならメアリやクーデルを連れて、Aなら師匠に頭を下げて。

 イリナのために必ず守り切る。

 そう心に決めていると、クリバ殿がなるほどと頷いている。


「迂闊にもときめきました。これはイリナが惚れるわけだ。我が妹ながらよくフィルミー殿を射止めたと、あとで褒めてやらないと」


「殺伐とした魔獣の森で、イリナは数少ない癒しの存在でしたから。私のような武辺者を好いてくれたことに感謝していますよ」


 確かに、どちらかというとイリナからのアプローチが積極的だったのは事実だが、流されたわけではなく、私も心から彼女を愛したうえでのこの結果だ。


「おやおや。いけませんな、フィルミー殿。可愛い妹を取られた可哀想な兄の前で堂々と惚気るとは。酒でも飲みながら、妹のどこを気に入ったのか詳しく教えてもらうとしましょう。今夜は寝かせませんよ?」

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