第105話 天使のおねだり

 最近出張続きでユミカと触れ合っていないことに思い当たったので、飴玉をしこたまポケットに忍ばせて会いにいくことにした。

 アリスに確認したところ、この時間は空き部屋の一つで勉強しているらしい。

 感心感心。


「あ、お兄様!」


 部屋に入ってきた僕に気づいたユミカが満面の笑みでブンブンと手を振ってくれる。

 これこれ!

 あー癒される。


「伯爵様。今日明日は休暇日だと聞いていましたが。なにかございましたか?」


 頬を緩めまくる僕に声をかけてきたのは、我が家の若手文官エリクス。

 初めて会った時は線の細いもやしっ子だった彼も、森に入る回数が増えたことで若干引き締まってきたように見える。

 いいことだ。


「いや。流石に皆の好意を無にしてまで働こうとは思っていないさ。最近忙しくてユミカとコミュニケーションを取っていなかったのでな」


「嬉しい! ユミカに会いに来てくださったのね! あ、でも、今はエリクス兄様にお勉強を教えてもらっているの」


「ん? 今日はハメスロットではなくエリクスが教師役か?」


 普段、メアリ、クーデル、ユミカの三人の家庭教師は、執事ハメスロットに任せている。

 カニルーニャ伯爵家の家宰を務めていただけあって、彼は博識だ。

 ジャンジャックやオドルスキも知識は豊富だけど偏っているうえに教えるという行為自体が向いていないと判断した。

 二人とも肉体言語を用いる傾向にあるからね。

 ジャンジャックはフィルミーに。

 オドルスキはクーデルに。

 身体で覚えて慣れろとばかりにしごいてるのを見れば、とてもじゃないがユミカの家庭教師なんて任せるつもりにはならない。


「ええ。お師匠様は伯爵様がお休みの間に可能な限り書類仕事を終えてしまいたいと仰いまして。今日明日は自分がユミカちゃんの家庭教師を仰せつかりました」


 家来の鑑だなハメスロット。

 また給料を上げたくなるけど、僕の匙加減で無闇に給料をいじるなって叱られたんだよなあ。

 下げてないんだからいいじゃないとは思うんだけど、当たり前のことしかしていないのに給料が上がったら示しがつかないと言われた。

 ジャンジャックが現場復帰して以降、家の中の事を一手に引き受けていることは当たり前ではないんだけど、そこは頑として譲らない。

 本当に頑固。


「ハメスお爺さまも色んなこと教えてくださるけど、エリクス兄様も凄いの! ユミカの知らない色んなお花や動物の名前を教えてもらってるの!」


 若いエリクスは、どちらかというとユミカの嗜好に合わせたアプローチで授業を進めているらしい。

 護呪符の研究の一環で国中の植物や動物について調べ上げたことがあるらしく、その知識を活用してユミカが飽きないように話をしていたんだとか。


「そうかそうか。エリクス、ご苦労。ユミカは賢い子だがまだ子供だ。これからも機会を見てこの子が興味のあることを教えてやってくれ」


 いきなり取っ付きにくい歴史やら数字やらから入って勉強が嫌いになるのはいけないからね。

 若くて、より柔軟なエリクスならそのあたりを上手くやってくれるだろう。


「喜んで。知識を伝えるというのは自分の考えを整理することにも繋がりますし、なんといってもユミカちゃんは素直で飲み込みも早いですから。とても楽しいです」


 ユミカが褒められるのは僕も嬉しくなるね。

 まあ、エリクスも他の家来衆と同様に一人でいくつものことをこなそうとしている。

 文官、護呪符研究者、斥候見習い、そして家庭教師か。

 多能工化が過ぎる。

 

「とはいうものの無理はしないように。あくまでもできる範囲で構わないからな」


「心得ております。ユミカちゃん、せっかく伯爵様が来てくださったんだから、今日の授業はここまでにしようか」


「いいの!? わーい! エリクス兄様大好き!」

  

 大好き、だと?

 エリクスのことを?

 いや、落ち着けレックス・ヘッセリンク。

 まさかそんな。

 いやいや。


「そんな目を向けるのはおやめください。今の大好きは、まだ勉強の時間が残っているにも関わらず伯爵様との時間を過ごすことを許可した自分への感謝でしかありません。さらに申し上げるなら、自分はヘッセリンク紳士協定の遵守を誓った者です。抜け駆けなどいたしません」


 僕の視線に身の危険を感じたのか、スッと身を寄せてきたエリクスが、僕にだけ聞こえる音量でそう言い切った。

 ふっ、ヘッセリンク紳士協定を持ち出されては冷静にならざるを得ない。


「うむ。僕達ヘッセリンク伯爵家の人間は、ユミカの前において皆平等。そうだな?」


「仰るとおりです」


 ガッチリ握手を交わしていると、そんな僕達をユミカが上目遣いで見ていた。

 なにやってんだこいつらとか思われてたら立ち直れないところだったが、我が家の天使はそんな風にはできていない。


「ねえねえお兄様、エリクス兄様。ユミカね、お願いがあるの。聞いてくださる?」


 ユミカに甘々の僕がそんな可愛いおねだりを聞かないわけがないし、エリクスも床に膝をついて目線を合わせ、何でも聞いてあげる態勢だ。


「ユミカがおねだりなんて珍しいな。もちろんだとも。なにが欲しい? 魔獣の角や革ならばそれほど待たせずに手に入るが……」


「伯爵様、それを欲しがるのはどちらかというと自分です」


「あのね? お義父様とお義母様に、プレゼントをあげたいの。でも、ユミカは子供でお金なんてもってないから、森で綺麗なお花とか、美味しい果物とか、そういうものをとってきて渡してあげたいなって」


 神よ、天使の天使たる所以を僕は今日改めて知ることができました。

 こんな健気なお願いを断ることができるだろうか。

 いや、できない。

 ユミカが望むのであれば、我が家の総力を以って森の植物を刈り尽くすこともやぶさかではない。


「……エリクス。メアリとクーデル、ジャンジャックとフィルミーを招集しろ。ああ、マハダビキアも忘れるな。最優先だ」

 

 果物をプレゼントするなら丸のまま渡してもいいけど、加工するのも手だ。

 そうなると我が家のシェフの出番になるから、戦闘員とともに召集を指示したのだけど、鼻息荒く指示した側からエリクスに反論されてしまう。

 

「お気持ちは理解できますし、自分もこの命に代えて我が家の天使の願いを実現する所存です。が、しかし。伯爵様は明日一杯外出を禁止されております。メアリさん達は別件で手が離せないようですし、フィルミーさんは先程イリナさんに引き摺られていきました」


 そうだった!

 メアリ達は元闇蛇のピックアップ、フィルミーは怪我の手当て中。

 僕は動こうと思えば動けるんだけど、休暇という名の自宅軟禁中の身だ。

 これを無視しちゃうと、またエイミーちゃんを悲しませる可能性があるんだよなあ。


「すると、実働可能なのはジャンジャックのみか。くそっ! 森の植物を刈り尽くすには時間が掛かりすぎるな」


「あとは奥様でしょうか。ジャンジャックさんと自分の三人で森に入り、ユミカちゃんの納得のいく品を集められればと」


 戦闘要員としてジャンジャックとエイミーちゃん。

 知識要員としてエリクス。

 うん、森を刈り尽くすには手が足りないけど、ターゲットを絞り込めば十分対応できるかもしれないな。


「エイミー姉様とお爺さまとエリクス兄様が一緒に来てくださるの? 嬉しい!」


 ん?

 喜ぶユミカから、おかしな言葉が発せられたような気がする。

 一緒に?


「一緒にということは、ユミカも森に行くつもりなのか? いや、それは流石に許可できない。なにかあったらどうするんだ。エイミーやジャンジャックがユミカの希望するものを採って来てくれるから、いい子で待っていよう。な?」


 もちろんユミカが一緒でもエイミーちゃんとジャンジャックがいれば毛筋ほどの傷すらなく帰ってこれるだろうけど、それでも何があるかわからないのがあの森だ。

 それよりなにより、オドルスキとアリスに絶対反対されるだろう。

 二人へのプレゼントを取りに行くという理由を明かせないことを考えれば、僕が強権を発動しない限り首を縦には振らないはずだ。

 そもそも、子供を森に連れて行くために強権発動とか嫌すぎる。

 エリクスも当然同じ意見なので、ユミカの肩に手を添えて、優しく諭すように声をかける。


「そうだよ、ユミカちゃん。自分が植物に詳しいことはわかってくれたよね? だから、ユミカちゃんがどんなものが欲しいのか教えてくれたらちゃんとそれに近いものを持って帰ってくるから」


 依頼されたそのものではなくそれに近いものと伝えるあたり、エリクスの誠実さが滲み出ている。

 伝わるかわからないけど、成果を軽々しく確約しないのは、ユミカをちゃんと大人として扱っているからだ。


 そんなエリクスの言葉にしばらく黙り込んでいたけど、なんせ聞き分けのいい我が家の天使だ。


「……本当に? ユミカの代わりにお義父様達への贈り物、探してきてくれる?」


 最終的には大人を頼るという判断に辿り着いてくれた。

 ホッと息をついたエリクスが、優しく微笑みを浮かべてユミカに頷いて見せる。


「もちろん。伯爵様やジャンジャック様がユミカちゃんに嘘をついたことがあるかい?」


「お爺さまは嘘をつかないわ。お兄様は、危ないことをしないでってお願いしても、時々約束を破って危ないことをしてるけど……」


「伯爵様……」


 そんな目で見るなよエリクス。

 反省してるからさ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る