第104話 常識人以上、狂人未満

 我が家に協力してくれそうな元闇蛇をピックアップするため、メアリやクーデルも部屋を出て行ってしまったので、仕方なく屋敷内を散歩することにした。

 

 住んでいる人間が最低限な割に、来客を収容する部屋が考えられないほど作られているので相当広い。

 というか、基本的にこの屋敷に住んでいるのは僕とエイミーちゃん、メアリとクーデルだけだ。

 オドルスキ一家はつい最近家を建てたし、他の家来衆はこれまた巨大な離れに住んでいる。

 

 よく考えたら、あまりじっくり屋敷内を見て回ることもなかったなあ。

 普段何気なく通っている玄関には、歴代当主の愛用品が飾ってある。

 ちょっとした博物館で、結婚式の時には参列者が興味深そうに見学していた。

 この、どう考えても巨人にしか使えないような馬鹿デカい槍が僕の父、先代ヘッセリンク伯爵の愛用品。

 金と深紅で彩られて派手すぎるうえに、背中に黒で縁取られた金塊が刺繍されたヤバさ満点のローブが先々代の戦闘服。

 遡るとキリがないけど、少なくとも親父と爺さんの感性が完全に狂人だったことが理解できる。

 僕は爺さんと同じ魔法使い系統だからローブが飾られるんだろうけど、信じられないくらい地味な葡萄茶のローブなんだよなあ。

 この列に陳列されたら浮いて仕方ないだろう。

 でも、ギラギラしたローブなんか絶対着たくないし、悩みどころだ。


 人知れずそんな小さな悩みを抱えていると、外から家来衆の一人が帰ってきた。

 ハメスロットと並ぶ我が家の常識人枠、斥候のフィルミー。

 人柄も申し分なく、上から信頼され、下から慕われるという貴重な人材だ。

 そんな彼は、現在ジャンジャックの弟子として鍛錬に励んでいるのだけど、何かに襲われたのかと心配になるほど包帯でぐるぐる巻きになっていた。


「どうしたんだその傷は」


「伯爵様。いえ、少し厳しめの指導を受けまして。師匠曰く、次の段階への下準備だそうで、いつも以上に地面を転がる羽目になりました」


 フィルミーはアルテミトス侯爵家の元斥候隊長だった男なので、一般的な兵士が身に付ける基礎以上の技術は一通り修めているはずなのだけど、彼曰く、ジャンジャックに弟子入りして以降は新兵時代並に床に転がされているそうだ。

 非戦闘員のみんなは生傷が絶えないフィルミーを心配しているが、本人が楽しくて仕方ないと言って憚らないので、反応に困っていると報告が入っていた。


「少し厳しめ、に見えないから言っているのだが。お前が傷だらけなのを見てみんな心配しているようだ。通常の警邏任務に支障を来すようであれば僕からジャンジャックに考えるよう伝えてみるぞ?」


「いえいえ。それには及びません。私自身、土魔法の本質、その輪郭がようやく見えてきたところでして。今日は師匠からも珍しくお褒めの言葉をいただいて、やや調子に乗ってしまったというかなんというか」


 調子に乗ってるフィルミーとか全く想像できないんだけど、生きる伝説ジャンジャックから直接指導を受けて、なおかつこれまで出来なかったことが出来るようになって本当に楽しいんだと。

 包帯だらけなのにすごくいい笑顔だ。


「フィルミーが調子に乗るとは、なんとも似合わないな。まあ、そういうことなら余計なことはしないでおく」


「はい。師匠の前では言えませんが、今の私ならアルテミトス侯爵領の第一軍の人間ともいい勝負ができるかもしれません。不思議なものです」


 アルテミトス侯爵家の第一軍は、侯爵本人直轄の精鋭部隊だったな。

 領軍版の近衛みたいなもので、領軍の各隊から選りすぐりが集められたエリート集団だとコマンドが教えてくれた。

 

「毎日のように世界有数の戦士と対峙しているんだ。少なくとも恐怖はなくなるだろうな」


 ジャンジャックより強くて怖くて容赦のない人間はそうそういない。

 そんな鬼のような師匠とマンツーマンで訓練とか、心技体の心の部分の強化が一番進みそうだ。


「伯爵様の仰るとおりです。オドルスキ殿やメアリとも手合わせをしますが、やはり一番恐怖に襲われるのは、鏖殺将軍ジャンジャックの前に立ったときですね」


「魔獣よりもジャンジャックか」


「勝てない魔獣からは逃げることも隠れることもできますが、師匠からは逃げられませんので」


 おなじみ、『魔王からは逃げられない』的な扱いか。

 わかるよ。

 僕もカナリア公とアルテミトス侯からは逃げられなかったからね。


「メアリやエリクスのような若手から慕われているフィルミーがいることは、我が家にとって非常に大きい。真面目なのはいいが、頼むから大きな怪我などしてくれるなよ?」


 エリクスは、フィルミーを非・人外としてとても頼りにしているし、メアリはメアリで斥候としての技術を盗もうとよく質問攻めにしているのを見掛ける。

 技術があって人も良く、年齢的にも脂が乗ったフィルミーは、まさに我が家の中間管理職的な貴重な存在だ。

 健在でいてもらわないと本当に困る。


「若い子達から頼られるのも悪い気はしません。相変わらずユミカには命大事にのおまじないをしてもらっていますし。それに」


「ああ! またフィルミーさんが傷だらけに! ジャンジャックさんですね!? もう! あれだけ厳しすぎは良くないって言ってるのに!!」


 何か言いかけたフィルミーだったけど、屋敷の奥から聞こえてきた怒声で遮られる。

 何事かと目を向けると、我が家のメイドさん、イリナが足音も高く早足で向かってきていた。

 わかりやすく怒ってますアピールだ

 アリスに見られたらロングコースの説教だぞ、それ。


「イリナ。伯爵様の御前だ。あまり大きな声は」


 フィルミーも僕の前だからとたしなめようとするが、猛り狂ったイリナは止まらない。

 むしろ僕にすら訴えかけてきた。

 目がバッキバキで怖いです。

 

「伯爵様からもジャンジャックさんに言っていただきたいくらいです! フィルミーさん、顔を合わせるたびに傷を作ってるんですよ! しかも手当が適当過ぎるんです!!」


 ああ、確かに適当に包帯巻いただけだもんね。

 手当というより傷を隠してるだけっぽい。

 一度、生傷を見たユミカに泣かれてしまい、それがジャンジャックにも飛び火したらしい。


『フィルミー兄様をいじめるお爺さまなんか嫌い!』


 流石のジャンジャックもユミカに泣かれるのは弱いようで、せめて包帯で傷を隠して屋敷に戻れと厳命されたんだとか。


「まあ、本人が望んでいることだから僕からどうこう言うつもりはないんだが。あまりに過ぎるようであれば、伝えておこう。フィルミーもあまりイリナに心配をかけないように」


 服飾関係以外では普段は大人しいイリナの剣幕に、ついつい僕も押されてしまう。

 こういう時は当事者に押し付けてしまうのが一番だ。

 

「手当てする身にもなってください。どうせ服の下もアザだらけなんですよね? さあ、こっちに。今手が空いてますから、手当てしてしまいますよ!」


「あ、ああ。いつもすまない。では、伯爵様」


 僕の言葉でも興奮冷めやらないイリナは、フィルミーの手を掴んで強引に引っ張っていく。

 やろうと思えば振り払えるはずだけど、抵抗せず引き摺られていくフィルミー。

 その顔には苦笑いが浮かんでいるが、嫌そうでもないので放っておこう。

 

 しかし、フィルミーとイリナか。

 だいぶ歳の差はあるけど、案外お似合いなんじゃないだろうか。

 歳の差なら身近にオドルスキとアリス夫婦の例もあるし、いい方向に纏まってくれると雇用主としては嬉しい。

 







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