第106話 愛の伝道師
天使のプレゼント大作戦。
僕によってそう銘打たれた、この世で最も崇高かつ失敗の許されない作戦を発動すべく、アクションを起こしにかかる。
可及的速やかな作戦の実施とその成功をもって、危ないことをしないという約束を破ったことに対するユミカの低評価を覆すとしよう。
そのためには、今回の作戦の肝となるエイミーちゃんとジャンジャックの予定を抑えないといけないわけだ。
幸い、ジャンジャックは弟子を扱き終わった後のティータイム中だったためすぐに捕まえることができた。
事情を説明すると、湯気が立つ熱々の紅茶を一息に飲み干し、カッと目を見開いて一言。
「失敗は許されませんな」
そう呟くと、準備をしてくると言い残して離れにある自室に帰って行く。
なぜかこれから戦地に向かうようなテンションだったけど、エリクスとユミカの話だ浅層にある花だから、ジャンジャックなら手ぶらでも大丈夫だと思うんだけど。
あれでユミカを可愛がってるから、おかしなことはせずに成功に向けて頑張ってくれるはずだ。
多分。
そしてもう一人。
最愛の妻にして我が家の誇る肉弾戦のスペシャリスト。
さらには火魔法のエキスパートな狸顔であるところの、エイミーちゃん。
私室にはいないようでブラブラと探し回ったところ、我が家の台所からなにやらドッタンバッタン聞こえてくる。
台所の主である凄腕シェフのマハダビキアや、闇蛇の胃袋を掴んでいたらしいビーダーが立てる音とは違う、なんだか騒々しい音に中を覗き込むと、珍しく頭を抱えているシェフと、なぜか粉だらけになっている愛妻を発見した。
「……一体何をやっているんだ?」
いや、マジでなにやってるの?
どうやったらそんな全身真っ白になるほど粉を被れるんだ。
もう袋を頭から被るくらいしか手段なくないかそれ。
唖然とする僕とは対照的に、エイミーちゃんはプチパニックだ。
粉まみれなのに顔が真っ赤なのがはっきりわかる。
「レ、レックス様! 違うんです、これはその、食材を無駄にしているわけじゃなくてその」
「あー。奥様、見つかっちまったもんは仕方ないんじゃない? 大丈夫だって。若様の心の広さったら、ここの森くらい広いんだからさ」
何か言いたいことはあるようだけど、パニックで言葉にならないエイミーちゃんにマハダビキアが助け舟を出してれる。
顔にはこれもまた珍しい苦笑いを浮かべているけど、この表情を見れば大したことじゃないのは理解できる。
「落ち着けエイミー。君が食べ物を無駄にしたりしないことは僕が一番わかっているさ。だから余計わからないんだが、なぜそんな状態に?」
「……笑いませんか?」
ハンカチで顔を拭いて白塗りじゃなくなった状態で上目遣いでこちらを見てるくるエイミーちゃん。
エイミーちゃんも背が高いけど、レックス・ヘッセリンクはさらに長身だから、ありがたいことに上目遣いにお目にかかれる確率は高い。
そのたびに思うことがある。
かーわいいー。
あー、好き。
そんなことを考えてるなんて悟られないよう、顔面は緩めない。
メアリあたりには締まりのない顔をするなと指摘されるから完璧には取り繕えてないみたいだけど。
この時も、粉まみれのエイミーちゃんを抱きしめて頭を撫で撫でしつつ、キリッとした表情を浮かべることで頼り甲斐のある優しい旦那様ムーブをかましていく。
「大丈夫、笑ったりしないから言ってごらん? 僕が愛するエイミーの嫌がることをするわけないじゃないか」
「あ、駄目ですレックス様。汚れてしまいます」
いいではないか、いいではないか。
……いかん、これじゃただのすけべ親父だ。
それもこれもエイミーちゃんが可愛いのがいけないのだよ。
「そんなことは気にしなくていい。さ、何があったのか教えるんだ」
鼻と鼻がくっつくくらいの至近距離で問い詰めると、大きくて美しい瞳が潤んでいてなんだか、こう、ね?
「いや、俺がいるの忘れちゃってる感じかな? 別にいいんだけど、よくこんな場所で自然と二人の世界に入れるもんだな」
危うくいけない気分になりそうだったけど、そう言えばマハダビキアがいたんだった。
ナイスカットイン。
「うるさいぞマハダビキア」
でも、良い感じの雰囲気をぶち壊したのは許すまじ。
もうちょっとくらいいちゃつかせてくれてもいいじゃないか。
「へいへい。まあ、不仲不貞が当たり前の貴族世界の夫婦関係なのに、こんだけ仲の良い姿をみせてもえるってのは有難いことだね」
不仲不貞が当たり前っていうのがもう駄目だろ。
うちの両親なんか仲が良すぎてそれがまたおかしな目で見られてたらしいけど、価値観逆転の世界に迷い込んだみたいだ。
「僕はエイミー一筋だからな。伊達に若い頃から各所で愛を叫んでは白い目で見られてはいないさ」
レックス・ヘッセリンクと言えば、真っ先にこれを思い出す人々もいるくらいのインパクトを与えたらしい、『ヘッセリンクの悪夢』と並ぶ代名詞的出来事。
通称、『狂人が愛を叫んだ夜』事件。
クーデルが僕のことを事あるごとに
「レックス様……」
まあまあおかしなことを言った自覚があるのに、それで瞳をさらに潤ませるエイミーちゃん。
可愛いんだけど、若干心配。
で、何をしてたかっていうと、マハダビキアに頼んで料理を教えてもらってたんだとさ。
それでなんで頭から粉を被る羽目になったのか口を割らなかったエイミーちゃんだったけど、マハダビキアがこっそり教えてくれたことには、僕の愛妻のとんでもない不器用さが生んだ奇跡なんだとか。
エイミーちゃん、卵も割れなきゃ野菜も切れないレベルらしい。
いや、全然問題ないです。
可愛い、強い、僕のこと大好き。
これで文句言ったらバチが当たるってものだ。
しかもあなた。
僕のために料理を作りたくてマハダビキアに指導をお願いしたっていうじゃないか。
僕の妻が良妻過ぎる件について。
「本当はちゃんと作れるようになってから食べていただきたかったんですけど……」
フライパンの上には黒に近い茶色の物体。
正体不明のそれが、きっとエイミーちゃんの手料理なんだろう。
なぜ焼いた後に粉まみれなのか。
いや、深くは追及すまい。
ここで僕が取るべき行動は?
もちろん一択だ。
勇気を持ってその物体をフォークで突き刺し、口に放り込む。
んー……、固すぎず柔らかすぎず。
焦げてるから苦味はあるけど、それがアクセントになってあるというか。
うん。
この見た目で美味いんかい!!!
「エイミー、すごく美味しいよ」
「ほ、本当ですか? そんなに焦げて、不細工な料理なのに」
不細工は不細工だけど、甘みと塩味のバランスが絶妙というか、焦げを避ければとろっとしてふわっとしてたり。
なんでこうなってるのか理屈はさっぱりだけど、本当に美味しい。
それは間違いない。
「嘘じゃないさ。多少焦げの苦味はあるが、そんなことが気にならないくらい素晴らしい味だ。エイミーも食べてみるといい。ほら、あーん」
見た目最悪、味最高のそれをフォークで刺し、エイミーちゃんの口元にもっていく。
「え、あの。それは」
あ、間接キス気にしてる?
いやいや、夫婦なんだから今更恥ずかしがることないでしょ。
顔をさらに赤くして目を泳がせるエイミーちゃん。
「いいから。ほら、あーん」
躊躇いに躊躇った末に、小さく口を開いてあむっと咥えてみせる。
可愛いなあ、もう。
「あー。おっさんは外に出てますよ、っと。ごゆっくりー」
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