第107話 天使の願いを叶えるために ※主人公視点外
レプミア国ヘッセリンク伯爵領オーレナング。
そこには、魔獣の庭と呼ばれる鬱蒼とした森が広がり、奥に進めば進むほどに凶悪かつ巨大な魔獣達が棲息する国一番、いえ、世界で一番危険な場所です。
では、浅い層なら安全なのかと言えば、決して油断はできません。
浅い層に棲んでいる魔獣ならなんとかなると高を括り、森に許可を得ずに足を踏み入れ、危うく命を落としそうになった愚か者もいます。
自分がそうだったので間違いありません。
もちろん、近衛や国軍のエリートであれば脅威度D程度の小型魔獣なら討伐可能でしょう。
しかし、メアリさんの言葉を借りれば、当時の自分は金も力も後ろ盾もない士官浪人でしかなく、手持ちの呪符も使い切って万策尽きた状態でした。
自分も含めて、普通の人間なら、この森の入り口付近で命を落とす危険性がある。
それが、オーレナングの魔獣の庭です。
「ふむ。あまりこの辺りで狩りをすることはありませんが、なかなかどうして。小型の群れを討伐するのも悪くありませんな」
そんな危険地帯においても、ジャンジャックさんはいつもどおりの落ち着きです。
群れで現れたスプリンタージャッカルの首を、愛用の長剣で片っ端から落として見せると、爽やかな笑顔でそう仰いました。
自分はもちろん、拳を握り込んだ奥様が参戦する隙もないほどの蹂躙戦です。
「この規模の群れであればジャンジャックさんの手を煩わせることもないのに」
「何を仰いますやら。爺めはヘッセリンク家の忠実な
俺に全部任せろということですね。
自分のような非・人外から見れば、本当に頼もしいです。
しかし、普段は穏やかで控えめな奥様も今日は簡単に引き下がりません。
「頼もしいわ。でも駄目。だって、レックス様自ら私を指名していただいたんだもの。妻として、ご期待に応えて差し上げないといけないわ。それに、なんと言っても私達の可愛い天使からのおねだりよ?」
愛する旦那様の指名で、愛する天使のおねだりを叶える。
奥様にとって、これ以上のモチベーションは存在しないのではないでしょうか。
「然り。ユミカさんは普段我儘を言いませんからな。たまの我儘だと思ったら、両親へ花を贈りたいときました。これで奮い立たないヘッセリンクの人間がおりましょうか」
あの生きる伝説、鏖殺将軍ジャンジャックさんまでもがユミカさんを溺愛しているのは意外でした。
もちろん表立って甘やかしたりはしませんが、今回の件を聞いたジャンジャックさんが、失敗は許されないと大型魔獣を相手取るのかと疑いたくなるほどの重装備を持ち出そうとしたことからも、それが窺えます。
流石にそこまでは必要ないと伯爵様が諭してくださったので、急所を守る革製の防具に長剣という、軽装での出陣です。
「そうね。それを聞いて思わず抱きしめてしまったわ。なんて優しい子なんでしょう。子供の我儘とはいえ、決して失敗はできません。いいですね? 二人とも」
「御意」
「承知しています。それで、今回の目標なのですが、ユミカちゃんが言うには、花弁の色が薄桃から深紅に段階的に変わっていく花、らしいのです」
一般的に花の花弁の色と言えば単色というのが常識です。
もちろん色の違いや濃淡はありますが、一つの花弁の色が段階的に移り変わっていく花というのは聞いたことがありません。
「それは珍しいわね」
「ええ。自分も初めて聞きました。国内の動植物については網羅していたつもりなのですが……。恐らく、オーレナングの固有種なのではないかと」
植物の研究を専門にする学友に聞かせたら、涎を垂らして駆けつけるかもしれません。
このオーレナングは、国内で唯一と言っていいほど、研究者の手が入っていない場所なのです。
「ふむ。強靭な生命力を誇る魔獣達が土に還ることで、他では見ることのできない独自の進化を遂げているというところですかな」
「魔獣が蔓延る死地に咲く、ここだけにしか存在しない花なんて素敵ね!」
オーレナングにしか咲かない花。
それを摘むには命をかける必要があるというのが、なんとも恐ろしい話です。
「ジャンジャックさんも見たことがあるのかしら?」
「さてさて。爺めはこのとおりの無骨物でございますれば、森で花々に目を奪われることなどは」
「ユミカちゃんは、この花の存在をオドルスキさんに教えてもらったそうです。森には恐ろしい魔獣だけじゃなく、こんなに素敵な花も咲いているんだぞと。それを覚えていたユミカちゃんは、その花束を結婚の記念にオドルスキさんとアリスさんに贈りたいと考えたのでしょうね」
オドルスキさんも、ユミカちゃんに義父と呼ばれる以前はジャンジャックさんと似たようなものだったらしいですが、幼い子供を預かるにあたって、血生臭いだけではいけないと、花や美術品にも目を向けるようなったというのは、後で聞いた話です。
「しかし、若者の成長というのは目を見張るものがありますな。メアリさんは言うに及ばず、オドルスキさんに鍛えられているクーデルさんも目に見えて力を付けています。そして、エリクスさん。貴方も」
「じ、自分もですか?」
「ええ。あのハメスロットさんが文官仕事の正確さを褒めていました。それに、フィルミーさんに師事している斥候技術。もちろん専門職に比べれば拙いものかもしれませんが、片手間ではなく、しっかりとした訓練を積んだ跡が見てとれます」
あのジャンジャック将軍に誉められてしまいました。
鏖殺将軍として幾多の敵を屠り続け、国外はもとより国内からも恐怖とともに語られる、あのジャンジャック将軍にです。
しかも、専門分野の護呪符ではなく、斥候技術を誉められるなんて、これは夢じゃないでしょうか。
「レックス様の人を見る目の確かさには驚かされるわ。技術、熱意、忠誠心。エリクスには、どこをとってもヘッセリンク家を前進させる素養しかないのだもの」
奥様は、相変わらず伯爵様にベタ惚れです。
ヘッセリンク家で愛が
…
……
………
「ああ、ありましたね。よかった。魔獣に荒らされていたら目も当てられませんから」
広大な魔獣の庭ですが、浅い層はそこまでの広さはなく、奥様とジャンジャックさんが現れる魔獣を片っ端から屠ってくださったことで、さしたる苦労もなく目的の花が咲く一帯を探し出すことができました。
ユミカちゃんの言っていたとおり、その花は中心から外側に向けて色を濃くしています。
「まあ! 素晴らしいわ! まるで熟練の染師が手掛けた作品のようね」
「爺めのような情緒に欠ける者でも、これだけのものを目にすると流石に心が動きますなあ」
一輪だけでも美しいそれが、視界いっぱいに広がっているのだからそれは感動するというものです。
お二人に周囲を警戒していただいているうちに、自分な必要量の花を摘んでいきます。
もちろん花や茎をちぎったりするのではなく、根っこから土ごと持ち帰るのです。
研究資材を持ち運ぶためだけに作られた、色気もクソもない背嚢がこんなところで役に立つなんて思いもしませんでしたが、お陰で大量の目標を持ち帰ることができそうです。
結局、浅い層ではほぼ無敵のお二人の活躍もあり、目標を無事確保するとともに、全員無傷での帰還に成功。
余裕があれば採ってくるよう託けられていた果物についても、ジャンジャックさんの指導でいくつかの果実を採取するすることができました。
花は腹の足しにならないけど、果物は飢えを満たし渇きを癒すのに最適なものなので知識を蓄えたのだとか。
果物は全てマハダビキアさんとビーダーさんの手によって、ケーキやパイに加工される予定です。
背嚢いっぱいに積まれた大量の花は、ユミカちゃんとアデルさん、イリナさんによって選別され、より美しい色味のもので花束が作られます。
残ったものも捨てるには勿体ない美しさなので、後日屋敷の花壇に植えられることになりました。
「エイミー姉様、お爺様、エリクス兄様、大好き!!」
持ち帰ったものがおねだりしたものと一致していることを確認し、大喜びのユミカちゃんが一人ずつ抱きしめてしてくれました。
なによりも、この笑顔を間近で見ることができたのが一番の報酬です。
なので伯爵様。
そんな鬼の形相で睨むのはおやめください。
これは正当な労働の対価であって、ヘッセリンク紳士協定には抵触いたしません。
ほら、ユミカちゃんに気付かれたら嫌われてしまいますよ?
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