第124話 一方、その頃 ※主人公視点外

「レックス様はご無事かしら……」


 奥様が何度目になるかわからない呟きを漏らされる。

 伯爵様が、オドルスキ殿とジャンジャック殿を伴って森の深層の更に奥に旅立たれてから二日。

 命令のとおり森の浅層に陣取り、普段よりも明らかに増えた魔獣を討伐し続けている。

 魔獣に昼夜の別などないので、ローテーションを組んでのフル回転だ。

 とはいうものの、前回を経験したメアリ曰く、今の状態は氾濫とは呼べないらしく、実際、余裕をもって対応できている。

 

「何回目だよそれ。大丈夫だって、あんたの旦那は殺しても死にゃあしねえよ。兄貴を殺せる奴がいるとしたら、それは兄貴だけだってオド兄も言ってたしな」


 奥様の呟きに聞き飽きたとばかりの表情を隠さないメアリ。

 まあ、口を開けば伯爵様の心配ばかりではそう言いたくなるのもわかるが、愛する夫が少ない部下とともに脅威度Sが待つ死地に向かわれたのだ。

 ある程度は仕方ないだろう。

 言い方は乱暴だが、彼なりに伯爵様は無事だと励ましているつもりらしい。


「つまり、伯爵様を殺せる生物はこの世に存在しないということね。良かったですね奥様」


 メアリの言葉に笑顔で応じたのはクーデル。

 こちらは氾濫の予兆があるという大事の中にあっても、常にメアリと行動を共にできるということで絶好調に見える。

 

「奥様を励まそうとしているのはわかるが、その励まし方で合っているのか甚だ疑問だぞ? メアリ、クーデル」


 伯爵様を殺せる生物はいないからきっと無事だと伝えるのは、果たして励ましの効果があるのだろうか。

 私のような凡人には理解が及ばない。

 そんな私に、メアリが肩をすくめて見せる。


「励ますっていうか、事実を述べてるだけだぜ? 少なくとも、この国に兄貴の命を狙える人間はいねえ。魔獣だって、脅威度Aくらいじゃびくともしねえしな」


「だけど、今回の相手は脅威度S。……不思議ね。伯爵様が今にもディメンションドラゴンの首を掲げてお帰りになっても驚かないわ」


 今帰ったぞ、と笑顔で竜の首を掲げておられる伯爵様が容易に想像できるくらいには、私もヘッセリンク伯爵家に染まっている。

 確かに、常識的に考えれば伯爵様を害せる生物は限られるだろうが、0ではないはずだ。

 史上最強の呼び声が高かった先代、ジーカス・ヘッセリンク様ですら、脅威度Sとの戦闘が原因で命を落としている。

 しかも、今回の相手はそのディメンションドラゴン。

 

「流石にそう簡単なことではないだろう。なんと言っても、実際に相対したことがあるのは先代様だけ。それも、その正体を伝えることも叶わず亡くなられたらしいからね」


 それでも、ヘッセリンク伯爵としての意地なのか、名付けと脅威度の設定だけは行ったらしい。

 大事なのはそこではないと思うのだが、先代様としては、ヘッセリンク伯爵家当主としての責務を全うされたということだろう。


「何を以てその脅威度になったのか。単純に強いということか、それとも特殊な事情があるのか。まあ、その辺りは伯爵様が戻られてからゆっくり聞かせていただくとしよう」


 脅威度Sに興味がないかと言われればもちろんそんなことはない。

 狂人レックス・ヘッセリンク、鏖殺将軍ジャンジャック、聖騎士オドルスキという人類最高戦力と、脅威度S魔獣ディメンションドラゴンとの一戦。

 許されるのであれば間近で観戦させてほしいと思うくらいには興味津々だ。

 まあ、私がその場にいたら巻き込まれて命を落とす可能性すらあるのだが。


「なんだよ。フィルミーの兄ちゃんだって兄貴が負けるわけないって思ってるんじゃねえか」


 血塗れの半笑いでも美しさが損なわれない弟分。

 黒装束だからわかりづらいが、魔獣の返り血でドロドロになっている。

 

「それはそうだ。あの方はレックス・ヘッセリンクだぞ? 我々レプミア国の武人の頂点に君臨する護国卿が、空飛ぶ蜥蜴風情に負けるわけがないさ」


 あの方が負けるようならこの国、というかこの世界が終わりかねない。

 

「空飛ぶ蜥蜴風情って。なんか、語り口が爺さんに似てきたんじゃねえの? 勘弁してくれよな。フィルミー兄ちゃんは優しい兄貴分でいてくれないと」


 ジャンジャック殿に似てきた?

 それだけは声を大にして否定したい。

 否定したいが、これを言われるのが初めてではないだけに否定しづらい。


「イリナにも同じことを言われたな。どんどんジャンジャック殿に口調が似てきていると。それがあまり宜しいことではないという自覚はあるよ」


 あの皮肉屋で、人の嫌がることを笑顔で放ってくる師匠に似てくるなんて、とんでもないことだ。

 いや、もちろん私の負けん気を喚起するために、修行中はわざとそういう口調になっているところもなきにしもあらずだが、とにかくジャンジャック殿に似ているは、褒め言葉にはなりえない。


「まあ、ジャンジャックさんの個性は強烈ですからね。長く接する時間が長ければ、どこかしら影響されてもおかしくありませんよ」


 エリクスがそうフォローしてくれるが、その言い方はいまいちだ。

 ジャンジャック殿に似てきたことを肯定しているじゃないか。

 まずいな、日常が戻ったら真剣に考えなければ。


「じゃあ、メアリは伯爵様に似ていくのかしら?」


「兄貴の個性は強烈とかいう言葉で表せるレベルじゃねえから。残念ながら似ることはねえよ」


 メアリがそう言って笑った時だった。

 立っていられない程大きく地面が揺れ、同時に森の奥から禍々しいと言う言葉では表しきれないほどの瘴気が溢れる。

 

「エリクス! 屋敷に戻れ! もしものことがあれば、国都に走るんだ!!」


 これが、次元竜の力か!?

 きっと伯爵様達が接敵されたんだろう。

 離れた場所でもこの威圧感だ。

 近くでこの空気を当てられて、皆さんは無事なのか?

 いや、考えるな。

 私は私の責務を果たすんだ。

 まずはエリクスを安全圏に戻すこと。

 悔しいだろうが、従ってもらう。


「っ! これはフィルミーさんにお渡しします。どうかご武運を」


 エリクスが躊躇ったのはほんの一瞬。

 次の瞬間には私に護呪符を渡して踵を返す姿に、彼の確かな成長を見た。

 

「クーデル、気合い入れろよ。こんなヤバげな空気、前の時にもなかったぜ。今回の氾濫も相当デカいみてえだ」


 心配なのは、メアリの様子だ。

 先程までは平静を保っていたように見えたが、今は俄に興奮しているように見える。

 伯爵様も懸念されていたが、やはり前回の氾濫を経験している分、気持ちの面で前のめりになっているのかもしれない。


「暗殺者に気合いなんて必要ないわ。入れ込み過ぎないで。昔からの悪い癖よ? そんな状態で足を引っ張るつもりなら、エリクスと一緒に屋敷に戻ってなさい」


 落ち着け。

 そう言いかけた私に先んじて、冷め切った瞳で切って捨てたのは、メアリを溺愛しているはずのクーデルだった。

 あまりの事態に私も奥様も言葉が出ない。

 当のクーデルは愛用の、メアリとお揃いだという国都で買った刃物をクルクルと回しながら森の奥を見つめてメアリを見ようともしない。

 ゾッとするほどの酷薄さを伴った美。

 きっとこの顔が、メアリとともに闇蛇の未来と呼ばれた死神、クーデルの顔なんだろう。

 そのクーデルの様子で我に返ったのか、顔を紅潮させたメアリが高い音を響かせて自らの両頬を張った。


「はっ! 言うじゃねえか。わかりました、わかりましたよ。暗殺者の極意とは、冷静に、確実に、丁寧に。冷静に、確実に、丁寧に……」


「いい子ね、メアリ。フィルミーさん、私達は準備完了よ。指示を」


 同じ言葉を呟くたびに表情を無くしていくメアリを、愛おしそうに見つめていたクーデルが、満面の笑みでそう告げた。

 狂気という意味ではこの子もトップクラスだと再認識せざるを得ない。


「奥様は魔法で迎撃をお願いいたします。私も、魔力が尽きるまでは魔法による討伐を行う。二人は……好きにしてよし」


「私達の正しい使い方ね。じゃあ、行ってきます」


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