第512話 お花畑を踏み荒らせ ※主人公視点外

 狂人レックス・ヘッセリンクの怒りに触れたことで、豪華な貴賓室はそれはもう見るに堪えない状態です。

 伯爵様はもちろん、ユミカちゃんを姉と呼ぶマジュラス君の怒りに触れたとあっては仕方ないとは思いますが、部屋が黒に染まるまでほんの一瞬の出来事でした。

 

「エリクス。僕はここでボカジュニ伯爵が目を覚ますのを待つ。お前はハイバーニ公爵から話を聞いておいてくれ。どうも違和感が拭えない」


 違和感。

 それは、ハイバーニ公爵がユミカちゃんの名前を口に出す際、全くと言っていいほど悲壮感を感じないことでしょうか。

 十年前に止むに止まれぬ事情で手放した娘が帰ってくると語るには、表情が明るすぎるのです。

 例えるなら、よそに留学している娘が久しぶりに帰ってくる程度の雰囲気でしかない。

 

「承りました。別室のほうがいいでしょうから適当な部屋を探してきます」


「それなら隣の部屋にソファが置いてあるのじゃ。そこに寝かせておけばよい」


 流石はマジュラス君。

 理屈はわかりませんが、力が及ぶ範囲であればどこになにがあるのか、誰がどこにいるのかわかるそうです。

 そんなマジュラス君に運ぶのを手伝おうかと言われましたが、ハイバーニ公爵は自分と似たひょろっとした体型なので、このくらいであれば一人で担ぎ上げることになんの支障もありません。


「逞しくなったのう」


 メアリさんと森に入り、フィルミーさんに基本的な身体の動かし方を教わり、オドルスキさんに最低限の自衛方法を学ぶ。

 仕事の合間や休みにそんな生活をしていれば多少は鍛えられるというものですが、褒めてもらえるのは嬉しいものです。

 

 マジュラス君の言うとおり、隣の部屋にはソファが設置されていました。

 貴賓室に入る前の控室のような位置付けなのかもしれません。

 ソファにハイバーニ公爵を寝かせ、ユミカちゃんそっくりの顔を観察しながらこの人から感じる違和感について改めて考えてみます。

 ユミカちゃんがレプミアに渡っていることは知っていたけど、ヘッセリンクという家名には反応しなかった。

 腐ってもこの方は公爵位にあるのだから、本来であれば実の娘がどこで保護されているかなんて把握していないわけがないと思うのですが。

 さらに、先程伯爵様が投げかけた『十年前に貴方が手放し、これまで放っておいた』という言葉に対しての反応も少しおかしかったように思います。

 ハイバーニ公爵の言葉を遮ったボカジュニ伯爵の動きも含めて。

 

 考えを巡らせていると、外が騒がしくなってきました。

 おそらく、マジュラス君の瘴気を確認したオドルスキさん達が到着したのでしょう。

 オドルスキさん、伯爵様、マジュラス君。

 怒れる父、兄、弟が相手です。

 ボカジュニ伯爵家の皆さんが少しでも早く降参してくれるといいのですが。


「ん……、ここは? 私は一体」


「ああ、お目覚めですか? ハイバーニ公爵様」


 ソファの上で上体を起こしたハイバーニ公爵が頭を抑えながら周りをキョロキョロと見回し、自分に視線を固定すると少し間を置いてああ、と呟きました。

 

「君は、若い商人君のお付きの子だったかな? ……いや、それは嘘だったんだっけ。そうそう、レプミアの貴族と護衛の魔法使いだったんだ」


 正しくは、護衛の魔法使い役の文官ですけどね。


「差し障りがあるので自己紹介は省かせていただきます。主人より、ハイバーニ公爵様からお話を伺うよう指示されておりますのでお付き合いください」


「断る権利はあるかい?」


「断っていただいても結構ですが、その場合は聴き取りが尋問に変わるだけでございます。どうか、ご協力をお願いしたい」


 らしくない強い言葉を使ってしまったのは、思ったより自分も怒っているからなのかもしれません。

 最近気が短くなっているような気がするので落ち着かなければ。

 

「いいよ。元々特段隠すこともないし。何が聞きたいんだい?」


「十年前に貴方が手放し、これまで放っておいたお嬢様について出来るだけ詳しく」


 敢えて、先程の伯爵様と同じ言葉を投げかけてみると、ハイバーニ公爵は心外だというように首を振ります。


「先程の彼も言っていたが、誤解があるようだね。私は娘を手放してなどいないよ。当時は娘の命が狙われていて、国外に逃すのが一番だとみんなに言われたからそうしたけど」


 やはり、その表情に後悔や苦悶といった後ろ向きな感情は浮かびません。

 強いて言えば、仕方ないだろ? という開き直りでしょうか。


「ではなぜ十年という間放っておいたのですか? 公爵様は腐っても派閥の長のはずです。居場所を探るくらいできたはずでは?」


「だから放っておいてなどいないよ。定期的に手紙も出していたし、返事だってちゃんと来ていたんだから。もしかしたら、名前が同じ別の子と勘違いしているんじゃないかな?」


 手紙?

 そんな話は聞いていませんね。

 というか、そんな手紙が来ているならこんなことにはなっていないわけです。

 

「……質問を変えさせていただきます。その手紙は、誰に託し、返事はどこから?」


「セルディア侯爵とボカジュニ伯爵に全て任せていたけど? 彼らは本当にいい男でね。派閥にはたくさんの貴族がいるんだけど、そんな彼らには特に手厚く支援してしまうんだ」


 その二人が絡んでいるなら黒で間違いないでしょう。

 わかりやすくて結構です。


「そうそう。先日別の貴族がレプミアを訪問した際にユミカに会ったらしいんだ。娘がレプミアで元気で幸せそうに暮らしていると教えてくれたんだけど、過去の経緯があるから誰にも言うなと念押しされたんだよ。でもまあ、腹心の彼らにだけは伝えておいたんだ」


 頭の中がお花畑だとは思っていましたが、よろしくない花が咲き誇っているようです。

 オラトリオ伯爵様もよくこのお花畑公爵を信じようと思ったものですね。

 釘を刺したところでこの方は痛みを感じないでしょう。


「そうしたら、ハイバーニ派も力がついてきたから、そろそろ娘をジャルティクに戻そうって提案してくれてさ。嬉しかったなあ。今頃はセルディア侯爵が率いる使節団がレプミアで娘に会っている頃かな? もしかしたらもうこちらに向かってるかもしれないね」


 手駒にしようと考えただけでなく、オラトリオ伯爵様がユミカちゃんと接触したことを知り、諸々がバレるのを避けるため手元に戻そうとしたのもあるのかもしれません。

 

「貴方は、お嬢さんをどうされるおつもりですか?」


 自分としては、これが一番大事な質問です。

 セルディア侯はユミカちゃんを派閥の力を伸ばす道具にしようとしていましたが、この人はどう考えているのか。


「どうするもこうするも。まずは十年間会えなかった分たくさん甘やかすつもりさ。そのあとは、然るべき教育を施して然るべき相手に嫁がせる。ハイバーニの血を欲しがる家は多いだろうからね。一番我が家に利益があるいえがっ!?」


「もう、結構です。貴方が、人としても親としても、もちろん貴族としても最低だと理解できました。これ以上は、もういい」


 気づいたら、ハイバーニ公爵の頬を殴りつけていました。

 怒りに任せて人を殴るなんて、両親に知られたら叱られるでしょうね。

 不思議と後悔はありませんが。


「な、なにをするんだ! 私は、公爵だぞ!? こんなことをしてただでぇっ!!」


 二発目。

 拳が痛みますが、だからなんだというのでしょう。


「貴方は運がいい。ヘッセリンクの中で、最も非力な自分が相手なのだから。他の三人なら、もう貴方はこの世にいない」


「誰か、だれかあぐっ!!」


 三発目。

 今、自分はどんな顔をしているのでしょうか。

 笑ってはいないでしょう。

 もしかしたら泣いているかもしれません。

 だけど、この怒りを止められない。


「なぜもっと頭を使わないのですか? なぜ、もっと地位に見合った考えができなかったのですか? なぜ、十年も都合のいい操り人形にされていると気づかなかったのですか!!」


 鼻血を流して怯えた目でこちらを見てくるハイバーニ公爵を無視し、両手で襟首を締め上げます。


「貴方が頭の中までお花畑なことにどうこう言うつもりはありませんが、事実だけ伝えます。この十年間、ユミカちゃんにジャルティクからの手紙など届いていませんし、もちろん返事など出したことはありません」


「そんな馬鹿な! 我が家にはユミカからの手紙が全て保管っ!?」


 思わず襟首を持つ手に力が入ってしまいました。

 

「それをユミカちゃんが書いたと証明できますか? その手紙には、どこにいて誰に育てられてどんな生活をしていると?」


「レ、レプミアの国都にあるプラスト子爵という貴族の屋敷で、何不自由なく」


 ああ、プラスト子爵ですか。

 なるほど。


「レプミアに、プラスト子爵などという貴族は存在しません」


 ヘッセリンクに仕官してすぐに、お師匠様から全ての貴族の家名と家紋を叩き込まれたので間違いありません。

 プラストなんて家は、少なくともレプミアにはないのです。


「ユミカちゃんが育ったのはレプミアの西の果て。オーレナングという魔獣の巣と隣り合わせの場所。そこで、ヘッセリンクという狂ったように愛に溢れた貴族に、大切に育てられています」


 たった二年ですが、その姿を間近で見てきました。

 ユミカちゃんは間違いなく今、幸せだと断言できます。

 だと言うのにこの男は。


「貴方は何も知らない。だって、十年間ずっと、騙されているだけなのだから。家の利益? 一体どの口が。そんなことは絶対に許さない。あの子を権力争いの道具にするなんて、神を殺してでも、絶対に!!」


 他の家来衆に比べれば貧弱でしかない拳に精一杯の炎を纏わせ、大きく振りかぶります。


「ユミカちゃんは、自分たちヘッセリンクが守ります」


「ひぃいっ!!」


 躊躇うことなくそれを振り下ろそうとしたその時でした。


「その辺でやめとけエリクス」


 聞こえてきたのは、同世代の恩人の声。

 見た目はどう考えても女の子なのに、低く響く男臭い声が、自分を制しました。

 振り返ると、呆れたような表情のメアリさんが立っています。


「……メアリさん。お疲れ様です」


「お疲れ。馬鹿だな、札まで握って殴ったらいくらなんでも死んじまうぞ。貴族を殴り倒す家来衆なんて、フィルミーの兄ちゃんだけで十分だろ」


 肩をすくめながら自分から取り上げた札を破り捨て、親指で扉の方を示します。

 視線を向けると、そこには心配そうに顔を半分だけ覗かせているユミカちゃんがいました。


「な? ユミカも心配してる。さっさと優しいエリクス兄様に戻っとけよ」


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