第75話 エリクスとメアリ ※主人公視点外

 国を代表する大貴族、レックス・ヘッセリンク伯爵に家来衆の列に加えたいと言われ、そのまま屋敷に留め置かれました。

 本来なら不法侵入者として処分されてもおかしくないところだというのに、暖かい布団と信じられないくらい上質な食事を用意していただいています。

 ヘッセリンク家に仕えるかどうかを数日考えて決めろと言われましたが、いまだに答えは出ません。

 十貴院に名を連ねるヘッセリンク伯爵家に士官すれば、確実に夢に一歩近づけるのでしょう。

 しかし、護呪符の研究だけではなく文官としての役割も与えられることになるとなれば、研究に割く時間が減ることは避けられません。

 そんな事を考えながら自由に歩く事を許されている屋敷を散策していると、廊下の先から黒づくめの人物がやって来るのが見えました。

 メアリさんです。

 伯爵様の従者を務める美しい少年で、自分より少し年下なはずなのにその立ち居振る舞いは自分の知る同年代とは比べ物にならないほど貫禄があります。


「あの! メアリ、さん? 少しよろしいでしょうか」


「あ? ああ、エリクスか。なんだ? 拘束したことについての恨み言なら聞かねえぜ? あれが俺の仕事だからよ」


 思わず声をかけてしまいました。

 メアリさんは自分に声をかけられたことに不思議そうな表情を浮かべましたが、小首を傾げつつ肩を竦めて見せます。


「いえ、そのことは100%自分が悪いので。そうではなくてですね」


「はいはい。聞きてえのは、ヘッセリンク家で仕事するのはどんな感じ? ってとこだろ。いいとこだぜ? フィルミーの兄ちゃんにも言ったことあるけど、収入は十分だし、同僚は気のいい奴らばかりだし、飯も美味え」


 言葉に詰まる自分に先回りして有益な情報を与えてくれます。

 顔だけでなく、頭もいいのでしょう。

 流石は大貴族の従者殿です。


「なるほど。いえ、それも聞きたいことではあるのですが、そうではなくてですね、そのなんというか」


「伯爵様の為人ひととなりかい?」


 それまでとは違う光が眼に灯るのがはっきりと感じられました。

 言語化するなら、剣呑でしょうか。

 ここからは言葉を選べよ? と威圧されているかのようです。


「……はい。貴族様の為人を探るなんて不敬だということくらいわかっているのですが、自分が知っている伯爵様は人伝いに聞いたおよそ現実的とは思えない、その」


 化け物じみてる。

 それが本音なのですが、それを伝えたらどうなるかわからず言葉に詰まりました。


「噂の中の兄貴は化け物だからな、言いてえことはわかるよ」


 化け物は禁句ではないようです。


「そうなんです! 学院生時代には派閥の長として公爵家嫡男を従えていたとか、気に入らない貴族の当主に召喚獣を嗾けたとか、魔獣の森で脅威度Aの魔獣達を飼い慣らしてるとか、あの伝説の暗殺者組織闇蛇を壊滅させたとか……」


 どれもこれも現実味がないのに、そこかしこで真実として語られているそれらが、自分の中の伯爵様の人間像をぼやけさせているのです。


「あー、完全に嘘ばかりじゃねえわ。少なくとも公爵家嫡男の件と闇蛇潰した件は真実。その他は聞いたことねえから嘘じゃね?」


 一部とはいえ、まさかの肯定です。

 しかも一番荒唐無稽な闇蛇壊滅を肯定されてしまいました。


「いやいや! 闇蛇ですよ!? 自分みたいな田舎者でも聞いたことのある、国を裏から支配していたと言われた、あの伝説の闇蛇! もちろん伯爵様がお強いことを疑うわけではありませんが」


「本当本当。闇蛇にいた本人が言うんだから間違いねえって」


 え?


「……え?」


「隠してねえから教えとくけど、俺とクーデルは元闇蛇の暗殺者なんだわ。あと、アデルおばちゃんとビーダーのおっちゃんも裏方だけど闇蛇にいた。どうだい? 伝説を目の当たりにした感想は」


 アデルさんというと、あの優しげなおばさんですよね?

 ビーダーさんは食堂で働く元気なおじさんだったかと。

 え、あの方々が闇蛇?


「まさか、そんな、本当に本物ですか? いや、だけど」


「ま、証拠なんかないんだけどな」


 そう言って美しい笑顔を浮かべたメアリさんを見て、嘘じゃないんだと悟りました。

 本物だ。

 本物の闇蛇が目の前で笑ってる。

 鼓動が早くなるのを感じながら口を開こうとする自分を見て、メアリさんがまた可笑しそうに笑います。

 

「どうした? 顔が強張ってるぜ?」


 それはそうでしょう。

 その気になれば自分の命を簡単に奪える存在。

 それが世に知られている闇蛇への評価です。


「大丈夫大丈夫。俺もクーデルも、ついでに言えばオド兄やフィルミーの兄ちゃんも。兄貴に敵対しなけれゃ事を起こすことはねえから安心しなよ」


「もし、万が一敵対するようなことになれば?」


「頭のいいあんたならわかるはずだが、具体的に言おうか?」


「お願いします」


「あんたが生まれ故郷を豊かにする未来はなくなる。それだけさ」


「脅しでは、ないのでしょうね。命のやりとりなどしたことのない自分でも、メアリさんの目を見ればわかります。それほどの方なのですね、伯爵様は」


「他の兄さん方はどう考えてるか知らねえけど、少なくとも俺は兄貴の敵を生かしておくつもりはねえな。……俺からも一ついいかい?」


「あ、はい。自分で答えられることならなんなりと」


「何を迷ってる?」


「た、単刀直入ですね」


「あんたの願いを叶えるためにはヘッセリンクに仕えること以上の近道はねえ気がするんだよなあ。贔屓目抜きでな。護呪符だっけ? 魔獣の素材がいるんだろ。その供給量で言えばうちはぶっちぎりのトップランナーだ。流通したもんを買おうと思えば結構な金額になると思うけど、ハメス爺に聞いたら、給料の他に魔獣の素材は別途支給って言うじゃねえか。他の家に仕えたら給料の大半が消えちまうだろ。それなのにあんたは何を迷ってる?」


 痛いところを突かれました。

 メアリさんが言うことは全て正論です。

 ヘッセリンクに仕えることが夢への近道だということは、誰の目から見ても明らかだと、自分でも理解しています。

 しかし、この時はそれを改めて突きつけられて頭に血が上ってしまいました。

 思い返すと恥ずかしくて穴があったら入りたい。


「それは、自分がやりたいのはあくまでも護呪符の研究であって、人生をその研究に充てたい。文官の仕事を任されてしまえば、その時間が減ってしまう」


「なんだ、ただの我儘かい。くっだらねえ」


 そんは自分を遠慮なく言葉でぶん殴って来るメアリさん。

 膝がガクガク震え、立っているのがやっとです。

 そんな自分にさらに追撃が加えられます。


「いや、馬鹿かお前。その条件捨てられねえから今の今まで士官先が決まらずこんな辺境まで来て死にかけてたんだろうよ。それなのにまだ研究だけしたいですとか言ってんの? はあ……残念。お前はダメだな」


 冷たい目です。

 これまでマニアックな分野の研究を諦めない自分を馬鹿にする目には晒されたことはあります。

 それには反発することができました。

 貴方になにがわかるんだと、いつか有用性を認めさせてやると向上心に昇華させてきたのです。

 だけど、メアリさんの目は明らかにそれとは違いました。

 馬鹿にする価値もないと、まるで虫ケラを見るような目で自分を見つめているのです。

 その恐怖と言ったら、森で魔獣に襲われた時の比ではありませんでした。

 

「力もねえ、金もねえ、後ろ盾もねえ。悪いけど、このままだとどっかの悪徳貴族に技術だけ奪われたうえで夢だけ抱えて野垂れ死ぬ未来しか見えねえぜ?」


 想像し得る最悪の未来です。

 この時点でもうノックアウト寸前でしたが、自分にも意地というものがあるのです。

 最後の抵抗を試みました。

 

「ヘッセリンク家が、それをしないという保証があるのですか!?」


「勘違いするなよ? 兄貴が魅力を感じてるのはお前の頭だ。護呪符そんなもんはオマケでしかねえの。わざわざ国との火種になるような技術、あの人は欲しがらねえよ」


 抵抗虚しく膝から崩れ落ちる自分を見て、深く溜め息をついたメアリさんはそのまま長い廊下を去って行きました。

 


 

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