第176話 父娘喧嘩 ※主人公視点外

「落ち着きなさい! イリナ、落ち着かないか!」


 ヘッセリンク家の母屋。

 そこに設られた客室の一つで、私の友人であり、ヘッセリンク伯家のメイドであり、セアニア男爵の娘でもあるイリナが、恋人フィルミーさんに羽交締めにされている。

 ベッドには頬に引っ掻き傷を付けられたセアニア男爵。


「離してくださいフィルミーさん! セアニア家の娘としてではなく、ヘッセリンクの家来衆として許せることと許せないことがあります!」


 羽交締めにされながらも、怒り狂った猫のようにジタバタと暴れるイリナ。

 本気を出せば取り押さえられるはずのフィルミーさんも加減に苦労してるみたい。

 私が拘束してもいいのだけど、イリナの気持ちもわかるから静観している。


「だから! 話をちゃんと聞いたうえで判断を!」


「必要ありません! フィルミーさんを婿に? セアニアに迎える? 私をダシにした引き抜きじゃないですか! 絶対に許さない!」


 シャーッとばかりに声を上げるイリナ。

 うん、これはこれでとても可愛いわね。

 悪戯されて怒る猫ってなんであんなに可愛いのかしら。


「クーデル! 見てないで止めるのを手伝ってくれ!」


「嫌。私も引き抜きには反対だもの。フィルミーさんとイリナを心から祝福させてくださらないセアニア男爵様に否があるわ」


 伯爵様の許可があれば刺したいと思うくらいには私の中でイリナのお父様の評価は下がっている。

 娘の恋にかこつけて、有能な人材の引き抜きを目論むなんて。

 乙女として許すわけにはいかないもの。


「待ちなさい、イリナ。引き抜きとはなんだ? なぜそんな話に?」


 頬を抑えながらセアニア男爵が不思議そうに首を傾げる。

 

「白々しい! 仲を認めて欲しければ婿に来いと言ったらしいじゃないですか!」

 

 ええ、確かに言ったわ。

 森の浅層で、私も確かに聞いたもの。

 娘はやらんが婿に来るなら考えてやるって。

 イリナ、優しい顔してなかなかの策士よ、貴方のお父様は。


「それのどこが引き抜きということになるのだ」


 あくまでもしらばっくれる気かと、イリナが強い口調で捲し立てると、黙って聞いていたセアニア男爵がお腹を抱えて笑い出したわ。

 

「はっはっは!! 誤解だ誤解。フィルミー殿を婿に迎えるのにそんな意図はこれっぽっちもないぞイリナ。むしろそんなことを企んだと思われたことが心外だ」


 ひとしきり笑って涙すら浮かべているセアニア男爵が、こんなに笑ったのは久しぶりだと呟きながら立ち上がる。

 

「まあ、昔から何か企んでいそうだとは言われてきたがな。そもそも、セアニア男爵家を継ぐのはお前の兄と決まっている。まさか、兄の存在を忘れたわけではあるまい?」


「それは、そうですけど」


 イリナの御兄弟は、お兄様がお一人にお姉様がお二人。

 あとは弟もいたんじゃなかったかしら。

 

「確かにフィルミー殿は優秀だ。が、それは戦士としての優秀さであって、貴族としての優秀さとは別の話。アルテミトス侯爵家の元斥候隊長、ヘッセリンク伯爵家の家来衆、鏖殺将軍の弟子。なるほど、見る者が見れば喉から手が出るほどの人材だろう。しかし、もしそれらの華々しい肩書きのみに目が眩んで後継者をすげ替えようなどと考える貴族がいるなら、その家はいずれ没落する」


 笑いを消して真剣な表情を浮かべる男爵様。

 そこまでわかっているなら、なおさら意味がわからない。


「セアニア男爵様。では、なぜフィルミーさんを婿になどと?」


 私が口を挟んでいい問題じゃないことくらい理解しているけど、イリナは大切な友達だもの。

 指を咥えて見ているだけなんて、そんなことできないわ。

 幸い、セアニア男爵は若干表情を緩めてくださった。


「騎士爵は一代貴族だ。領地が与えられるわけでもなく、言ってはなんだが名誉以外に得られるものはない。幾許かの給金は出るがね」


「そうですね。まあ、その幾許かの給金でも大変ありがたいものですが」


 フィルミーさんは今後ヘッセリンクからのお給金の他に、国から支給されるお給金をもらえるわけね。

 オーレナングにいる限り使う場所がないからお金は貯まるわ。

 私とメアリも刃物くらいにしか使い道がないし。

 あとはお洋服かしら。

 ただ、これは着る機会がないのよね。

 たまにメアリに見てもらうけど、反応がないの。

 きっと照れちゃってるのね、可愛いわ。


「平民から騎士爵になる例は稀だ。ほとんどが貴族家の次男以下。家を継ぐことのできない男子のなかで目覚ましい活躍をした者に与えられてきた」


 ハメスロットさんやエリクスからの説明のとおりね。

 そこまで説明したところで、セアニア男爵が突然パンッと柏手を打った。


「どうも回りくどいな。よし、端折ろう。私がフィルミー殿を婿に迎えたい理由は、孫の立場の保障。それだけだ」


 端折りに端折ったわ!

 ええと?

 セアニア男爵の孫は、フィルミーさんとイリナの子供よね。

 その立場の保障。

 フィルミーさんにイリナが嫁入りしたら、イリナが平民になったうえにその子供には騎士爵位は受け継がれないから、騎士爵と男爵家三女の子供だけど平民。

 でも、フィルミーさんがセアニア男爵家の婿に入れば、その子はセアニア男爵家の係累として扱われる?

 イリナの子ならどっちでもセアニアの係累になると思うのだけど、そこをより明確にするための保障ということなのかしら。

 

「それを考えていなかったとすれば、イリナ。貴族家の子女として甘いと言わざるを得ない。ヘッセリンク伯家で、何を学んでいた?」


 イリナがこの家で学んだこと?

 メイド業と人外の扱い方、かしら。

 父親らしく叱ってみせたセアニア男爵だけど、貴族的なことを学ぶのにヘッセリンク家ほど向いていない場所はないと思うの。

 そこは完全に貴方の選択ミスよ?


「申し訳、ありません」


 イリナもその物言いに完全に納得いってなさそうだけど、一応頭を下げている。

 それを見て満足そうに頷くセアニア男爵。


「まあ、そういうことだ。フィルミー殿。婿入りしたからと言ってセアニア男爵領に来てくれと言うつもりなど毛頭ない。むしろ来てもらっても任せる仕事などないし、貴殿を扱う器量は私にはないぞ。はっはっは!」


 たまに出る獣の駆除程度に鏖殺将軍の弟子など使えんだろうと笑い飛ばすお父様の様子を見て裏がないと確信したのか、ようやくイリナがいつもの笑顔を見せてくれた。

 うん、やっぱり怒り顔より笑顔が可愛いわ。


「ということは、お父様。フィルミーさんがセアニア男爵家に婿入りしても、私達はヘッセリンク伯爵家にお世話になってもいいのですか?」


「それはヘッセリンク伯に聞くべきだろう。それで、フィルミー殿。改めて答えを聞かせてもらおう」


 大丈夫よイリナ。

 伯爵様がダメなんて言うわけないじゃない。

 さあ、フィルミーさん。

 森では私しか聞けなかったけどここにはイリナもいるわ!

 素敵に決めてしまってちょうだい!


「イリナと夫婦となれるのであれば、喜んでセアニア男爵家の人間になりましょう。私はイリナを愛しています。必ず幸せにしますので、イリナを私にください」


 きゃー!!

 何回聞いてもいいわね!

 イリナ、ねえ、今どんな気持ち?

 顔真っ赤よ!?

 私は思わずイリナを抱きしめてしまった。

 そんな私を強く抱き返して、ありがとうと言ってくれる。

 ああ、なんて幸せなのかしら。


「結構。では、詳細はヘッセリンク伯が戻られてからにしよう。それから、イリナ」


「はい! お父様!」


 真面目な顔のセアニア男爵。

 イリナも、そしてフィルミーさんも緊張の面持ちでその言葉を待つ。

 

「お前に引っ掻かれた頬が痛むので手当てを頼む」

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