第691話 裸の付き合い
予定では模範演武を観戦次第帰る予定だった王太子達。
しかし、予想以上に白熱した演舞を見せられた王太子の興奮はなかなか冷めず、結局昼ご飯後の出発に変更になった。
昼ご飯までの暇潰しに最適なアクティビティの選択肢は二つ。
森か、地下か。
僕としては森の浅いところで遊ぶのもありかと思ってたんだけど、家来衆の総意をもって地下の温泉にご案内することになった。
「いやあ、いいものを見せてもらいました。元闇蛇のクーデルの実力は私の耳にも聞こえていましたが、ガブリエ、でしたか」
温泉に浸かって一息つくと、興奮がぶり返したように王太子が口を開く。
「ええ。本人曰く道化師が本業らしいですが、現状ジャンジャック、オドルスキに次ぐ我が家の三番手といった位置付けかと。あくまでも腕力的観点からの格付けでしかありませんが」
以前、ガブリエに勝てるかとメアリに尋ねたことがある。
考え込んだ末に返ってきた答えは、『無理』。
今のパンプアップしたメアリならいい勝負ができるんじゃないかと思ったけど、勝負を分けるのは腕力ではなく頭のネジの緩み具合らしい。
それを聞いて、じゃあ仕方ないかと納得してしまった。
「恐ろしいものです。召喚士ステムだけでも十分過ぎる隠し球だというのに、腕力面でそれを上回る人材を確保しているとは」
「ご安心ください。普段の彼女達はそれはもう穏やかなものです。ステムは何もなければ我が家のメイドの一人ですし、ガブリエに至っては子供好きな気のいい道化師でしかありません」
有事にならなければ、彼女達が自慢の腕力を行使することはない。
言外にそう伝えると、王太子も一応納得したように頷いてくれた。
「その二人にも驚いたが、俺としてはやはり」
僕と王太子の話がひと段落すると、一緒に温泉に連れてきていたガストンくんが興奮気味に前のめりで口を開く。
「ジャンジャック対オドルスキの一戦かな? 二人にはあくまでも演舞だと伝えていたのだが、揃って聞かん坊で困ってしまう」
軽い手合わせのみで、流血するような激しい殴り合いは不要だと言い含めていたんだけど、蓋を開けたら開始十秒で両者流血ですよ。
「念のためにお聞きするが、お二人の仲が険悪などということは、ないのでしょう?」
ガストン君が恐る恐る尋ねてくる。
仲が悪いからあんなに全力で殴り合ったんじゃないかと言いたいらしい。
「よく二人で森に出かけているし、定期的にフィルミーも交えて大人組で酒も飲んでいるみたいだ。それを考えれば、仲は良好だと思っているが」
僕の答えを聞いたガストン君が信じられないというように目を見開く。
「仲がいいのに、あの強度で殴り合えるのですか」
ガストン君と一緒に温泉に連れてきたアヤセも友人と同じような表情でそう呟く。
「ジャンジャックにしてもオドルスキにしても、公式に殴り合っていい場を心から楽しんだだけだろうな。そうでないと、我が家のメイド長の前であれだけどろどろに服を汚すなんてことは有り得ない」
王太子の前だから現行犯で雷を落としたりはしなかったけど、僕の指示を無視して殴り合いを楽しんだ挙句ボロ切れになった服をまとう二人に歩み寄り、聞いたことのない低い声で『あとでお話があります』と語りかけたアリス。
あの瞬間、オーレナングの気温が2〜3度下がった気がしたのは勘違いではないはずだ。
その迫力は、部外者である王太子にもしっかり伝わったらしい。
「ヘッセリンクはメイドまで強いということは理解しました。私も城のメイドに叱られないよう、今後お忍びで外に出る際には服を汚したり破ったりしないように細心の注意を払うことにします」
「お忍びを控えていただければ服も汚れないとは思いますが」
なんでお忍びで出歩く前提なんだよおかしいだろ。
頼むから偉い人はフラフラ出歩かずにドンっと構えておいてください。
忠実なる臣下であり、未来の右腕である僕の言葉を受け、王太子が深く頷く。
「服が汚れないよう細心の注意を払いますので安心してください」
お忍びはやめないぞ、と。
これは、改めて王城に手紙を出さなきゃね。
『僕主催の飲み会を監視してる場合か。それよりも王太子から絶対目を離すなよ!』くらい書いてもバチは当たらないだろう。
「しかし、父から聞いていましたが、この温泉は非常にいいですね。国都の近くだとサルヴァ子爵領に名湯がありますが、勝るとも劣らない」
都合が悪いと察したのか、王太子がすくったお湯を顔にかけながら話を変える。
「ええ。陛下だけではなく、ラスブラン侯やアルテミトス侯にもお褒めいただきました」
「森で魔獣を討伐し、この温泉で疲れを癒す。やはり私もオーレナングで経験を積むべきでは……?」
従弟よ。
なにがやはり、なんだい?
君の場合、ただただオーレナングに来たいという欲望100%じゃないか。
「未来の侯爵様の仕官はお断りだと言っているだろう従弟殿。我が家に来て得られるのは、精々筋肉くらいだ」
筋肉と引き換えに、ラスブラン特有の風を読む能力と悪辣な謀を仕掛ける能力が死んじゃうけどね。
「筋肉がつくのは大歓迎ですが。まあ、私がヘッセリンク伯爵家に仕官したいなどと言い出したら祖父がどう出るか想像もつきません」
アヤセが、絶対許してくれないだろうと言うように苦笑いを浮かべながら首を振ってみせる。
しかし、あまり知られていないがあっちのお祖父ちゃんは隠れヘッセリンクファンだ。
もしかしたら修行の一環だとか言って許可を出す可能性はある。
「バート君のことです。引退して自分もオーレナングに行くくらい言いかねませんね」
「確かに。ラスブラン侯はお祖父様を慕っていらっしゃいますからね。ついでに自分も! となってもなんらおかしくはありません」
流石はグランパ。
自分を慕う数少ない後輩への解像度が高い。
僕もアヤセやガストン君、さらには護国卿を慕う若手貴族の集いに参加してくれているみんなへの理解を深めておかないとね。
「……ヘッセリンク伯」
次は国都あたりで懇親会を開こうか、なんて考えていると、王太子が真剣な声と表情で僕を呼ぶ。
アヤセとガストン君も表情を引き締め、なんなら臨戦態勢だ。
え、なに怖い。
「殿下。いかがなさいましたか? 従弟殿もガストン殿も。急に険しい顔でどうしたというのだ」
「従兄上。そのご老人は、一体?」
……いつからいたの? グランパ。
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