第296話 第九楽章〜来ちゃった♡〜 

「それで? レックスは……、もとい、ヘッセリンク伯はこの男を引き渡したらどのように処分を下すのかな?」


 緩みかけた空気を引き締めるようにラスブラン侯が尋ねてきたのは僕の方針。

 

「必要なことを聴取したのち、王城に引き渡す。それが常道でしょう」


 これはラスブランに来る前に家来衆と相談して決めたことだ。

 過去には元闇蛇の幹部として利益を得ていたこと、現在は僕の名前を騙ったことが罪として認められる。

 王城に引き渡せば然るべき処分が下るだろう。


「ふむ。妥当かつお利口な判断だ。が、つまらないな。老害のようであまりこういうことは言いたくないが、先々代のヘッセリンク伯なら、名前を騙ったこの男を消し炭にしていてもおかしくない」


 炎狂いなんて呼ばれてたヘッセリンクの方のお祖父ちゃんね。

 敵には容赦しないと言って憚らなかったにやばい人だと聞いてはいる。

 だけど、召喚獣の餌にしてやる! とか森の奥に放り込んでやる! とか、そこまでする必要は感じない。


「僕の名を騙ったことについては、実害が出ていませんからね」


 そう伝えると、ラスブラン侯は表情を隠すように片手で顔を覆う。

 一瞬だけ見えた顔は、舌打ちせんばかりに歪んでいるように見えた。

 え、お祖父ちゃん、怒ってる?


「ああ……。ここで炎狂いと婿殿が早逝した影響が出てくるのか。いけないな。良かれと思って距離を置いたのが裏目に出たようだね。いいかい、ヘッセリンク伯」


 聞き分けのない生徒に言い含めるような低い声で、ゆっくりと呼びかけてくるラスブラン侯。

 祖父の顔ではなく、長年ラスブランの主人に君臨し続けてきた大貴族の顔に、思わず背筋が伸びる。

 

「貴族の名を騙った。その時点で実害が出ていることを理解しなさい。事実、レプミア中の裏街には自称レックス・ヘッセリンクの兄弟分が溢れかえっているわけだ。それらの輩がヘッセリンク伯の名を傘に着て悪さを働いたら。さあ、どうする」


 即答できなかったのは、迫力に呑まれたからか、そこまで考えていなかったからか。

 僕が何か答えるまで待ってくれるような優しい先生ではないようで、構わず言葉を続けるラスブラン侯。

 

「ヘッセリンクがギリギリでヤンチャを許されているのは、平民に害を及ぼさないからだろう? だが、この男は手当たり次第にゴロツキに声をかけているんだ。近い将来、そのゴロツキがヘッセリンクの名前で良くないことを起こす。そこまで考えが至らなかったかな?」


 ぐうの音も出ない。

 レックス・ヘッセリンクとして生きてきた短い期間、なんとなく上手くいっていたことで楽観的になりすぎていたのかもしれない。

 押し黙る僕に、厳しい先生が評価を下す。


「ラスブラン侯爵としても祖父としても、今のレックスに対する評価は一致している。総じて、甘い。これは、エスパール伯との諍いでも、ブルヘージュに対する対応でも言えること。ヘッセリンクの割には、お前は敵を許し過ぎる。今回の件もそうだ。ラスブランが絡んでいることを把握しているにも関わらず対応が後手後手。腕力に劣る私がなぜ狂人ヘッセリンクを前にこんなに余裕でいられるかわかるかな? 祖父と孫だから? 違う。狂人と呼ばれながら、大人になったお前が優しいこと、敵を許すこと、無闇に力を振るわないことを事実として知っているからさ。つまり、私に舐められているんだ。なあ、レックス。その力はなんのためにある? 貴族は舐められたら終わりだと誰も教えてくれなかったのかい? もちろんそれがヘッセリンク伯爵としてのレックスの方針ならば余計なことは言わない。ただ、許した相手に刺されることがあれば、それはお前自身の責任だよ?」


「覚悟しています」


 めった打ちにされて白旗を上げざるを得ない状況でも一矢報いようと顔をあげて即答した僕に、ラスブラン侯のトドメの一撃が放たれる。


「刺される覚悟をする馬鹿がどこにいるんだ」


 ですよね!!

 あ、ダメだ。

 今何を言ってもこの大貴族たる祖父を納得させられる気がしない。

 

「そんな阿呆がいれば刺される前に刺します、二度目はありません、くらい言ってほしいのだけどね」


「わたしの可愛い息子がそんな乱暴な解決を望むわけないでしょう」


 レックス・ヘッセリンクとしての明確な初敗北、しかもパーフェクトゲームでの負けが見えてきたその時、聞こえるはずのない声が聞こえ、小柄な人影が僕とラスブラン侯の間に割り込んできた。

 マーシャ・ヘッセリンク。

 言わずと知れた僕のママンであり、ラスブラン侯の実の娘。

 え、こんな予定はなかったよね?

 混乱する僕を見て、軽く頷くママン。

 皆まで言うな、と。


「ご苦労様でしたね、レックス殿。このクソジジイの話を聞いて大層疲れたでしょう。ここはこの母に任せて宿に戻りなさい」


 面と向かってクソジジイ呼ばわりはまずいのではないだろうか。

 それに、帰っていいと言われて帰れる雰囲気でもない。

 ラスブラン侯も突然のママンの登場に目を見開いていたけど、すぐに気を取り直して笑みを浮かべる。


「おやおや、マーシャ。久しぶりに帰ってきたというのにただいまも言えないなんて。そんなことじゃ婿殿に笑われるよ?」


「ジーカス様が笑う? それは素晴らしいことです。普段あまり表情が変わらない分、笑った時の顔がとても可愛いんですよ?」


 ママンはラスブランをよく思っていないらしく、ヘッセリンクに嫁いで以降ほとんど里帰りはしていないと聞いた。

 相当久しぶりに顔を合わせたはずなのに、父と娘のやりとりが皮肉からの惚気返しとは、これがラスブランか。

 

「ただいまよりも先に惚気るとは、流石はヘッセリンクの大奥様だね。それで? なにをしに来たのかな? 里帰りにしては連絡もなければ時間もおかしいと思うけど」


「端的に言うと、父上への嫌がらせをしにやってまいりました」


 真顔のママンの発言で発生する一瞬の静寂。

 次の瞬間に響いたのはこの日二度目のラスブラン侯の大爆笑。

 意外と良く笑うんだよなお祖父ちゃん。


「あっはっは! マーシャ。そこは息子を守るためと言った方が格好がつくんじゃないかな?」


 涙を浮かべて笑うラスブラン侯とは対象的に、ママンはぴくりとも表情を動かさない。

 クソジジイに笑顔など見せてやるものか、という強い意志を感じる。


「レックス殿はもうすぐ三十路の立派な大人です。既に母親に守られる立場ではありません。それよりも父上に伺いたいことがございます」


「なんだい? 久しぶりの再会で気分がいい。大体のことには答えてあげようじゃないか」

 

「ではお言葉に甘えて。この件、最初からお父様の仕込みですか?」


 初手、核心。

 流石はママン。

 痺れる一手だ。


「いいや? 家来衆から情報が上がってきたのは一年ほど前かな? 孫の名を騙るネズミがいるらしいと。ヘッセリンク家は全く把握できていなかったみたいだからこちらで潰しておいてもよかったんだがね」


 スラスラと答えるところを見ると、嘘をついているようには見えない。

 だけど、優しい顔で潰しておいてもよかったは怖いよグランパ。


「潰しておいてくださればよかったのです。そうすればこんな手間はかけずに済んだものを」


 ママンが眉間に皺を寄せて吐き捨てる。

 あんまり意識してなかったけど、意外と顔が似てるな。

 特に不機嫌そうな時の目が。

 言ったら怒られそうだからお口にチャックしておくけど。


「いや、これがこの男はなかなかやり手でね。情報を得た時にはまあまあの数の人間を口説き落としていたんだよ。流石は元闇蛇の幹部と言ったところさ。レックス。ヘッセリンクの弱点は、今も昔も情報網の脆弱さ。そうだね?」


「はい。それは仰るとおりです」


 話を振られると思っていなかった僕はぎこちなくこくこくと頷きながら答える。

 だめだ、さっきのお説教で苦手意識がすごい。


「脳みそまで筋肉でできたような歴代当主と比べて、レックスはそこを補う動きを見せただろう? そこは評価しているんだ。だから、私はこの男をラスブランに呼び寄せた」


「だから、の意味が理解できません。繰り返しますが、潰しておいてくださればよかったのです。こんな痴れ者を呼び寄せてラスブランにいかほどの利益があるのか理解できません」


 ママンの言葉に、初めて見る表情を浮かべるラスブラン侯。

 その表現は、戸惑いだろうか。


「利益? 孫を守るのに利益など追求するわけないだろう。怖いことを言う子だね」

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