第373話 バリューカ国護国卿 ※主人公視点外
「伯爵様。お客様がいらっしゃいました」
俺が執務室で収支報告書に目を通していると、家来衆筆頭の爺やが無遠慮に入室してきました。
とっくに髪のないつるっぱげを光らせているのに、いつまでも衰えない筋肉を持つ執事服の似合わない小柄な老人は、珍しく焦りを浮かべているように見えます。
「お客様? そんな予定ありました? 中央から人が来るのはまだ先だったはずでは?」
東に送られた先遣隊に続く第二陣が中央からやってくると連絡があったのはつい先日でした。
そんなに人が余っているなら我が家に何人か任せてくれればいいのにと愚痴の一つもでるというものです。
「西からではありません。東からのお客様です」
「その言い振りから察するに、先遣隊の皆さんが戻ってきたわけではなさそうですね。失敗しましたか」
あーあ。
これはやってしまったみたいですね。
中央の失敗万歳! と叫ぶには、犠牲が多すぎますから笑うのはやめておきましょう。
「それは今の段階ではなんとも。ただ、中央の兵士一名を確認しました」
「誰かわかりますか?」
我が家からも一人だけ派遣していますが、この言い方だと彼が戻ってきたわけではなさそうですね。
「ベラムという名の魔法使いを覚えておいでで?」
爺やが口にした名前には心当たりがありました。
たしか中央に近い場所にある貴族家に仕える口の悪い男で、先遣隊のうちの一隊を任されていたはず。
「土の力を振るう魔法使いでしょう? 中央の人間にしてはそこそこ力があるし、人としても悪くなかったように記憶していますよ」
そう答えると、爺やがにこりともせず頷きます。
「仰るとおりです。そのベラムとともにやってきた者が、レプミア国のヘッセリンク伯爵と名乗っています」
最悪ですね。
逆侵攻が掛かってるじゃないですか。
神などいないとは思っていますが、恨まずにはいられません。
「レプミア。それが東国の正式な名ですか。中央風に言えば楽園レプミア、と」
そこは本当に楽園か?
魔獣の棲家が延々と続いていたらどうする?
そんなことを考えていた俺ですが、どうやら人は住んでいるようでその点だけは安心しました。
「落ち着いている場合ですか。敵に踏み込まれているのですよ? 速やかに指示を」
おかしなことを言いますね。
慌てても仕方ないなら落ち着くしかないでしょう?
「指示も何も、まずは会って話をするところからでしょう。いきなり殴りかかるような野蛮な真似はしたくない。周りから中央に染まったと思われたくありませんからね」
ピデルロ伯爵家がついに中央に染まったなんて噂されたら、きっと父祖の霊に呪い殺されるでしょう。
「では全員を待機させたうえで会談の段取りを行いましょう」
そう言って出て行こうとする爺やの背中に声を掛けます。
俺達ピデルロ伯爵家は紳士の家系。
例え敵でも野蛮な扱いはしない。
「どれだけの人数かはわかりませんが、皆さんに行き渡るよう温かい食事を用意してあげてください。怪我もあるでしょうし、できる限りの手当も。森の向こうからやってきた勇敢な者達に敬意を払いましょう」
この出費は中央にふっかけてやりましょう。
あの城の玄関に飾られた趣味の悪い金ピカの像を溶かして売ればいくらか金になるはずですから。
「それが、やってきたのはベラムを除けば五名の小勢です。さらに、見たところ誰も怪我を負った様子がありません」
「……たった五人? こちらには札がありますが、それがないなら人海戦術で兵士を犠牲にして無理やり抜けてきた? なんということだ。支配者というのはなぜこうも腐っているのか!」
支配者の強欲さは東も変わらないということか。
民の命を路傍の石とでも勘違いした愚か者どもめ!
思わず机に拳を叩きつけようとすると、音もなく間合いを詰めてきた爺やの掌がそれを受け止めました。
「落ち着いてください伯爵様。それは推測にしか過ぎません。あと、感情に任せて備品を壊そうとするのはおやめください。小遣いから引きますよ?」
「……これ以上引かれたら小遣いがなくなるのでやめてください。しかし、お客様がいらっしゃったということは、先遣隊が失敗したということです。少なくともこちらの中央の見積もりが甘いことが証明されました」
政争など柄じゃありませんが、なんらかの形で責任を追求することは貴族として正しい動きでしょう。
お客様対応が終わり次第中央に文を書かなければ。
「全滅したのか、捕虜になっているのか。いずれにしても初手での躓きは我々が取り戻さざるをえないのでしょうな。ご準備はよろしいですか? 護国卿殿?」
護国卿。
護国卿ですか。
相変わらず嫌な響きですね。
「尻拭い卿の間違いでは? まあいいです。あり得ませんが最悪の想定で当たります。お客様はたった五人で森を踏破してきた強者達。それこそ、そこらの魔獣などよりもよっぽどタチの悪い生き物。そのつもりで全員完全武装で待機するよう伝えてください」
歴代、『悪魔』と呼ばれるピデルロの家来衆。
俺の家来衆達も素晴らしい人外が揃っています。
その彼らに全力を出す許可を与えるなんていつ以来でしょうか。
流石の爺やも緊張を隠せない、かと思えば鋭い犬歯を剥き出して好戦的な笑みを浮かべています。
そうでしたね。
お前はそういう生き物でした。
「承知しました。戦神様の言い伝えによる狂人が攻めてきた、とでも伝えておきましょう」
「はっ、それはいい。伝説の登場人物になる機会が巡ってきたとも加えておいてください。さ、行きましょうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます