第374話 常識的な狂人と悪魔
数えるのも馬鹿らしくなるほどの日数を掛けて灰色を抜けると、そこはオーレナング同様に鮮やかな緑が生い茂る見た目だけは美しい森だった。
灰色での出来事?
ただひたすら魔獣を屠り魔獣を屠り、美味しそうなら食べ、魔獣を屠る。
そんな風に腕力で押し通る脳筋ムーブを徹底しただけだ。
長い灰色での行軍で来年の税金を余裕で賄えるほどの素材や生命石を手に入れた僕達は今、ベラムの先導に従ってバリューカの東端を治める貴族の屋敷を訪れている。
エイミーちゃんやジャンジャックからは遠慮せず奇襲してやればいいと訴えられたけど、こんな森の護りを任されてるくらいだ。
僕同様話せばわかってくれる可能性は充分にある。
そのうえで仲良くできないならその時はその時に考えればいい。
ベラムの説明では、この地を治めるのはピデルロ伯爵。
『悪魔』の二つ名を持つ超武闘派なんだとか。
ピーデルーロくーん、あーそびーましょー。
「お待たせして申し訳ありません」
屋敷の主は、思っていたより若い男だった。
『悪魔』というにはベビーフェイスだな、というのが第一印象。
むしろ後ろに控える執事服パッツパツの老人の方が悪魔っぽい。
「いやいや、突然お邪魔したのはこちらだ。お詫び申し上げる」
「知っていらっしゃるかもしれませんが、念のため。俺はピデルロ伯爵、アラド・ピデルロ。バリューカ国より東端の守護を任されています」
静かに頭を下げたアラド君。
やけに丁寧な悪魔だ。
これは、僕も狂人として常識的な態度で臨まないといけないな。
「ご丁寧にどうも。僕はレックス・ヘッセリンク。貴殿達が言う『楽園』で、西を護る伯爵を務めている」
「……こちらが派遣した者達は」
少しの沈黙のあと、アラド君が苦しそうな顔で搾り出すようにそう切り出した。
その態度を見るに、人の命を紙屑程度にしか思ってないクソ野郎ではないらしい。
「ベラムの話では、国からの支給品に粗悪品が混ざっていたらしく、森の中で相当数が脱落したらしいが、無事に我が領に辿り着いた者についてはとりあえず命はある状態だ。当然無傷とはいかないがな」
「そう、ですか」
「こちらからも聞きたいことがあるのだが」
「その前にもう一つ。よろしいでしょうか」
無念そうに顔を歪めるアラド君に尋ねると、逆にギラついた目でこちらを見据えてくる。
「ふむ。まあお邪魔している立場だからな。構わない」
「ではお言葉に甘えて。森の向こうには、本当に楽園と呼べる世界があるのでしょうか」
ああ、そのことね。
そもそもの発端がレプミアを楽園と呼んで彼らが攻めてきたことだったから、そこが気になるのは仕方ないか。
「なにをもって楽園と呼んでいるのか知らないが、少なくとも僕の治める場所は最愛の妻をして地獄の入り口と呼ぶ場所だな。まあ、これは魔獣どもが湧いて出る森に接しているからだが」
うちのプリティワイフは折に触れて、『オーレナングは地獄の入り口ですものね!』って素敵な笑顔を浮かべてくれます。
可愛いでしょ?
「それ以外の街も楽園かと聞かれれば違うのではないかと思うぞ? 極端に貧富の差があるとか、身内同士で争い続けているとかそんなことはないからそれを楽園と呼ぶならそうかもしれないな」
「……やはりそうですか」
アラド君の反応から、楽園なんて与太話を信じてはいないらしいことはわかった。
つくづくまともな男だね。
「では、こちらの質問を受け付けていただいてもよろしいかな?」
僕の言葉に頷くアラド君。
「僕がこのバリューカにお邪魔した理由は、端的に言えば、報復だ。そちらが阿呆な夢を見て土足で我が領に踏み込んできた結果、こちらの兵が負傷した落とし前をつけに来た」
そう言うと、パッツパツ執事さんがぴくりと反応する。
と同時に僕の後ろに控えるこちらの戦闘狂が軽く前に出た気配がした。
爺さん同士の無言の牽制だ。
「貴殿は森の端を護る家の当主だから、きっと僕同様理性的かつ常識的だろうとは思っていたが、その通りで安心した。そんな理性的な貴殿に尋ねるのだが、我々を大人しく通してくれるかな? もしそうしてくれるのであれば、こちらに手を出さないことを約束する」
ベラム曰く、このピデルロ伯爵家はバリューカの最高戦力の一つらしいから、ここが静観してくれると余計な労力をかけずに済むんだけど。
「我が家が貴方がたの行動を黙認したとして、その後はどうするおつもりか?」
「一人一人土地を治める貴族をこうやって訪ねて回り、話が通じるならば握手をし、通じないなら一人一人『頬を張る』つもりだ」
全員もれなくしばいて回るなんて非効率なことはしない。
頬を張るのは、レプミアを楽園と呼んで領土拡大を夢見てる阿呆だけでいい。
「たった五人で?」
「できないと思うかな?」
しばしの睨み合い。
老執事同士も引き続き牽制の応酬が続いているようだ。
平静なのは横に座るエイミーちゃんだけ。
「個人的には。個人的には余計な労力を使いたくないので貴方がたをこのまま通してしまいたい。が、俺も古より『悪魔』などと呼ばれる家に生まれているのです。こちらに責があるからといって、さあどうぞ奥へ、とは言えない」
常識人の苦渋の決断、か。
やむを得ない。
「なるほど。理解した。では、宣言したとおり『頬を張る』としようか」
僕の言葉と同時に、それまで平静を保っていたエイミーちゃんがアラド君に向かって分厚いテーブルを蹴り上げる。
「トーレ」
執事さんのお名前はトーレさんね。
主人の声掛けに即応して空を舞い、テーブルを叩き落として見せた姿はそれだけでこの老人が異常なことを示していた。
「ジャンジャック。遠慮はいらん。抵抗する輩には、全力で自分達が何を相手にしているかわからせてやれ。メアリとクーデルにもそう伝えろ」
「御意。さ、貴方もこちらにどうぞ?」
僕の指示にこちらも即応した鏖殺将軍がトーレに襲い掛かり、そのまま殴り合いながら部屋を出ていく。
これで護衛を引き剥がすことができました、と。
「エイミー。足癖が悪いぞ? いきなり他所様のテーブルを蹴り上げるなんてお転婆が過ぎる」
そんな風に苦笑いで苦言を呈してみると、エイミーちゃんは蕩けそうな笑顔を浮かべた。
あ、この笑顔はいけない。
「ふふっ。仕方ないではありませんかレックス様。ピデルロ伯爵様は、我がヘッセリンクに敵対する道をお選びになったんですもの」
案の定、その目の奥には深い闇を湛えていて、視線は僕の敵となることを選んだ隣国の伯爵に固定されている。
「そうであれば、レプミアの『狂人』としてそれなりの対応をしなければなりません。さあ、仕置きの時間ですよ、バリューカの『悪魔』殿。覚悟は、よろしいですね?」
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