第375話 屋内で喚んでみた

 エイミーちゃんの宣戦布告を受けたアラド君は、焦るでも腹を立てるでもなく老人二人が出て行った扉を閉めた後、壊れたテーブルを撫でながらため息をついた。


「このテーブル、高かったのですが。ヘッセリンク伯爵殿。奥方の行動は貴族として相応しいとは言い難いのでは?」


「これは申し訳ない。僕のエイミーは敵の存在に敏感でな。貴殿が敵だと判断して気が昂ってしまったようだ」


 いや、実際僕も驚いたんですよ。

 まさか愛妻がいきなりテーブルを蹴り上げるなんて思わなかったから。

 一応旦那さんらしく軽くたしなめはしたが、心臓はバックバクだ。

 『頬を張るとしようか』と言ったままのキメ顔を保った僕を誰か褒めてほしい。


【よく頑張りました】


 ありがとうコマンド。

 

 僕の言葉にもう一度ため息をつきながら首を振るアラド君。


「それはいけません。敵地で冷静さを欠くなんて最も危険な行為です。御自分を窮地に追い込む可能性があること、夫として奥方に伝えだ方がいい。まさか、尻に敷かれて強く言えないなどということはありませんよね?」


 多分これは皮肉なんだろう。

 心から心配しているようにこちらを窺う表情だが、煽りソムリエである僕にはわかる。

 だが、まだ若さが出ているな。


「初対面の貴殿にこれを言うのは恥ずかしいことだが……。僕がエイミーにできることは、愛を囁くことだけなのだ」


 ニコリと微笑みながらそう伝えると、露骨に嫌そうな顔をするアラド君。

 奥さん絡みの煽りには全力の惚気で返すのが鉄則だ。

 これが世界でトップクラスに上手いのが何を隠そうパパンことジーカス•ヘッセリンクだ。

 グランパや初代様にいくらいじられようがその都度ママンへの愛を語り始めるから、いじった方が裸足で逃げ出す羽目になるんだ。


「あと、これは以前誰かにも言ったことがあるのだが、尻に敷かれているということについては敷かれ具合が最高だから問題を感じていない」


 エイミーちゃんの尻に敷かれるなんてご褒美だと申し添えておくと、その愛妻がポカポカと腕を叩いてくる。


「もう、レックス様! 恥ずかしいです!」


 信じられるかい?

 この可愛い生き物、少し前にテーブル蹴り上げてたんだぜ?


「はっはっは! 怒っている顔も素敵だが、やはりエイミーの照れている顔も捨てがたいな」


 この方向の煽りが無駄だと判断したのか、降参とばかりに両手を上げるアラド君。

 撤退の判断が的確だね。


「……仲がよろしいというのは理解しました。とんでもない胆力であることも。これが東で狂人と呼ばれている所以ですか」


「いや、これはただ惚気ているだけだな。貴殿はまだ若いようだが奥方はいるのかな?」


 多分アヤセやガストン君と同じくらいだと思う。

 独身でもおかしくないけど貴族は結婚が早いからね。


「ええ。おかげさまでつい最近結婚いたしました。俺なんかにはもったいない素晴らしい女性です。誰にも見せずに閉じ込めておきたいくらい愛しています」


 やだ怖い。


「これは熱烈だ。機会があればぜひ奥方にも挨拶させていただきたいものだな」


 そう言うと、アラド君がにっこりと、違うな、ニヤリと笑った。


「機会ならありますよ。今すぐにでも、ね」


 聞こえてきたのはバタバタと近づいてくる足音。

 そして、閉めたばかりの扉が破砕音を響かせながら弾け飛んだ。

 

「アラド様!! クリスティンが参りましたわ!! 賊はどこに!?」


 扉を蹴破って飛び込んできたのは剣を握った小柄な女性。

 見ようによっては子供に見えるが、口ぶりから察するにこの子がアラド君の奥さんなんだろう。

 丸っこいフォルムが、スレンダー狸顔のエイミーちゃんとは別種の可愛らしさを演出している。


「ピデルロ伯爵殿。これでよく人の妻に苦言を呈したものだな。客がいる部屋の扉を蹴破るなど奥方はヤンチャが過ぎるぞ。あと、他国の貴族を捕まえて賊呼ばわりはいただけない。むしろ勝手に侵攻してきたそちらが賊だとしっかり言い聞かせておくべきだ」


「わたくしの愛しい方になんという態度! 許されませんわ!!」


 怒り狂った猫のように叫びを上げ、僕に剣の切先を向けるクリスティンちゃん。

 どうしたものかと思案する間もなく、エイミーちゃんが僕の前に立った。

 背中しか見えないけど、多分笑っていると思う。

 顔だけは。


「あらあら。いきなりお客様に武器を向けるなんてマナー違反ですよ? そんなこともわからないなんて、まだお嬢さんなのね」


「クリス!!」


 アラド君の声で後ろに飛ぶクリスティンちゃん。

 一瞬前まで彼女の頭があった場所を、エイミーちゃんの長い脚が鞭のようにしなりながら通過した。

 開幕、頭部にハイキック。

 痺れるね。


「エイミー。僕はピデルロ伯爵と一対一で未来に向けた話をしておく。その間、若い奥方にレプミア風の貴族の妻の立ち居振る舞いを教えて差し上げてくれ」


「承りました。さ、広い場所はあるかしらクリスティン様。ああ、私はエイミーです。よろしくお願いしますね?」


 僕の言葉に頷いたエイミーちゃんは素早く間合いを詰めると剣を振るうクリスティンちゃんの懐に潜り込んで襟首を掴み、そのまま窓際まで押し込む。

 腕力はエイミーちゃんに分があるようだ。

 

「くっ! 離しなさい! 離せ!! って、きゃあああ!!」


 見たままの事実をお伝えすると、窓際で揉み合った後、うちの愛妻が小柄な敵の愛妻を担ぎ上げ、そのまま窓の外にダイブしていった。

 二階だから大丈夫か。

 うん、きっと大丈夫だろう。


「ヤンチャさでは、エイミー様に軍配が上がりそうですが?」


 呆れ顔のアラド君。

 愛妻同士が窓からダイブしたというのに冷静だ。

 つまりあのくらいでどうこうなる奥さんじゃないよ、と。


「それも魅力の一つさ。さて、僕らは僕らで殴り合うとしようか。ああ、事前に聞いておきたいのだが、この屋敷に非戦闘員は何人いるかな?」


「いませんね。いや、普段は数人いますが、今ここは東への侵攻の前線基地ですから。何があるかわからない状況なので、近くの親しい貴族の元に逃しています」


 それは安心だ。

 とても助かります。


「素晴らしい判断だ。ありがとう」


「ありがとう?」


 ああ、ありがとうで間違いないよ。

 巻き込まずに済む。

 

「出ろ。ゴリ丸」


 今回は屋内なので空からではなく、何もなかったはずの空間にいきなり現れたゴリ丸。

 充分に広い部屋も、大魔猿には狭すぎたようで、咆哮を上げながら四腕を振り回して天井を砕いて見せる。

 床から聞こえるミシミシという音は、ゴリ丸の重量に耐えかねた悲鳴だろうか。


「魔獣だと!? 召喚士か!!」


 奥さんが窓から連れ出されても崩れなかったアラド君の表情が歪む。

 ベラムも召喚士に対してとても驚いていたから、きっとこの国に同業者は少ないんだろう。


「御明答。さあ、これより僕はバリューカ国への報復に着手する。手始めに、全力でこのピデルロ領を無に帰そう。僕達との敵対を選んだこと、たっぷりと後悔しながら逝くがいい」

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