第270話 逃げる夫婦

 オーレナングの女神から罰を下された哀れなチンピラ君は、街中で堂々とイチャつく僕らに腹を立てて脅かしてやろうと思っただけらしく、それ以上のことは考えていなかったと供述した。

 絡まれたこちらとしては、じゃあ無罪放免ね! とはいかないので一応野次馬の皆さんに衛兵の詰所の場所を聞いて連行する。

 身なりの整った見知らぬ男女に引っ立てられた流血するチンピラを見て俄かにざわつく詰所内。

 当然こちらの素性を聞かれたが、そこはお忍びデート中なので、キリッとした表情で『名乗るほどのものじゃありません』と言って華麗に立ち去った。

 そんな僕らをいやいや待て待てと追ってくる複数の衛兵さん達。

 それはそうだ。

 絡まれたから殴り飛ばしましたがこちらの素性は明かせませんのであとはよろしく、なんて言われてわかりましたお疲れ様ですと回答する衛兵はいない。

 もし僕達が一般的なお忍び中の貴族夫婦なら、あっという間に捕まっていただろう。

 しかし、舐めてもらっては困る。

 エイミーちゃんは同世代の女性の平均値を遥かに上回るであろう俊足だし、僕だって伊達に森の中を走り回っちゃいないうえにスタミナだけは凄い。

 身につけた武具のせいで重量ハンデもある衛兵さんが追いつけるわけもなく、余裕を持って振り切ることに成功した。

 その過程で僕もエイミーちゃんに振り切られそうになったのは秘密だ。

 

 衛兵さんを撒き、背負うオーラを鬼神から女神に切り替えたエイミーちゃんとともに改めて目的の洋服屋さんに向かう。

 その道中で、あえて先ほどの出来事を蒸し返したりしない。

 そう、ハプニングなんて起きなかった。

 

 猫の寝床は、こじんまりとした店舗の壁に塩梅よく少数の商品が配置されていて、世の多くの男性が陥ったことであろう、『店で見る女性の服、たくさんありすぎて全部一緒に見える』病の発症を抑えるよう工夫がされているようだ。

 先ほどのアクセサリー屋さんでも感じたけど、アリス達が提案してくれた裕福さを示すための多少派手な服が功を奏しているらしく、店員さん方からとても丁寧な接客を受けることができた。

 何着か試着してみた結果、ここで購入したのは、それぞれ赤と緑を基調にしたワンピース的なお洋服を一着ずつ。

 赤の髪飾りの時には緑を、緑の髪飾りの時には赤を着るらしい。

 帰り間際、店主にアクセサリー屋さんから紹介されたと伝えたら、父親なんですと笑われた。

 なるほど、そういうことね。

 

……

………


「どこもいいお店ばかりでしたね」


 宿の食堂で上質かつ一般的な量の食事を摂ったあと、部屋に戻ってマハダビキア&ビーダーの手によるサンドイッチなどを上品かつ高速で胃に収めていくエイミーちゃん。

 よっぽど楽しかったのか、あの店はこうだった、この店はこうだったと思い出を語っている。

 もちろんチンピラに絡まれた思い出はでてこない。


「ああ。特にアクセサリーと服は値段もだいぶ良心的だった。もっと買ってもよかったんだぞ?」


 一般的には決して安くない価格帯だったけど、一応十貴院なんていう組織に属する家の当主なので、懐が痛むほどではない。

 可愛いエイミーちゃんを見ることができるなら喜んで服を買わせていただきたいところだが、愛妻は僕の言葉に首を横に振る。

 

「いいんです。今回一遍に買ってしまうと、次に二人で来るまで時間が空いてしまいますから。他に欲しいものがあっても、次の機会に取っておくんです」


 かわーいーい。

 だめだ、可愛すぎてイントネーションがおかしくなった。

 こんなに喜んでくれるなんて、定期的に連れ出したくなるじゃないか。


「次は国都というのもいいかもしれないな」


 いっそブルヘージュまで行っちゃう?

 最近一周したばかりだからある程度土地勘もあるし、何人か親しい友人もできたからある程度歓迎してもらえると思う。


「ふふっ。国都にはサクリを連れて三人でいきましょう。お義母様も喜んでくださいますから、ね?」

 

 ママンはサクリに会いにわざわざオーレナングにノンアポで乗り込んで来るくらいだからな。

 大奥様に孫の顔を見せに国都に行くことを、家来衆も妨げないはず。

 

「では、サクリを連れて国都からカニルーニャ領に足を伸ばすというのはどうだ。母上だけではなく、カニルーニャの義父上もサクリに会いたいだろう」


 お義父さんにとってサクリは初孫ではないけど溺愛するエイミーちゃんの娘なので、国都にいる間はとんでもなく猫っ可愛がりしていた。

 やや遠いけど、せっかく国都に行くならカニルーニャもセットにしたほうが効率がいい。


「流石にそこまでとなるとメアリやクーデルを連れて行かなければいけませんね。それこそ私たち三人だけで里帰りしてはお父様に雷を落とされてしまいますよ?」


 優しいお義父さんも貴族のマナーにはうるさいからね。

 確かに家族三人でカニルーニャの屋敷に入った瞬間、僕だけ個室に連れて行かれて逃げ場なしのお説教タイムに突入しそうだ。

 カニルーニャ伯は公平な方なのでそのあときっちりエイミーちゃんもお説教するだろうけど。

 

 とはいうものの、今回わがままを通させてもらったんだから当面は森と屋敷で通常業務に当たる必要がある。

 人材発掘面でも滞ってるプロジェクトを進めなければいけない。

 以前カナリア公から譲ってもらった元闇蛇のリストをもとに、オーレナングの四人と国都の屋敷にいる数人の協力により、取り込むべきメンバーの絞り込みまで済ませている。

 あとは接触を試みるだけというところで東国の騒ぎやらなにやらがあり、一時凍結中だ。

 帰ったら、そろそろそちらの動きも再開しないと。

 神様、何も起きませんように。

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