第269話 よくあるハプニング

※本日(5/4)二話目の投稿です。第268話『臆病かつ繊細』を未読の方は、そちらからご覧下さい!


……

………


 カイサドル子爵領の領都は、領主の気質を反映したように穏やかな空気が流れていた。

 快活とはまた違う、辺境の地で毎日を同じリズムで生きてきた人々の、優しい雰囲気に包まれた街。

 こんなにいいところならちょくちょく足を運んでもいいなあと思う程度には癒される空気感だ。

 ちなみに、オーレナングがああなのは領主の気質を反映したからではない。


「レックス様、これはどうでしょうか?」


 アクセサリーを売っている少し高級なお店の店頭で、エイミーちゃんがなにかの花弁を模した赤い髪飾りをつけて微笑んでいる。

 一瞬、女神かと錯覚したけどよく見たら愛妻だった。

 

「ああ、とても似合っているよエイミー。ふむ。その赤の髪飾りに合わせる服も欲しいところだな」


 あまりに似合ってるから全身コーディネートしてみたくなった。


【レックス様のセンスや如何に】


 センス?

 ふっ。

 いいかい、コマンド。

 そんなものなくても溢れ出る愛でカバーするから大丈夫さ。


「気前のいい旦那さんで幸せですねえ。よかったら、この道をまっすぐ行ったところにある『猫の寝床』って店に行ってみてください。手頃な値段で質のいい服が揃っていますよ」


 人の良さそうな老店主が僕の呟きを拾ってオススメの店を教えてくれる。

 『猫の寝床』ね。

 国都の刃物屋はなんだったけ?

 ああ、『熊のねぐら』だったか。

 

「それはいいことを聞いた。店主殿、この赤と、それとこっちの緑のやつもいただこうか」


 貴重な情報提供のお礼に追加でもう一つ購入しておく。

 今回の予算はもちろん僕のポケットマネーだ。

 妻とのデートに家の金を注ぎ込むほど放蕩領主ではない。


「話がわかる旦那様ですね! 値段のほうは勉強させていただきましょう」


「いいんですか? レックス様」


 赤の髪飾りをつけたままエイミーちゃんが上目遣いでこちらを見つめてくる。

 だって、最後まで赤と緑で迷ってたし。

 最近身を粉にして働いてそのくらいは稼いでいるので問題ありません。


「もちろん。緑は我が家を象徴する色だからね。ぜひエイミーにも身につけてほしいと思っていたんだ。受け取ってくれるかな?」


 正確には濃緑がヘッセリンクの色なので、髪飾りのような淡い緑ではないんだけど、エイミーちゃんなら間違いなくこっちの緑の方が似合う。

 

「嬉しいです! 旦那様大好き!」


 よっぽど嬉しかったのか、エイミーちゃんが抱きついてくる。

 おいおいプリティワイフ。

 昼下がりのめちゃくちゃ人通りのある場所で熱烈なハグは、いくらなんでも少し恥ずかしいよ。


「こらこら。こんな往来で甘えてくるなんて。お義父さんに知られたら私が叱られてしまうだろう?」


 あんまり表に出さないけどカニルーニャ伯は末の娘であるエイミーちゃんを溺愛してるからな。

 衆人環視の中でハグしてたなんてバレたら、アルテミトス侯ですら恐れる必殺のビンタが飛び出す可能性は否定できない。


「大丈夫です。今は二人っきりですから」


 そんな僕の胸の内を知らないエイミーちゃんは頬をすりすりと擦り付けてくる。

 可愛いねえ。

 よしよしと頭を撫でていると、店主の親父さんがパンパンと手を叩く。


「見せつけてくれますねえ! ほら、独り身の男達が恨みがましく見ていますよ?」

 

 おっと、絡まれでもしたら大問題だ。

 ウッキウキのエイミーちゃんの気分を害したりなんかしたら、絡んできた相手の明日が保証できなくなる。

 フィジカルの差があり過ぎて僕じゃ止められない。

 いくら全体的に穏やかな空気でも全員漏れなく善人なんてことはないだろうし、おかしなことにならないよう次の店に急ごう。


「おいおい、見せつけてくれるじゃねえかお二人さんよう」


「エイミー、次はその『猫の寝床』という店で服を見よう。私が全身選んでみようと思うのだがどうだろうか」


「レックス様がですか? ええ、ぜひ! 家に戻ったらレックス様に選んでいただいた服を着てみんなで食事がしたいです!」


 お、それはいいアイデア。

 ぜひ家来衆には僕の迸るファッションセンスを見せつけたいところだ。

 

「おいこら! なに無視してやがる! お前らに言ってるんだよ、お前らに!」


「じゃあ、それぞれが最も気に入っている服で集まって食事をする日を設けようか。ジャンジャックやハメスロットの服など興味があるな」


 仕事中はみんな制服的な服装だからね。

 ジャンジャック、ハメスロット、メアリ、エリクスは濃緑の執事服。

 みんなネクタイだけが色違いだ。

 アリスとイリナ、クーデルは濃緑のメイド服でこちらも胸元のリボンだけ色を変えている。

 マハダビキアとビーダーは純白のコックコート。

 決まった格好をしてない家来衆はフィルミーとアデル、ユミカくらいか。

 みんなで私服パーティーは意外と新鮮かもしれない。


「楽しそうですね! ぜひやりましょう」


 うんうん。

 エイミーちゃんの弾けるような笑顔を見られるなら喜んで企画しちゃうよ。

 あと、意識的に気にしないようにしてたけど、さっきから周りでブンブン言ってる何かがいるなあ。

 

「あったまきた! ぶっころグヘぇ!?」


 そろそろ鬱陶しくなってきたので排除しようと思っていたら、エイミーちゃんがニコニコ顔のまま、後方から絡んできた男の顔面に裏拳を叩き込んでいた。

 速すぎて止める間もありませんでしたよ?

 生きてるか?

 よし、ピクピクしてるからセーフ。

 ほっと胸を撫で下ろす僕を尻目に、倒れ込んだ男の襟首をむんずと掴むと、エイミーちゃんが優しい笑顔を浮かべながら優しい声色で語りかける。


「ねえ。私、今とても幸せなんです。最愛の旦那様と二人きりで街を歩いて、お買い物をして、お話をして。とても、幸せなの。ねえ、わかるかしら?」


 おかしいな。

 さっきは女神と錯覚したのに、今は鬼神に見えるよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る