第392話 濃緑の雨

 その日、バリューカの中央に程近い貴族領、アバルカム公爵領に濃緑の雨が降り注いだ。

 正確には、濃緑色をした風の矢が、アバルカム公爵の無駄に豪奢な、自己顕示欲の塊のような屋敷に向かって高高度から次々と飛来し、轟音とともにそのことごとくを破壊していく。

 その風の矢はウインドアローと呼ばれる風魔法の最も基本的なものの一つだった。

 駆け出しなら数本の緑の矢を、熟練にもなると何十本という数のそれを一斉に射出できるようになるその魔法は、火魔法に比べれば攻撃性に劣るが撃ち出される速度が上であるため、敵を牽制する際に重宝されると聞く。

 さて、僕ことレックス・ヘッセリンクも魔法使いの列にその名を連ねている。

 もちろん主戦は召喚術なわけだが、俗に言う属性魔法も使えないわけではない。

 得意な属性は何かと聞かれれば、風魔法だと答えるだろう。

 ああ、ジャンジャックの土魔法やエイミーちゃんの火魔法、リスチャードの水魔法のように高度な魔法を使うのは不可能だ。

 まともに使える風魔法はウインドアローと、風を纏って防御を固めるものくらいだと思ってもらいたい。

 事の発端は、バリューカの地位の高そうな貴族が、オーレナングに侵攻してきたことを一ミリも反省しないどころかイキリ散らかしてきたことに腹が立った弾みで『ちょっと脅かしておくか』とウインドアローを放ったことだ。

 威嚇射撃というやつだね。

 普通なら数本の風の矢が無駄に堅牢な建物の外壁に当たって消えるレベルの魔法。

 それだと威嚇にならないので、思い切り魔力を注いで極太の矢を放った。

 イメージはパパンの槍だ。

 僕としては、屋敷の壁にヒビでも入ればそれで良しというつもりだった。

 しかし、悪戯心でエリクスの持たせてくれた札のうちの一枚をこっそり握り込んだことがいけなかったのだろう。

 ただ一本だけで射出された極太の矢は、高速で上空に舞い上がると、落下するなかで無数の細い矢に分かれていき、着弾する時には数えるのもバカらしい程の数まで増えていた。

 そして巻き起こる惨劇。

 濃緑の雨がやむまで、時間にして数十秒。

 ウインドアローという何の変哲もない魔法で、無駄に堅牢かつ豪奢な自己顕示欲の塊は、完全に解体されることになった。

 そんな僕を呆れたように見つめる家来衆が一人。

 愛妻と残る家来衆二人は僕への賞賛を惜しまない構えだが、リアクションとして正しいのは確実に前者だと僕も思う。

 

【威嚇射撃のつもりだったのに僕の魔法が強過ぎて敵の屋敷を解体してしまった件】


 要約ありがとう。

 つまりそういうことだ。


「帰り次第、エリクスに真意を尋ねるべきだろうな。これは、まずい」


 いや、本当に。

 今回の遠征がバリューカから受けた侵攻への報復を兼ねているのは事実だからイキり公爵のおうちが解体されたこと自体はまあいい。

 問題なのは護呪符の性能ですよ。

 こんなに出力高かったっけ?

 東隣さん相手にフィルミーが使った時は、星陥しとかいうジャンジャック直伝の禁術込みだと思ってた。

 僕みたいな駆け出し風魔法使いの、レベル1から覚えてるような魔法と掛け合わせてこの威力とか、それは国も規制するってもんだ。


「何サクッと護呪符使ってんだよってのは一旦置いとくわ。いや、エリクスのぶっとんだ技術と兄貴の頭おかしい魔力量が掛け合わさったらこうなるのか。こりゃ傑作だ」


 ああ、威嚇のために魔力をしこたま込めたのもいけなかったのか。

 次はもう少し抑え目にしよう。

 

「もし仮に、召喚獣を喚ぶ時に護呪符を使ったらどうなるのだろうか。すごいことになると思わないか?」


 魔力を多めに注いだだけでもパワーアップしちゃうのが僕の召喚獣達だ。

 そんな彼らと護呪符の力が合わさったら、それぞれが進化でもしないと帳尻が合わない気がする。


「ワクワクしてんじゃねえよ。まあ、ここは敵地だから絶対やるなとは言わねえけどさ。十中八九碌なことになりゃしねえだろ」


 嫌そうに顔を顰めるメアリ。

 仰るとおりだね。

 前向きな影響だけじゃなくて、召喚獣の暴走とかの後ろ向きな影響だってあるかもしれない。

 楽しそうというだけでギャンブルプレイに走るのはやめておこう。


「違いない。よほどの敵、それこそ神でも相手にする時にしか使えなさそうだ」


 いるかいないかわからない神様を仮想敵に据えると、エイミーちゃんが僕の腕にそっと触れた。

 

「この光景を目の当たりにしては、レックス様なら例え神が相手でも完勝してしまうのではないかと錯覚してしまいます」


 惚れ直したかい? マイプリティワイフ。

 たとえ僕の行為が破壊神のそれだとしても愛してくれますか?


「流石に神に完勝できるかと言われるとわからないとしか答えられないが、もし出会うことがあったなら、両頬を張り飛ばしたくはあるな」


 僕が願った方向とは必ず逆に進ませようとする性悪の神よ、見ているか?

 僕は必ずお前の頬を張る。

 最低三往復だ!


「その時には私もご一緒いたします。レックス様とならきっと神の一体や二体張り倒せますわ!」


「流石は僕の可愛いエイミーだ。こんなに心強いことはない」


 前略、神様。

 貴方の元にお邪魔する際には、夫婦連れ立って参ることになりました。

 お覚悟を。


【神などいませんから、ね?】


「さて。当初の予定とは若干違ってしまったが、散々イキリ倒してくれた公爵様の顔でも見に行くとしようか。まさか屋敷の解体に巻き込まれてなどいないだろうな」


 





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