第508話 ご本人登場

 みんなでボカジュニ伯爵領の散策をしつつ呼び出しを待っていると、そう待たされることもなく宿に伯爵の遣いを名乗る男性が手紙を運んできてくれた。


『約束どおり話を聞くから明日の昼過ぎに屋敷まで来い』


 用件しか記されていないシンプル過ぎる手紙。

 これだけじゃこちらを疑っているかどうか判断できないけど、こちらにできることは呼び出しに応じる一択だ。

 明日、どんな手を使ってでもボカジュニさんを口説き落として、ユミカとともに大手を振ってレプミアに帰ろう。


「ボカジュニ伯爵様。お呼びにより、罷り越しましてございます」


 今回のお供はエリクス。

 ただし、メアリ、オドルスキ、ユミカも万が一腕力勝負になった場合にすぐに察知できるよう、屋敷近隣で待機させている。

 入室した僕達に視線を寄越したダンディが立ち上がり、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

 無防備なのは、個人の腕力に自信があるからだろうか。

 

「ややこしい挨拶など不要だ。約束どおり、お前の願いを聞いてやろう。考えは纏めてきただろうな?」


 手紙同様、余計なことは言わず用件を切り出すボカジュニ伯爵。

 こちらとしては話が早くて助かる。


「ええ。もとよりボカジュニ伯爵様にお願いしたいことはただ一つだけでございます」


 ユミカから手を引いて二度と蒸し返すな。

 それだけ伝えるために海を渡ってきたんですよ。

 

「ほう? 欲のないことだ」


 大貴族である自分を前にして一つだけしか願い事をしないなんて、ということなんだろう。

 じゃあ、追加で屋敷の修繕費もねだってみようかな。


【商人として、出資を求めるのは間違ってはいないと思いますよ?】


 出資なら何かしら将来的なバックがないといけないけどそんなものを与える気はないし、そもそも商人でもないわけで。

 そんな状態で金だけ貰って帰ったらほぼ詐欺師のやり口だよ。

 

「私はこの唯一の願いに、欲望を詰め込んだつもりでおりますので。聞けばきっと驚かれることでしょう」


 実は他所の国の貴族で貴方達の派閥が喉から手が出るほど欲しているユミカを保護している者です、と聞けばきっと驚いてくれるだろう。

 

「なるほど。あれもこれもではなく、一点だけだが困難を吹っかけようということか。面白い、ますます気に入った」


 何がボカジュニ伯爵の琴線に触れたのか理解できないが、なぜか気に入られてしまいました。


【調子に乗ることなく身の程を弁えたうえで、一点豪華主義な願い事で自分を試しに来た若者の生意気さに好感を抱いた、というところでしょうか】

 

 もしそうだとしたらちょろ過ぎるが、なんにせよ面白がっていられるのは今のうちだぜ? ダンディ。

 時間をかける理由もないのでそろそろ正体を明かそうかと考えていると、次のボカジュニ伯爵の言葉で少し風向きが変わる。


「お前は運がいい。今日は他にも客人が来ていてな。生半可な商人では会うことすら叶わぬ地位にあるお方だが、特別に紹介してやろう」


「おや、よろしいので? 自分で言うのもなんですが、二度しか顔を合わせていない若造でございますよ? おやめになったほうがよろしいのではないでしょうか」


 正直、顔を合わせる人間の数は最小限に抑えたい。

 それが偉い人ならなおさら会いたくないのでやんわり断ると、顎髭ダンディはニヤリと笑う。


「構わん。人を見る目には少々自信がある」


 現在進行形で騙されてるよダンディ。

 貴方の目の前にいる男は、貴方に無理難題を吹っかけるために海を渡ってきた隣国の貴族ですよ?

 ちょっと見る目なさ過ぎじゃないですかねえ。

 僕の素性も胸中も知らないボカジュニ伯爵は、返答がないことを怖気付いたとでも判断したのか、余裕の笑みを浮かべたまま言葉を続ける。


「ただし決して粗相はするなよ? 私も未来ある賢い若者の首を刎ねたくないからな」


 横に立つエリクスに視線を向けると、浅く頷いてみせる。

 ここまできたらもう少し商家のドラ息子ムーブを続けろということだろう。

 了解。


「粗相などするつもりはありませんが……一体? いえ、かしこまりました。お供いたします」


 僕の返事に満足げに頷いたボカジュニ伯爵は、ついて来いとばかりに大股で部屋を出て行った。

 

「紹介したい者がおります。入室してもよろしいでしょうか」


「ああ、構わない。少々退屈していたところだ。遠慮などいらないよ」


 連れてこられた先は、おそらく貴賓室的な部屋なのだろう。

 他の部屋とは扉の質感から明らかに違う。

 ボカジュニ伯爵自ら扉を開けると、そこは予想どおり豪華な調度品で揃えられた贅沢を極めた様な部屋だった。


「おや。ボカジュニ伯爵が紹介したいというくらいだから派閥に入りたいどこぞの若い貴族かと思ったけど、違うんだね」


 ソファに座ったままこちらに微笑みかけてきた男性を見た瞬間、ついつい小さくため息が漏れた。

 エリクスもすぐに理解したらしく目を丸くしている。


「ええ。なんでもオラトリオ伯爵領にある商家の跡取りらしいのですが、賢い若者なので支援を検討しております。もしかすると将来的に派閥の力になる可能性もありますので、ご紹介だけ」


 明るい茶色の髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ男。

 歳は、オドルスキやフィルミーと同世代に見える。

 

「へえ、そう。よろしく若い商人さん。僕はヴェロム・ハイバーニ。ハイバーニ公爵家の当主を務めているよ」


 やっぱりね!

 くそっ、なんでこのタイミングで本人が来るかな。

 

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