第703話 走り出す愛妻
ハメスロットは、愛娘を見るような目でエイミーちゃんを愛でていたが、眠りから覚めたとわかるやいなや、『淑女が旦那様の膝で涎を垂らして眠りにつくのは、些かはしたないのでは?』などと爺やの小言を投げかけて屋敷戻って行った。
ほんとに素直じゃないんだから。
エイミーちゃんの成長に感動して涙してたことをバラしたら面白そうだと考えもしたけど、なぜかすごいタイミングで振り向いたハメスロットの鋭い眼光に射抜かれたため、両手を上げて降参のポーズを見せておく。
そこから数日については特筆すべきことのない、本当に魔力を使い切っては倒れ、使い切っては倒れしてただけのあまりにも単調な日々が続いた。
しかし、変化は修行九日目に起きる。
数えるのも馬鹿らしくなった何度目かの昏倒から目覚めたエイミーちゃんがガバッと起き上がると、突然走り出した。
向かった方角は屋敷の西、つまり森だ。
何が何やらさっぱりわからなかったが、流石に愛妻を一人で森に入らせるわけにもいかず、ゴリ丸を喚んで背中に飛び乗り後を追う。
「伯爵様。奥様がすごい速さで走って行ったけど、何があったの?」
裏庭から屋敷の表側に出ると、庭でボークンと日向ぼっこをしていたらしいステムが首を傾げながら尋ねてくる。
何があったかは、僕も知りたいところだ。
「眠りから覚めた途端何も言わず走り出したんだ。放っておくわけにもいかないから追ってくる。ハメスロットとジャンジャックにそう伝えておいてくれ」
「わかった。……私もお供する? ご夫婦二人だけで森に入るとみんな心配するし」
あのステムが気を遣えるようになってまあ。
ただ、別に二人だけで深層やその奥に行こうという訳でもない。
「いや、エイミーを捕まえたらすぐに戻るつもりだ。伝言だけで構わない」
「御意。お気をつけて」
浅く頷くステムと、その横でもふもふの右腕を挙げて見送ってくれるボークンに手を振り、森方向に急ぐ。
僕とエイミーちゃんのフィジカルには確かに埋められない差が存在しているが、ゴリ丸の力を借りればそのフィジカル差を埋めるのは容易だ。
さらには、マジュラスを喚んで愛妻の現在地を探ってもらえばこのとおり。
あっという間にエイミーちゃんの背中を捉えることに成功する。
「エイミー!」
大声で名前を呼ぶと、愛妻が振り向き驚いたような顔をみせたあと、いつもの素敵な笑顔で僕に大きく手を振ってみせた。
「レックス様! ゴリ丸ちゃんとマジュラスちゃんも!」
完全に追いつくと、エイミーちゃんがゴリ丸とマジュラスを労うように抱きしめる。
その表情に疲労は浮かんでおらず、体調が悪いようにも見えないので一安心だ。
「魔力の枯渇で倒れたばかりだというのに何も言わず急に走り出すなんて。心配したぞ?」
ゴリ丸から降り、メッ! とばかりに人差し指で額を弾いてやると、はにかむような笑みを浮かべたあと頭を下げるエイミーちゃん。
「申し訳ございません。居ても立ってもいられず、つい」
「一体何があった? 魔力の放出を繰り返すだけの日々は流石に飽きたか?」
食事の時間以外、太陽が昇って沈むまで二人っきりで魔力垂れ流して、汗かいて、ぶっ倒れるだけの日々を十日近くだ。
飽きた! って言われたら、そうだよね! と返すしかない。
しかし、マイプリティワイフは僕の言葉に激しく首を横に振り、強い否定の意を表した。
「一日中レックス様の側にいることができる環境に飽きるなんてとんでもない! むしろとても幸せな日々です。だって、倒れて目が覚めたら、レックス様に膝枕をしていただいているんですもの」
うっすら頬を赤らめながらため息を吐くエイミーちゃん。
可愛いったらありゃしない。
膝枕は最高の寝具。
おそらくプラティ・ヘッセリンクが紡いだ至高の一言だろう。
これは今度グランパに会った時に伝えるとして。
「ではなぜ急に走り出した? 身体のなまりを解消するために魔獣と戯れたいというなら喜んで付き合うが」
「身体を動かしたいというのが全くないとは申し上げませんが、それが一番の目的ではありません。そう、私の中で何かが変わったように感じたのです」
エイミーちゃんが、確信めいた強い光を瞳に灯して僕を見つめてくる。
何かが変わった、ね。
「具体的には……。いや、それを調べるために駆け出したんだったな」
「仰るとおりです。この機会を逃してはいけないと、頭の中で何かが訴えているような気がして。気付いたら走り出していました」
うん。
第六感って馬鹿にできないからね。
僕もよく脳内で鳴り響く、危険回避を知らせる警鐘には助けられてるし。
【そんな警鐘をただの脳内BGMだと思ってるヘッセリンクって、だーれだ?】
これは簡単。
ずばり僕を除く歴代当主全員だ。
【自信満々なの怖い】
「レックス様」
僕の名前を呼んだエイミーちゃんが、真剣な眼差しで何かを訴えかけるようにこちらを見つめてくる。
可愛い。
いや、ここは真面目な場面か。
「いいだろう。森に入る前にステムには伝言してあるし、帰るのが遅くならなければ家来衆を心配させることもない。何がどう変わったのか。僕にも見せてくれるか?」
僕の言葉を聞いて、弾けるような笑顔で抱きついてくる愛妻。
「承知いたしました。では、魔獣を探しましょう。できれば、より脅威度の高い子を」
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