第326話 天使と先代と先々代

 カナリア公とラスブラン侯がそれぞれの領地に戻って行った。

 そう頻繁に来ることはできないと、グランパとの別れを惜しんでいたけど、温泉の存在を知った途端また近いうちに来ると言っていたので、今頃二人で今後の予定をすりあわせていることだろう。

 ちなみにママンはオーレナングにロングステイ中です。

 ラスブラン侯と顔を合わせた時にはあわや一触即発かと焦ったけど、言葉を交わす代わりにお互いに唇の端を吊り上げて笑い合うという、それはそれで怖いコミュニケーションだけで済ませてくれた。


 地下施設についての取り扱いもヘッセリンク伯爵家的にはひと段落したある日。

 どうしてもグランパ達に挨拶したいとおねだりするユミカに押し負けて、護衛のメアリとクーデルを連れて地下に降りる。

 出迎えてくれたのはグランパとパパン。

 

「はじめまして、先代様! 先々代様! ユミカです! お兄様にはいつもお世話になってます!」


 二人を紹介すると、ユミカの元気な挨拶が地下に響く。

 今の挨拶だけで、澱んだ地下の空気がいくらか浄化されたはずだ。

 

「私を覚えていないのは仕方ないか。しかし、大きくなったなユミカ」


 笑顔のユミカの頭を撫でながら言うパパン。

 そもそもこの天使をヘッセリンクに引き取るという大ファインプレーを決めたのはジーカスさんだったな。

 素晴らしい判断だったと心の中で拍手を送る。


「ジーカス。この子が?」


 一方のグランパは、しげしげとユミカを観察し、小声でパパンに問いかけた。

 

「ええ、そうです」


「なるほど。聞いていたとおりの特徴ですが、まあ、今となってはどうでもいいことですが。初めまして、ユミカ。レックスの祖父、プラティです。元気に挨拶ができて偉い子ですね」


 二人の間でしか通じない会話を経て何かに納得したようなグランパ。

 ようやく笑顔を浮かべて膝をつき、ユミカに目線を合わせて頭を撫でた。

 『炎狂い』が見せた思わぬ優しいおじいちゃんムーブに、僕も護衛二人も息を呑む。


「あのお祖父様が優しい笑顔で褒めた、だと? 流石はユミカだ」


「失礼な反応はやめなさい。いくら私がわがままで享楽的かつ自己中心的な人間でも、初対面の子供に厳しく当たったりしませんよ?」


「そんな人間である自覚があることに驚きました」


 決して胸を張って言えるような人間性ではないはずなのに、グランパが言うとすごく立派に聞こえるから不思議だ。


「自らを正しく把握することは大事なことですからね」


「それでもなお曲げないところが、父上が史上最もヘッセリンクらしいと謳われた所以だ。全てわかったうえでしてのけているからな」


 こうならないようにするには、日々自分の行動を省みる必要があるということですねパパン。

 今日から毎日寝る前に一日の反省をする時間を取ることにしよう。


【見えます。三日坊主になるレックス様が】


 エスパー? 

 

「先々代様はお兄様そっくりなのね! 先代様はヘラお姉様に似ているわ!」


 コマンドとの心温まる交流に興じていると、緊張が解れたユミカがグランパの手を握りながら言う。

 エイミーちゃんにも僕が歳を取ったらグランパみたいになるんじゃないかと言われているので、似ていなくはないんだろう。

 パパンとヘラが似ているのは、表情に出にくいところも含めてかもしれない。


「ふむ。似ていますか?」


 尋ねられたメアリが少し考えたうえで首肯した。


「あー、そうな。親父さんよりもあんたのほうが兄貴とは似てるかもな。特に皮肉げに笑った時とかは完全に身内だなってわかる」


「先代様がヘラ様と似ていらっしゃるというのもそのとおりね。童顔で可愛らしい感じがそっくりです」


 クーデルがそう評すると、グランパが腹を抱えて笑い始める。

 相変わらず笑いのツボが浅いうえに謎だ。

 

「可愛い? これがですか? くっ、はっはっは! これはいい。ジーカス。可愛いなんて評されたのは初めてじゃないですか?」


 息子が可愛いと言われてここまで爆笑できるのも凄いけど、笑われている側も流石のヘッセリンクだった。


「マーシャには毎日可愛いと言われていましたが」


 皮肉でもなんでもなく、事実としての回答に、グランパが笑うのをやめて肩をすくめる。


「マーシャからの評価なんて対象外に決まっているでしょう。あの子はジーカスが禿げようが太ろうが肯定するに決まっているのですから」


「大奥様の先代様への愛の深さは、本当に見習うべき点が多いわ」


 クーデルがまた一つ愛についての学びを得たようだ。

 メアリ、腰が引けてるぞ?

 大丈夫だ兄弟。

 お前の本心を僕たちは正しく把握しているのだから素直になりなさいよ。

 

「先代様。あの、教えて欲しいことがあるの」


 メアリとクーデルの進展を想像して心の中でニヤついていると、ユミカがパパンにおねだりを始める。

 僕なら一も二もなくOKを出すところだけど、パパンは不思議そうな顔でユミカと目線を合わせた。


「私に? ふむ。一応聞こうか。私に教えられることなら教えてやろう」


「本当に!? 嬉しい! あのね、ユミカ、しんたいきょうか魔法が上手に使えないんです。だから教えてください!」


 十歳の女の子のおねだりするものじゃない気がするけど、これもパーフェクトヘッセリンク化計画の一環だ。


「身体強化魔法? なぜそんなものを?」


「ああ。ユミカは最近、家来衆の技術を修得すべく訓練を始めたのです。その一環で身体強化魔法の練習をしているのではないでしょうか」


「うん。ユミカね? 大っきくなったらお義父様みたいに大っきな剣をエイッ! ってやりたいの」


 大剣振り回したいから身体強化魔法を教えてくれとねだる少女に、パパンも困惑気味です。


「そもそもなぜそんな訓練が必要あるんだ。レックス、まさかユミカを魔獣討伐にでも駆り出すつもりか」


 誤解だよパパン。

 僕は全力で止めた側だ。

 失敗したけど。


「あのね、ユミカ。早く大っきくなってヘッセリンク伯爵家に恩返しがしたいの。でも、ユミカは他の兄様達みたいに凄い力はないから。だから今から頑張るの」


 折に触れて繰り返されるユミカの決意表明。

 何度聞いても身体が熱くなるのは、ユミカが混じりっ気なしの本気なのが伝わってくるからだろう。


「とんでもないですね。これが血ですか」


 グランパが若干眉間に皺を寄せながらも感心したように呟き、ユミカを抱き上げた。


「いいでしょう。ジーカス。ユミカ君の望むとおりにしてあげなさい」


「父上? しかし」


 パパンはまだ戸惑っているようだったけど、グランパは反論は許さないとばかりに首を振る。


「こんなに幼い子の想いに応えられないなんて粋じゃありませんよ? どうせ森に魔力を垂れ流す以外暇なんですから構わないでしょう」


「レックス。お前はそれで構わないのか?」


「既にユミカは自らの意思で走り出していますからね。僕には止められません。ユミカを鍛えてやってください」


 走り出したなら最後まで走り切らせてあげるほうがいい。

 僕の回答にグランパが満足げに頷いた。


「そうだ。ユミカ君が地下に降りる時には必ず坊やがついてきなさい。貴方は私が鍛えてあげましょう」


「え、なんで?」


 


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