第784話 持つべきものは友人 ※主人公視点外

 家来衆からの急報が入ったのはまだ夜も明けてない、早朝と呼ぶにもまだ早い時間だった。

 普段は冷静に冷静を重ねたような領軍隊長が、焦りを隠そうともせず寝室の扉を叩き私の名を呼ぶ。

 国内の情勢は落ち着いており、特段騒乱の気配などなかったはず。

 眠気の残る頭を振りながら扉を開けると、領軍隊長がホッとしたような、それでいて泣きそうな顔で状況を知らせてくる。

 曰く、鏖殺将軍襲来、と。

 遥か西から、我が親友にしてレプミア有数の暴れ馬であるジャンジャックが我がサルヴァ子爵領を目掛けて駆けてきているらしい。

 先日無理やりカナリア公爵領に連行したことへの仕返しか? とも思ったが、久しぶりにスバル様と顔を合わせたことは悪くなかったと言っていたし、仕返しにしては時間が空きすぎている。

 そこまで考えて、凡夫がない頭を巡らせてもあの親友の考えなど読めるわけがないと諦めた私は、鏖殺将軍が暴れない限りは一切手出し無用と通達し、再び床についた。


「突然尋ねてきたと思ったら、子供の名付けだと?」


 報告が入った日の昼。

 ジャンのやつは執事服に鞄を背負った姿で我が屋敷にやってきた。

 不眠不休で駆けてきたらしく、髪は乱れ、服もよれているが、その瞳だけは強い光を灯している。

 これはまたヘッセリンク関連で何か起きたかと身構えた私だったが、蓋を開けてみれば子供の名付けを手伝ってほしいときた。


「ええ、可及的速やかに。ただでさえ生まれてもう数日経過してしまっています。できれば今日中にオーレナングに向けて出発したいのでよろしく」


「待て待て待て待て。事情を話せ。いいか? ジャン。端折らずに全てだ」


 何も話していないのに今にも腰を浮かそうとするジャンにそう投げ掛けると、ほんの少し落ち着きを取り戻し、ソファに腰を落ち着ける。


「端折らずも何も、オドルスキさんとオーレナングのメイド長アリスさんの間に子供が生まれたのです。そう。あのオーレナングの天使ユミカさんの妹が!!」


 満面の笑みを浮かべながら再びソファーから立ち上がる親友。

 長い付き合いになるが、こんなにはしゃいだジャンも珍しい。


「わかったから落ち着け。なるほど、子供の誕生というのは祝福されて然るべきだ。それで? それとお前がわざわざ私のところに来たのとどんな関係が?」


「この度、新しい命への名付けを頼まれましてね。両親曰く、私が名前をつけることで強い子供になってほしいと。期待に応えたいのはやまやまですが、これがなかなか難しい」


 言ってはなんだが、両親は正気か? 

 歳を取ったとしてもこいつはあの鏖殺将軍だぞ?

 そのレプミア最高峰の人でなしに、子供の名付けだと?


「久しぶりに星堕しを使いたい気分ですなあ」


 私の表情から言いたいことを悟ったのか、ジャンが窓際に移動して外を見ながら呟く。

 

「やめろ馬鹿者。気分で禁呪を使うやつがどこにいるというのだ」


 ここにいる、と言われたらそうだなとしか答えようはなかったが、ジャンは違う言葉を選択した。


「やめてほしければ協力しなさい」


 まさかの領地と領民を人質に取った大罪人のやり口。

 冗談と本気の境目がわかりづらいのは若い頃からのこの友人の欠点だ。


「まあ、いい。まずはお前の考えた候補を聞かせてみろ。そこからよりいい響きに改めていくぞ」


 抵抗して領地を荒らされては敵わないので建設的な提案をしてみると、ジャンが困ったように眉間に皺を寄せる。

 

「……それが、考えれば考えるほどわからなくなってしまい」


「わかった。皆まで言うな。つまり何も浮かんでいないわけだな? 何をするにしても即断即決独断専行なお前が、今回ばかりはよほど追い込まれているらしい」


 皮肉ではなく心からの驚きを込めてそう言うと、否定することなく素直に頷くジャン。


「情けない限りです。この歳になって子供の名前一つ思い浮かばないとは」


「芸術方面に疎くはないくせに、私を頼らざるを得ないことのほうが私にとっては意外だ」


 鏖殺将軍だなんだと呼ばれてはいるがこの男。

 絵も上手ければ歌も上手い。

 今は披露する機会はないだろうが、若い頃は飲むたびに陽気な歌を聴かせてくれたものだ。

 

「名前は一生物ですからね。絵も歌も自分の好きなように表現できますが、子供の名前を自分勝手に決めていいわけがない」


「では、直感に従ってみろ」


 そんな私の助言がお気に召さなかったらしく、ジャンが不機嫌そうに顔を歪める。


「話を聞いていましたか?」


「聞いていたから言っている。大体、若い頃から直感と腕っ節だけでのし上がってきたお前が、その歳で頭を悩ませて熟考などなんの冗談だ。似合わないことをするな。ほら。両親とユミカのことを思い浮かべながら最初に思い浮かんだ名を口に出してみろ。さあさあ」


 考える間も反論する間も与えないよう一息でそう促すと、諦めたように目を瞑り、暫しの沈黙を経てこう口にした。


「……メロ。メロ、というのはどうでしょう」


 ふむ。

 響きは悪くない。

 

「それを決めるのは私ではないな。さ、気が変わらないうちにさっさとオーレナングに帰れ」


 本当ならせっかく訪ねて来てくれたのだから酒くらい酌み交わしたいところだが、そうもいかないらしい。

 家来衆に用意させた帰りの水と食料を渡すと、ジャンが笑みを浮かべて右手を差し出してきた。


「今回は助かりましたよラッチ。やはり、持つべきものは友人ですね」


 そんな、らしくないことを口にするジャンの手をがっちり握り返す。

 

「調子のいい時ばかり友人扱いしおって。言っておくが、帰り道でごちゃごちゃ考えるんじゃないぞ? やっぱり他にも候補を! などと言って情けない顔を見せたらその横っ面を引っ叩くからな?」

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