第785話 緊張の糸

 十日の休みを認めたはずなのに、その半分程度で帰ってきたジャンジャック。

 蛮族との戦でもそこまで疲弊してなかったよね? とツッコミたくなるほど濃い疲労を浮かべた鏖殺将軍は、少し休めという僕の言葉に首を振り、オドルスキ達のもとに向かう。

 オドルスキは部屋に入ってきた同僚のくたびれた様子に目を見開いたが、何も言わずにすっと頭を下げ、それを受けたジャンジャックも軽く頷きを返す。


「お待たせしてしまいましたね、オドルスキさん。アリスさんにも大変申し訳なく」


「何を仰いますやら! 娘のためにわざわざサルヴァ子爵領まで向かわれたとか。却ってご迷惑をおかけしてしまいました」


 恐縮するように言うオドルスキ。

 ベッドで上半身を起こしたアリスも謝意を示すように頭を下げた。


「それこそ何を仰るやら。お二人の娘の名付けという大役を任されたのですから迷惑なわけがありません。ただ、新しい命への最初の贈り物を任されたと考えたらなかなか思い切ることができず、時間をかけてしまいました」


 バツが悪そうに顔を顰めるジャンジャックだったが、オドルスキは笑顔で首を振る。

 

「問題ありません。家族一同、ジャンジャック様がどんな素晴らしい名前を携えて戻ってこられるか、楽しみに待っておりました」


 そんな夫の言葉に、アリスも深く頷く。


「一切心配はしておりませんでしたよ? だって、ジャンジャックさんは私たちの筆頭様ですから」


「ねえねえお爺様。ユミカの妹ちゃんのお名前、決まったの? 早く聞かせて!」


 ユミカが我慢しきれないとばかりに早く早く! と急かすと、ジャンジャックが目を細めながらその頭を撫でた。


「そうですな。あまり焦らしても仕方ありません。では、無二の親友の協力を得て考えた、この小さな女の子の名前を披露させていただきます」


 そこで一度言葉を切ったジャンジャックは気持ちを落ち着けるように一つ息を吐き、オドルスキ、アリス、ユミカを順に見つめた後、改めて口を開く。


「この子は、メロ。オドルスキさんとアリスさんの子にして、ユミカさんの妹。メロ。いかがですかな?」


 沈黙が部屋を包む。

 反応がないことに不安げな表情を浮かべる爺や。

 しかし、次の瞬間オドルスキによって沈黙が破られた。


「素晴らしい! 素晴らしいですジャンジャック様!!」


「ええ。メロ。美しい響きです。娘に素敵な名前をいただき、ありがとうございます、ジャンジャックさん」


「メロちゃん! お姉ちゃんだよ! ああ、早くお話しできるようにならないかなあ。お姉ちゃんって、早く呼んでほしいなあ」


 オドルスキ一家のリアクションは上々だ。

 なんなら、名前をもらったメロもきゃっきゃと声を上げている。

 しかし、メロか。

 やるじゃないかジャンジャック。

 僕に任されたら、オドルスキとアリスの子だからオドルリスとかアリルスキとか言い出してた可能性は否定できないところだ。

 

【一周回ってセンスを感じます】


 一周回らないとダメな時点でお察しです。

 大仕事を終え、喜びを爆発させる家族を幸せそうに見つめていたジャンジャック。

 しかし、そんな爺やが突然ふらつき膝をついた。

 

「ジャンジャック!?」


 森でも戦場でも、この爺やが膝をついたところなんてほとんど見たことがない。

 何事かと焦って駆け寄ると、心配いらないとばかりに手を差し出し、膝を震わせながらもゆっくりと立ち上がる。


「失礼。情けない話ですが、これまで壊すことしかして参りませんでしたので、小さな命に名前をつけるという行為に想定していたよりも緊張していたようです。皆さんに喜んでいただいたのを見て、その緊張の糸が切れました」


 ホッとして膝から崩れ落ちたってことか?

 可愛いところがあるじゃない。

 

「緊張もあっただろうが、この短時間でオーレナングとサルヴァ子爵領を往復したんだ。どうせ碌に寝ていないのだろう? ユミカ」


 僕が呼びかけると、天使がパタパタと駆け寄ってくる。


「なあに? お兄様」


 首を傾げる姿、百点。

 いや、百二十点。

 そんな可愛いユミカに視線を合わせ、重要な任務を与える。


「ジャンジャックを部屋まで送ってあげてくれ。お前の大好きなお爺様は疲れでフラフラらしいからな。眠るまで一緒にいてあげてほしい」


 鏖殺将軍の寝かしつけ役に任命すると、顔一杯に笑みを浮かべ、ジャンジャックに向き直る。


「御意! 行こうお爺様。手繋いであげるね!」


 拒否権はないとばかりに、小さな手がごつごつとした歴戦の勇士の手を握る。

 もちろんジャンジャックもそれを振り解いたりはせず、優しく握り返した。


「はっはっは。歳は取りたくないと思っていましたが、孫に手を引かれるというのも、存外悪くないものですな」


「とりあえずすぐに眠れ。食事はあとでザロッタに運ばせるから起きたら食べること。認めた休みが明けたら、森に入ってもらわなければ困るからな。頼むから体調など崩してくれるなよ?」


 僕の言葉に頷くと、茶目っけたっぷりにウインクなど返してくるジャンジャック。


「森に入るなと言われる方が体調に支障をきたしますからな。しっかり休み、仕事に備えさせていただきます」

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