第300話 未来のお話3 ※主人公視点外
自分はエリクス。
士官浪人の末、ヘッセリンク伯爵家に拾ってもらって十数年が経過しました。
二度目の氾濫もお嬢様指揮のもと無事に乗り越え、引退されたお師匠様から引き継いだ文官業も過不足なくこなせています。
それになにより、護呪符の完成に一応の目処をつけることができました。
充実。
そう、今の自分はこれまでの人生のなかで最も充実していると言っても過言ではありません。
そのはずだったのに、自分は今、人生のなかで最も追い詰められています。
「フィルミーさん! 助けてください! もう、貴方しか頼れる人がいないんです!」
その日。
自分は家来衆が休憩に使う一室にフィルミーさんの姿を見つけて思わず縋りつきました。
人が増えたとはいえ、今も昔もヘッセリンクで最も頼るべきは、基本的には常識人であるこの人で間違いありません。
しかし、焦りの局地にいる自分を見たフィルミーさんは、なんとも曖昧な笑みを浮かべて首を振ります。
「諦めろエリクス。経験者として言わせてもらえば、逃げ切れるものじゃない」
「そ、そんな……」
絶望的じゃないですか。
フィルミーさんがだめだとすればそれはもう八方塞がりを意味します。
だけど、それでは自分はどうなってしまうのか。
「なあに。流れに身を任せれば悪いことにはならないさ」
そう言って、慰めるように肩を叩いてくれるフィルミーさん。
普段なら頼もしく思うのでしょうが、今の自分にはなんの慰めにもなりません。
「すでに命の危険を感じてるんですが。なぜ自分が伯爵様とオドルスキさんを相手に模擬戦をしないといけないのですか」
「そりゃあ、ユミカがお前に恋してるなんて、公衆の面前でぶち上げたからだろ。よっ! 色男!」
部屋のソファにだらしなくごろ寝していたメアリさんが他人事のように笑い声をあげていますが、あとで殴りましょう。
「笑い事じゃないんですよメアリさん! え、意味がわからない。いや、意味はわかるけどなにがどうなったのか」
ユミカちゃん。
ヘッセリンクの誇る大天使にして、ヘッセリンクの血を引かない正統なヘッセリンク。
その名前は美貌も相まって、今やレプミア中に広まっています。
貴族からの求婚は数知れず。
しかし、そのいずれも伯爵様とオドルスキさんの手によって阻まれているのが現状です。
そんなユミカちゃんが、お嬢様と若の護衛として参加した国都の夜会。
案の定、ユミカちゃんに求婚する男性が殺到したらしいのですが、そこで事件が起きます。
『私はオーレナングの文官、エリクスさんに幼い頃から恋しています。なので、彼以外からの求婚に応えるつもりはありません』
そう宣言したらしいと聞いた時には、ユミカちゃんのために盾になれるなら、ヘッセリンク紳士淑女協定に署名した者として誇らしいとすら思っていたのです。
『ユミカ本気だよ?』
伯爵様やオドルスキさんがいらっしゃる前でそう言われるまでは。
「フィルミーの兄ちゃんが言ったけど諦めろよ。経験者から言わせてもらえば、ヘッセリンクに所属する女に追われたら逃げられねえから」
逃げきれずに捕まった挙句幸せそうにしてる人の言うことには説得力がありますね。
フィルミーさんもどちらかというとイリナさんに追いかけられて最終的には騎士爵に上り詰めたんでした。
頼る人を間違えましたね。
「伯爵様の笑顔を見たでしょう? あんな顔、森の向こうに攻め込む前にしか見たことないですよ!?」
狂人ヘッセリンクの顔を一文官に向けるのはやめていただきたい。
心臓が止まるかと思いましたよ。
あと、鬼の形相というのはこれか! とオドルスキさんの顔で気付かされましたね。
「我が家の大切な天使の一大事だからね。それは力も入るだろう。エリクス、死ぬんじゃないぞ?」
慰めるように肩を抱いてくるフィルミーさん。
それはもう骨は拾ってやると同義じゃないでしょうか。
ああ、オーレナングに神はいないのですか!
「まさか、自分がその対象になるなんて思いもしなかったです……」
「まあ、エリクスは自然体でユミカに接してただけだもんな。結局それがよかったらしいぜ? 国都で鬱陶しくまとわりついてくる男達と違って距離感を間違わないところ? あと、子供の頃からずっと変わらず優しくしてくれたってさ」
それが誤解を多分に含んでます。
距離感は、間違わなかったんじゃなくて間違えるわけにはいかなかった、ですよ。
それに、ユミカちゃんに優しくない人間なんてこの世にいませんからね。
「そのなかでユミカはお前を選んだ。おめでとう、勇者よ。それともなにかな? 僕の可愛い可愛い、目の中に入れても痛くないユミカに好かれて、不満があるのかな?」
いつの間にいらっしゃったのか、僕の命を狙うレックス・ヘッセリンク伯爵ご本人が背後から僕の頭を鷲掴みにしてきました。
「痛い痛い! 痛いです伯爵様!」
振り返ると穏やかな笑みを浮かべていらっしゃいましたが、じゃれているなかにも微量の殺気を感じたのは気のせいではないはず。
相変わらず召喚士とは思えない力です。
「まったく。メアリといいお前といい、なぜ好かれているとわかって逃げ回るのか」
「逃げきれなかった俺のことはいいだろうよ。エリクスが逃げ回ってるのは確実に兄貴とオド兄のせいだからな」
まあ、それもないとは言いません。
なんせ、ユミカちゃんの夫を想像だけで百回殺せると言って憚らない伯爵様と、子離れという言葉を知らない聖騎士様ですよ?
逃げるでしょう、それは。
「おやおや、おかしなことを言う。エリクス……もとい、罪人はヘッセリンク紳士淑女協定に抵触した疑いがある。だから、僕とオドルスキで事情を聞く。それだけさ」
「有罪一択じゃないですか!」
なぜわざわざ罪人と言い直したのですか!
許す気ないでしょう!
そんな不毛なやり取りをする僕達の元に、この争いの原因となっている人物がやってきてしまいます。
ユミカちゃんです。
「あ、エリクス兄様いた! もう、今日は私と森にいってくれる約束だったでしょう?」
うん、今日も可愛いですね。
そう、可愛いのは事実です。
が、その愛らしい天使から好意を寄せられていることを、自分の脳が処理しきれていないから逃げてるのです。
はっきり言って容量を超えてます。
「ユミカちゃん。ああ、そうだった。いや、そうなんだけど。今ちょっと伯爵様と大事なお話中だから」
「ええ!? 楽しみにしてたのに……」
しょんぼりして俯いてしまうユミカちゃん。
あ、これはまずい。
気づいたメアリさんも慌てたように声を上げます。
「ばっか! ユミカ、お前兄貴の前でそれは」
何に気づいたか?
伯爵様から発せられる瘴気ですね。
しかし、気づいた時にはもう遅い、というやつです。
「エリクスよ。僕との話はあとでいいからユミカとの約束を守りなさい。ああ、僕とは夜、酒でも飲みながらじっくりとOHANASHIしようじゃないか」
お父さん、お母さん。
僕は明日の朝日を見ることができるでしょうか。
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