第651話 地獄への入り口

 もう少し進めば中層という場所を散歩しながら襲ってくる魔獣を討伐していると、ダイファンがすっと挙手してみせる。


「伯爵様。もし許すならばオライー様に中層の魔獣を見せて差し上げたいのですが、いかがでしょうか。浅層の魔獣では、オーレナングの真の恐怖を十分に感じることはできないかと」


 自分が楽しみたいだけだろう? とばっさり切って捨てられなかったのは、その表情が真面目に引き締まっていたからだろう。

 ただ、僕もヘッセリンク伯爵として頷けることと頷けないことがある。


「ダイファン殿。流石にそれはいけない。常識的に考えれば、まだ正式に我が家に仕官したわけでもない若者、しかもゲルマニス公の縁者をわざわざ危険地帯に連れて行くなどあり得ないだろう?」


「はて、常識……?」


 昨日今日で一番と言っていいほどダイファンの表情を歪めることに成功した。

 お前が常識を語るのか? とでも言いたげなその問いかけを受けて、メアリに視線を向ける。

 このどうしようもない戦闘狂のおじさんに説明してやってよ兄弟。


「あー、とりあえず兄貴には常識に謝ってもらうとして、言い分自体は正しいんじゃね? 最近は落ち着いてるけど、少し前までここからちょっと進んだ場所まで竜種が出てたからな」


 メアリの説明に、ダイファンの目がギラリと光る。

 

「ほう、竜種が。それはいい」


 普通は竜種なんて聞いたら怯えるところなんだけど、流石はゲルマニス公の護衛さん。

 舌なめずりせんばかりに身を乗り出した。


「ギラギラすんなって。確かにちょい前まで竜種祭りみたいになってたけど、その後は逆にぱったり姿が見えねえんだ」


 つい最近まで竜種が出てたから危ないよと言ったかと思うと、今度はぱったり見なくなったと言うメアリ。

 そんな矛盾する説明に僕とダイファンが首を傾げていると、フィルミーが話を引き継ぐ。


「あまりこういうことは言いたくないのですが、これだけ穏やかな日々が続いたならそろそろ何かしら出てきてもおかしくない。我々はそう警戒しているわけです」


 竜の大量発生後、揺り戻しのように姿を見かけなくなったことで逆に警戒してるってことかな?

 個人的には、元々数の少ない竜種をあれだけの量討伐したら、多少姿が見えなくなってもおかしくないとは思うけど。


「根拠があるわけではないのだろう?」


 ダイファンもフィルミーの説明に完全に納得できなかった様子でそう問い掛ける。

 それに対する我が家の誇る爽やか系斥候さんの回答がこちら。


「ここはオーレナングであり、ここに狂人レックス・ヘッセリンクがいる。それだけでは不足ですか?」


「なるほど、十分だ。反論の余地もない」


 反論の余地しかないだろう。

 おかしなやりとりだと思わないかとメアリ、クーデルに目をやると、二人揃って首を横に振ってみせた。

 

「お前達、それだと僕が騒動の源泉みたいじゃないか。オライー殿の前でそんな冗談は感心しないぞ?」


 せっかく前向きな気持ちで就職試験を受けに来てくれたのに、悪い印象を与えてしまったらどうするんだ。


「ですので、浅層とはいえダイファン殿はもちろんオライー殿も気を緩めないよう注意してください」


 おや、聞こえてないのかな?


「フィルミー? 僕の声は届いているか?」


「はい、もちろん届いておりますよ?」


 ニッコリ笑って首肯するフィルミー。

 すごい。

 雇い主の発言を黙殺した直後に見せていい笑顔じゃないぜ。


「爽やかなら誤魔化せると思うなよ?」


「失礼しました。しかし、繰り返しになりますが万全を期すべきなのは伯爵様の仰るとおりです。なんの兆候もないところからでも突然地獄の入り口が開かれる。それがオーレナングというものですから」


「だそうだ。そんな酷い場所への仕官を希望していると知った心境はいかがかな? オライー殿」


 風通しの良さとか働きやすさとか、セールスポイントは他にもあるんだけど、場所という意味ではフィルミーの言うとおり天国より地獄に近いことは否定しない。

 

「頭ではオーレナングが地獄と隣り合わせであることを理解したつもりでいました。しかし、実際に魔獣の姿や匂いを感じると、足がすくむ思いです」


 正直に怖いと言える素直さは高評価です。

 この年代の男の子が人前で怖いっていうのは勇気がいることだからね。

 

「ただ、ここで戦う皆さんがいるからこそ私達が心穏やかに過ごせているのも事実。兄の期待に応えるためにも、恐怖を理由に逃げ出すような真似はいたしません」


 硬い表情ながらもまっすぐな瞳で僕を見つめてそう言い切ったゲルマニス公爵家の少年。

 なるほど、素晴らしい覚悟だ。

 仕方ない。


「おいで、ミケ、マジュラス」


 召喚獣からちびっ子コンビをチョイスし、オライー君の横に付いてもらう。


「森の真実を少し感じてもらって終わりにしようと思っていたが、オライー殿のそんな覚悟を聞いては半端もできない。予定を変更して中層まで足を伸ばそう」


「おお! 流石はヘッセリンク伯だ!」


「喜ぶなダイファン殿。くれぐれも、きっちり仕事はしてくれ。オライー殿、ここからが本当の森の姿だ。しっかりと目に焼き付けたうえで、我が家への仕官を希望するか改めて検討してほしい」

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