第678話 元常識人と元馬鹿殿様 ※主人公視点外

 同志達とヘッセリンク伯爵領オーレナングに向かうことになったと伝えた時、父は俺にこう言った。

 

『オーレナングで何を得て戻るか。その中身によっては、お前を正式に後継に指名することを検討する』

 

 これまでがこれまでだ。

 家来衆だけでなく、領民達の間でも俺の評判はお世辞にも回復したとは言えない状態なことは俺にもわかっている。

 それなのに、後継への指名を検討?

 訳がわからなかったが、この機会を逃す手はない。

 オーレナングに到着した日の晩餐で、ヘッセリンク伯爵家家来衆との手合わせを希望したのも、父が俺に求める目に見えない何かを手に入れる足掛かりにするため。

 あっさりと認められたことにホッとしながらも、内心で恐怖していたことは認めないといけないだろう。

 鏖殺将軍ジャンジャック、聖騎士オドルスキ、闇蛇のメアリ。

 そして、元アルテミトス侯爵領軍の一員にして、今や竜殺しの異名を取るフィルミー。

 いずれも化け物と呼んで差し支えない面子に喧嘩を売るのだと改めて思い至り、ベッドに入ってからも緊張で何度も目が覚めた。

 そして、外が薄ぼんやりと明るくなり始めた頃には完全に目が冴えてしまったため、仕方なくベッドから起き出し身支度を整え、散歩でもしようと部屋を出る。

 

「おや、ガストン様。お早いですね。昨晩はゆっくりできましたでしょうか?」


 昨日はゆっくり見ることのできなかった屋敷の玄関に置かれている歴代当主方の愛用品を眺めていると、後ろから声を掛けられた。


「ああ。フィルミー……騎士爵」


 俺がつい癖で名前を呼びそうになり、慌てて爵位を付け加えると、可笑しそうに笑うフィルミー。


「あっはっは! 騎士爵など不要です。その肩書きは妻と結婚するための手段として一時的に手に入れたもの。子供も生まれた今となっては形骸化していますから」


 元家来衆はむしろ呼ばないでくれと苦笑いを浮かべるが、そうは言っても今の私はアルテミトス侯爵である父の子供の一人に過ぎず、目の前の男は騎士爵とはいえ貴族の当主だ。

 そう伝えるため口を開こうとすると、俺が言いたいことはわかっているとばかりにゆっくりと首を振ってみせるフィルミー。


「ここオーレナングは、あのヘッセリンク伯爵を捕まえて敬語を使わない家来衆が複数人いる土地です。なんら問題はありませんとも」


 確かにメアリや、昨日の晩挨拶してくれた料理人のマハダビキア殿もヘッセリンク伯に敬語を使ってなかったが……などと考えていると、今の今まで笑っていたフィルミーの顔から表情が抜け落ちた。


「さて。やりましょうか、ガストン様」


 言うやいなや、右の拳を振り抜いてくる。

 

「くっ!」


 起き抜けであることに加え、予想もしていなかった攻撃に身体が上手く反応しなかったが、不細工に床に転がることでなんとか回避に成功した。

 何をするのだと膝をついたまま睨みつけると、狂人の配下となった元家来衆がゆったりとした構えをとりながら見下ろしてくる。


「油断は感心いたしませんよ? ここはオーレナング。一瞬の気の緩みが命を危険に曝してしまいます」


「屋敷のなかで拳を握るとは、正気か!?」


 朝だというのに声が大きくなったが、やむを得ないだろう。

 客人扱いしてほしいなどとは思っていないが、まさかいきなり殴りかかってくるとは。

 

「正気か否かという点につきましてはご心配なく。しっかり正気を保ちながら拳を握っております。さらに申し上げるならば、普段は屋敷の中で殴り合ったりはいたしません」


 正気ならなお悪いが、こんな野蛮なやりとりが普段から行われていないことがわかりホッと胸を撫で下ろす。

 

「それを聞いて安心した。ユミカ嬢や幼い子ども達もいるというのに、家来衆が屋敷内でやりあう環境は、教育に悪過ぎるからな」


 そんな環境で育ったら、どんな修羅が生まれるかわかったものではない。

 そんな俺の言葉を聞いたフィルミーが驚いたように目を丸くしたあと、穏やかな笑みを浮かべた。


「今のお言葉一つとっても、ガストン様が本当に変わられたことがわかります。このフィルミー。元アルテミトス侯爵領軍の一人として心から嬉しく、また頼もしく思います」


 構えを解き、深く頭を下げるフィルミー。

 その姿に込み上げるものがあったが、男たるもの人前で涙を見せるものではない。

 ぐっと堪え、強い視線をフィルミーにぶつける。


「まだ、変わる努力をしているところだ。俺は、あまりにも幼稚過ぎた。神が許してくれるなら、過去を消したいくらいだ」


 これは偽らざる本音だ。

 もしやり直せるなら、父の背中を追ってアルテミトス侯爵家のために生きてみたい。

 そんな、同志達にも伝えていない俺の心の内を真剣な顔で聞いていたフィルミーは、俺の肩にポンッと手を置き、ゆっくりと首を横に振る。


「それは困る。ガストン様に歪むことなくまっすぐに成長されては、私が妻と出逢う機会を失ってしまうではないですか」


「……あの融通の利かない真面目一辺倒の堅物がとんでもないことを言うようになったものだな」


 俺の胸の内を返せと声を張り上げそうになったが、それを許さないとばかりに肩に置いた手にグッと力が込められる。

 

「ガストン様。貴方に振り回された身として一つ無礼を許してくださるなら、年長者として助言させていただいても?」


 そう言われてしまっては、首を縦に振るしかない。

 俺が頷いたのを確認したフィルミーは、空いた肩にも手を置き、正面から俺を見据えて言った。


「変わるのは貴方だけではない。私も含め、周りの人間だって等しく変わる。だから、貴方は人よりも速く、人よりも大きく変わる努力をお続けください。私からは以上です」


 人よりも速く、大きく。

 

「フィルミー……っ!?」


 ありがとう、そしてすまなかったと伝えようとした私の頬の横を、フィルミーの拳が風を切って通り過ぎていく。

 

「油断してはいけないと伝えたはずですが? では、お望みどおり殴り合いましょう」


 ニヤリと男臭く笑うフィルミーに、流れる寸前だった涙が完全に引っ込んだ。


「浸る間くらい与えてくれてもいいのではないかな!?」


 そんな俺の抗議もどこ吹く風。

 我が家の元家来衆は、肩をすくめて慇懃無礼に頭を下げてみせる。


「申し訳ございません。我が主、狂人レックス・ヘッセリンクから指示が出ておりまして。ひらにご容赦ください」


「……出された指示にいい予感がしないのは、気のせいではないのだろうな」


「もちろん。主からは、ガストン様を全力で叩きのめせ、と。では、まいります。お覚悟を」

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