第724話 経験不足を補う手段

 エスパール伯爵領軍の若者ドリンコ。

 狂人だ護国卿だと呼ばれる僕に対して発言を求めるだけの胆力を持つ彼は、口だけではなく年齢不相応な実力を持っているようだ。

 きっと、同世代はもちろん、少し上の世代が相手でも勝利してみせるだろうと感じる程のポテンシャルを感じさせてくれた。

 が、今回ばかりは相手が悪かったと言わざるを得ない。

 今も目の前で悲鳴を上げながら地面を転がり、命からがら紅蓮の弾丸から身を躱している。

 凶悪な火魔法で空気を焦がし、ついでに若者も焦がしてしまおうと企むのは、マイプリティワイフ、エイミー・ヘッセリンク。

 追い込みすぎず、しかし降参する暇も与えない絶妙なタイミングで炎を撃ち出しながら、他所の新兵に檄を飛ばすエイミーちゃん。

 うん、今日も可愛いな。


「あーあ。兄貴のせいだぜ? 大人しく俺かオド兄に遊んでこいって言ってくれたらいいのにさ」


 目の前で展開される奥様のシゴキに顔を顰めたのはメアリ。

 候補にジャンジャックを含めなかったことは評価するけど、あれだけやる気のない顔をされたら指名もしづらいだろう。


「見てみろよ向こうさんの顔。揃いも揃ってもうやめてくれ! って今にも絶叫しそうだろ」


 ドリンコの向こう見ずなムーブに腹を立てていた様子のエスパール領軍の皆さん。

 しかし、今や大多数がもう勘弁してやってくれという視線をこちらに送ってきている。

 

「止めてもいいが……。もう少し様子を見ようか。いや、エイミーの笑顔から言語化できない威圧感を感じたとか、下手に介入してあの炎が飛んでくるのが怖いとかそういうことでは決してないのだが」


 恐らく、ドリンコのとった態度に対してエイミーちゃんは怒っている。

 僕としては若者が熱い思いをぶつけてきたことについてむしろ微笑ましく感じているんだけど、今の愛妻にはそれを口に出せない雰囲気がある。

 そう、まるであの悪名高い炎狂いさんを彷彿とさせるプレッシャー。

 いや、止めようと思えば止められるけどね?

 でも、止めちゃうとエイミーちゃんのストレスとか、色々あるから、ね?

 

「本音がポロリしちゃってるぜ兄貴。まあ、元々のエイミーの姉ちゃんでも余裕で完封してたんだろうけど、今ならなおさらお話にならねえわな」


「先々代様が編み出された修行法を試されたあとの奥様は、別人かと思うほどの成長を見せていらっしゃる。私も気を抜けば一本取られかねないほどに」


 メアリの言葉を受けて、オドルスキが真剣な顔で言う。

 覚醒後のエイミーちゃんは、そのレベルにあるらしい。

 

「ガブリエも同じようなことを言っていたな。本気のエイミーとやりあったらいいとこ五分五分だろうと」


 現在のヘッセリンク腕力ランキング暫定三位のガブリエが白塗りのまま食堂でぐったりしていたので声をかけたら、朝から晩までエイミーちゃんに付き合わされたんだと愚痴りつつもそう教えてくれた。

 

「修行が終わった後、全員エイミーの姉ちゃんに捕まってたけど、そのなかでも一番ガブリエの姉ちゃんが相手させられてたからな」


 そう言いながら遠い目をしたのは自身も相応に捕まっているメアリ。

 エイミーちゃんの最近のお気に入りランキングは、ガブリエ、オドルスキ、ジャンジャック、メアリの順番だろうか。


「誰かの台詞ではないが、全力で振り回しても壊れない相手というのは貴重ということなんだろう」


 見ようによっては、エイミーちゃんが年上のお姉さんであるガブリエに甘えているように見えなくもない。


【節穴かな?】


 恋は盲目、ってね。


「それでもちゃんとぶっ壊れず毎回返り討ちにしてみせるからあの白塗りさんもやっぱりやべえんだよなあ」


「そこは私やオドルスキさんにも言えることですが、こなしてきた現場仕事の数の違いでしょうな。対人という点において、奥様は圧倒的に経験が不足していらっしゃる」


 ジャンジャックが言うとおり、エイミーちゃんは貴族のお嬢さんなのでそんな経験が豊富なわけがなく。

 もちろんカニルーニャ伯爵領軍の訓練に参加したり模擬戦をしたりはしていたらしいけど、現場叩き上げの家来衆達の経験値と比べることはできない。


「だからと言って、その経験不足を補うべく挑んでいるのが、ジャンジャック、オドルスキ、ガブリエ? 我が愛妻ながらどうかしているな」


「エイミーの姉ちゃんも、この世で一番どうかしてる旦那に言われたくねえんじゃねえ?」


 頑張ってくれているガブリエの給料を増やすための財源を捻出するために、失礼ぶっこいてくる可愛い弟分の給料を減らそうと決意していると、天然気味な聖騎士さんがなぜか破顔しながら言う。


「ご夫婦揃ってどうかしているのなら、それは家庭内ではごく普通である、と。そういうことでしょう」


「いや、流石に暴論過ぎるって。ユミカ。あんまり親父の言うこと真に受けるんじゃねえぞ? この世の常識は全部お袋さんから教えてもらえ。な?」


 そんな評価を受けたオドルスキが生意気なと笑いながらメアリの額を小突き、何の話かわからず首を傾げるユミカを抱き上げた。

 まあ、大きな声では言えないけど、常識をアリスから教えてもらったほうがいいというのは僕も両手を上げて賛成です。

 

「とはいうものの、そろそろ止めるとしようか。これ以上愛妻が他所の若者と仲良くしているのを見ていると嫉妬でおかしくなってしまいそうだ」


「下手くそな冗談いいからさっさと止めてやれって。ほら、流石にエスパールのおっさんも心配そうにちらちらこっち見てるから」


 確かにこれ以上はマズイか。

 しかし、ドリンコ。

 いい根性してるね。

 見どころのある若手とはぜひ末長く仲良くさせていただきたいものだ。




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