第725話 育成か、引き抜きか
さてどうやってエイミーちゃんを止めようかと考えていると、エスパール伯が苦い顔で僕に向かって頭を下げてくる。
「家来衆が大変失礼をした。責任をもってきつく叱っておくので、どうかこれ以上は勘弁願いたい」
その言い方だと僕が若者を追い込ませているみたいで大変遺憾です。
【奥様をけしかけたのはレックス様ですが?】
じゃあ僕が悪いか。
人選を誤って未来ある若者を可哀想な目に遭わせているので、お詫びに叱られないようにしてあげよう。
「彼を叱る必要などありません。ドリンコでしたか。あの肝の太さ。実に将来が楽しみだ。オーレナングに連れて帰ってもいいくらいです」
半分本気、半分リップサービスで言うと、エスパール伯が大袈裟に肩をすくめてみせた。
「引き抜きはご遠慮願おう。跳ねっ返りではあるが、レックス・ヘッセリンクに将来性を見込まれた家来衆を手放すのは、いかにも惜しい」
「しまった。こっそり引き抜くべきでしたね」
わざとらしくため息をつく僕を見て、エスパール伯がよく言うと呆れたように笑う。
「まあ、引き抜きは冗談としてもしっかりと彼を育ててあげてください。若手というのは、貴族の未来を支える者ですから」
狂人の家のお墨付きを得た若手に将来性を見出していいのかどうかは議論の余地があるだろうけど、練度の高いエスパール伯爵領軍の皆さんの指導があれば、いい方向に成長してくれるんじゃないだろうか。
「育成という概念など森に投げ捨てて久しかったはずのヘッセリンク伯爵家の当主とは思えない発言だ。いや、狂人の正論とは恐ろしくもあるが、正論は正論か」
育成という概念。
それをどれだけ遠くに投げ捨てられるかを競っていたのは先代までのお話であって、少なくとも僕はまだ大切に保管しているつもりだ。
今後も機会さえあれば若手の積極採用を目指すつもりでいる。
そんな風に二人で話し込んでいる間も、何かがテンポよく爆ぜる音と、若い男の悲鳴が鳴り止むことはなかったのでこれ以上はまずいと判断して慌てて止めに入る。
「エイミー! そこまでだ。戻ってきなさい」
まだまだしごき足りないとばかりに複数の炎を浮かべていたエイミーちゃんが僕の声を受けて不思議そうに首を傾げつつも、拒否することなくこちらに駆けてきた。
「もうよろしいのですか? レックス様。生意気な若者の鼻っ柱は早いうちに折ってあげるべきだと先々代様が仰っていたのですが」
言いそうだ。
なんたって、生意気盛りだったヤングアルテミトスの鼻っ柱をへし折ったのが何を隠そうグランパだったのだから。
夫として、愛妻がグランパナイズされていくのを指を咥えて眺めているわけにもいかないので、グランパからの助言は今後戦闘面以外全て無視するよう申し入れておこう。
「とりあえずこれ以上折る鼻もないだろうが、さて。ドリンコはどうだったかな?」
強引に話題を本筋に戻すと、地面に大の字で倒れこんだまま動かないドリンコを眺めながら浅く頷くエイミーちゃん。
「新兵だと考えれば非常に見どころがあるかと。もちろん現時点では我が家の家来衆に及ぶべくもありませんが、真摯に訓練に取り組めばきっと、一廉の武官に成長することでしょう」
めちゃくちゃ追い込んだ割には意外と高評価だった。
いや、高評価だからあそこまで追い込んだのか。
「だ、そうですよエスパール伯。愛妻のお墨付きです。将来の幹部候補が見つかったこと、お喜び申し上げます」
「今の一連の流れで本当に心折れていなければいいがな……」
折れたのは鼻っ柱だけだと期待しつつ、複雑そうな表情を浮かべるエスパール伯の背中を心配するなとバンバン叩いておく。
「大丈夫でしょう。若者というのは、私達が考えているより逞しいものです。ここから一枚、二枚、三枚と、分厚くなっていくのを楽しんでみてはいかがですか?」
「……そうですな。幸い、愚息に席を譲った後は時間ができる。若い頃を思い出して領軍の訓練に参加するのもいいかもしれない」
出会った経緯が経緯だから忘れそうになるんだけど、このおじ様も元近衛なんだよね。
元当主が訓練に参加することを領軍の皆さんがどう感じるかは、考えないでおこう。
「これは! と思う人材がいたら是非教えてください。すぐに引き抜きにやってまいりますので」
他所に有望な若者あれば、行って引き抜き。
そんな貴族に、私はなりたい。
「それを聞いて教えるわけがないだろう」
でしょうね。
「では、彼らをこれ以上拘束するのも悪いですし、解散を……」
そう言いかけた時。
国境方面から、エスパール伯爵領軍の鎧を身に付けた騎兵が猛スピードで駆け込んできた。
「なんだ! お客様の前だぞ! 控えぬか!」
エスパール伯の厳しい叱責が飛ぶが、それどころじゃないと絶叫するように、兵士が報告する。
「申し訳ございません! ご報告がございます! 北方、アルスヴェル王国にて戦が発生した模様! 詳細は、現在確認中であります!」
おやおや。
隣国で戦か。
身内同士なのか、国同士なのか。
いずれにしても大変だなあなんて考えていると、隣に立つエスパール伯が半眼で僕を見てくる。
「なぜそんな目で私を見るのですかエスパール伯」
「いや、偶然というのは怖いと思っただけで他意はない。詳しい報告を聞こう。総員、追って指示があるまで待機。ヘッセリンク伯。一緒に来ていただこうか」
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