第158話 狂人の本性?? ※主人公視点外

 最悪だ。

 なぜこうなった。

 私は伯爵様が言うところの、イリナとの『常識的』な結婚に向けて宰相様に裁可をいただくために王城に来ていたはず。

 なのに、なぜ、私はエスパール伯爵を殴り倒してしまったのだろうか。

 

 明らかに悪ふざけとしか思えない、悪く言えば悪趣味なクリスウッド公爵家所有の馬車で運ばれ、伯爵様とリスチャード様に連れられて王城の玄関を潜ろうとしたその時だった。

 エスパール伯爵が声をかけてこられたのだ。

 十貴院からの脱退騒ぎもあって、ヘッセリンク伯爵家を目の敵にしていらっしゃるとは聞いていたが、よりによってなぜ今日この日に出遭ってしまうのか。

 当然、声掛けは友好的なものであるはずがなく、貴族云々別にしても人として、大人として品性を欠いていたと言わざるを得ない。

 まあ、無軌道に暴れ回って家来衆が可哀想だと仰った点についてはそのとおりだと心の中で頷いてしまったが。

 しかし、よくもまああれだけ他所の当主に悪し様に絡めるものだと感心していたのだが、そこは我らが伯爵様。

 

「大丈夫ですよ、エスパール伯。安心してください。私は貴方に興味がないのです。なので、そんなに怖がらなくても召喚獣を差し向けたりしませんとも」


 何が大丈夫で何を安心しろと言うのか。

 明らかに、鬱陶しいから絡んでくるな、しつこいようなら一戦交えることも辞さないという意思が乗った言葉と表情だっただろう。

 若い頃は近衛で鳴らし、今では観光によって領地を富ませて北の雄と呼ばれている有名貴族でいらっしゃるのに、うちの伯爵様の十貴院脱退騒動の引き金を引いたことで陛下からお叱りがあったんだとか。

 その怒りがぶり返したのかもしれない。


「脅威度S? ディメンションドラゴンでしたかな? 本当にそんなものがいたのか怪しいものだ。そもそも、魔獣の脅威度はヘッセリンクが設定しているのだから、それ自体の妥当性が乏しいと言わざるを得ない。大方、大半は猫を虎と過大評価し、自らを大きく見せているに決まっておるわ!」


 これは酷い。

 少なくともオーレナングの森に現れる魔獣は、どれも一歩間違えば命を落とす危険性があるし、脅威度Sについては漏れ出る瘴気に当てられただけで冷や汗が止まらないほどだったというのに。

 知らないということは恐ろしいものだ。

 

「闇蛇などという悍ましい、犬畜生にも劣るような者たちを雇い入れている時点で貴殿が貴族を名乗る資格はない!」

 

 それを聞いた瞬間、気づいたら身体が動いていた。

 師匠であるジャンジャック様に常々言われていることがある。

 自分が何かを言われても我慢しろ。

 だが、仲間が傷つけられたなら容赦をするな。 

 そうすれば自分が傷つけられた時、必ず誰かが救いの手を差し伸べてくれる。

 その教えに則ったつもりはないのだが、自然と、明らかに魔力を練り上げ始めた伯爵様より先にエスパール伯爵様との距離を詰め、全力で右の拳を振り抜いていた。

 床に叩きつけられるエスパール伯を見て騒然となる王城玄関。

 ああ、終わった。

 すまないイリナ。

 結婚を許してもらうどころか、貴族家当主に手を挙げた罪で処罰されてしまうだろう。

 しかし、イリナへの罪悪感以外には一切悔いはない。

 メアリ、クーデル、アデルさん、ビーダーさん。

 情報担当の四人に国都屋敷のみんな。

 たとえ、彼らを貶めることを神が許しても、私は絶対に許さない。


「護国卿である私、レックス・ヘッセリンクが命じる。貴様ら、静まれ。そして、今立っている位置から一歩も動くな」


 心の中でイリナに謝罪していると、伯爵様が聞いたことのない声色で周囲の兵士に命じる。

 普段の優しげな、快活な声ではなく、低く、冷たい声だ。

 それだけで、王城を守備する兵士達は動きを止める。

 震えながら膝から崩れ落ちたのは、きっと若い兵士なのだろう。

 

「動くなと言っただろう? 誰が膝をつくことを許した?」


 それすら許さないとばかりの視線を受けて、周りの兵士が膝をついた同僚を力づくで立ち上がらせている。

 これが狂人ヘッセリンクの本性か。

 言葉と身振りだけで、完全にこの場を支配していらっしゃる。

 隣に控えるリスチャード様は表情を消したままだ。

 

「エスパール伯は私の大切な家来衆を汚い言葉で罵り、その名誉を貶めた。本来であれば私自ら断罪するところだが、幸い家来衆の一人、鏖殺将軍ジャンジャックの弟子であるフィルミーにより鉄鎚が下された。ただ、この程度ではまったく足りない」


 息をすることすら忘れたようなエスパール伯爵家の人間にゆっくりと視線を向ける伯爵様。

 武官ですら震えているのだから、その視線に晒された文官は顔を真っ青にして今にも崩れ落ちそうだ。


「鏖殺将軍の弟子……」


「まさか、そんな」


 いや、そんなに怯えなくても、私は貴方達に何かするつもりはないのだが。

 

「フィルミー」


 威圧感と冷たさしかない声で名前を呼ばれる。

 先ほどまで私の婚姻で悪ふざけをしていた人と本当に同一人物か?

 違和感しかないが、本能が膝をつく以外の選択肢を与えなかった。


「エスパール伯に暴行を働いたことについては許されざる蛮行だが、不当に貶められた家来衆の名誉を守ったことは誉めてやる。功罪を相殺し、貴様には当面オーレナングでの謹慎を命じる」


「承知、いたしました」


 ああ、これは伯爵様が私を一時的に逃そうとしているんだと理解した。

 ここにいたら流石に庇いきれないのだろう。

 伯爵様の優しさに、不覚にも涙が出そうになる。


「戻り次第、ジャンジャック、オドルスキ、メアリ、クーデルにエスパール伯爵領に侵攻するよう伝達。貴様は領兵とともにオーレナングの守備に就け」


 優しさはなかった。

 この人は本気でエスパール伯領を陥すつもりのようだ。

 どうする?

 経緯を説明したら、師匠達は本当に侵攻してしまう。


「伯爵様は、どうされるおつもりですか?」


「知れたこと。私もこれからエスパール伯領に向かう。ジャンジャックに伝えろ。急がなければ私一人で北を更地にするぞ、とな」



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