第621話 未来のお話14-2 ※主人公視点外

 ヘッセリンク伯爵家の男性家来衆が円を囲むなか、伯爵様とエリクスの一戦が続いている。

 展開は、エリクス不利。

 いや、相手が伯爵様である限り彼が有利になることなどあり得ないのだが、さらに状況は悪い。

 レックス・ヘッセリンクの得意戦法、無限体力地獄に引き摺り込まれたエリクスは、すでに息が上がり、汗だくになっていた。


「なかなかの体力じゃないか! ただ、僕はまだまだこれからだぞ!?」


「わかっていましたが、本当に底なしですね伯爵様!!」


 疲労を引きずりながらも基本に忠実にかつ丁寧に拳を繰り出すエリクスを、汗一つかいていない伯爵様がいなし続ける。

 

「体力と魔力の量は、家来衆に自慢できる僕の数少ない長所の一つだからな! せっかくだからたっぷり味わってくれ!」


「ご馳走になります!!」


 その応答はまだ余裕があるな? と感じたが、顔色を見るとそうではないことは一目瞭然。

 デミケルや文官組は、そんなエリクスを救うべく飛び出す寸前だが、ジャンジャック様に牽制されて動けないでいる。


「ああ、遠慮などいらないぞ! じっくり楽しもうじゃないか『ヘッセリンクの頭脳』よ!!」


 濃緑の森の中で両腕を大きく広げ、唇の端を吊り上げて笑うレックス・ヘッセリンク。

 

「おい、誰だよ森に魔王連れてきたの」


 メアリが天を仰ぐが、気持ちはわかる。

 

「さしずめエリクスはお姫様を救う勇者の立ち位置だな。可哀想に。あの魔王は世界最強だ」


「可哀想ってのはフィルミーの兄ちゃんの言うとおりだけど、少し違うわ。なんせ迫ったのはお姫様の方なのに、なぜか魔王に襲われてるんだからよ」


 確かに。

 お姫様に求婚されたら魔王と男親と亡霊王が敵に回るなんて、理不尽極まりない。

 

「エリクスは間違いなく世界で最も殴り合いが上手い文官ではあるが、相手が悪すぎる」


「文官の評価項目にそんな項目ねえよ」


 そんなやり取りの間にも激しい攻防が繰り広げられたが、ついにエリクスの両腕がだらんと垂れ下がる。

 疲労で構えを取ることができなくなったらしい。

 

「よく頑張ったが、これで終いだ! 沈め、エリクス!!」


 獰猛な笑みを浮かべてそう叫んだ伯爵様が助走の体勢に入り、力強い踏み切りと同時にエリクスに向かって高く跳ぶ。

 必殺の体当たりだ。

 この場にいる全員が、エリクスが弾け飛んで勝負ありだと思っていたが、勇者の目は死んでいなかった。

 動きを止めていたエリクスが目を見開き、飛びかかってきた伯爵様をガッチリと受けとめる。


「……この瞬間を、待っていましたよ? 伯爵様!」


「な!? お前、まさか!」

 

 焦ったように体を捩る伯爵様だったが、筆頭文官の必死の拘束を抜け出せない。

 そして。


「うおおおおおお!!!」


 狂ったような咆哮をあげたヘッセリンクの頭脳が、狂人レックス・ヘッセリンクを力任せに地面に叩きつけた。


「うっわ、やりやがった! っておい、兄貴、大丈夫か!?」


「水魔法の準備! 急げ! こんなことで伯爵様が怪我なんて洒落にならねえ!!」


 あまりに予想外の光景に見守るほとんどが息を呑むなか、メアリとデミケルがいち早く動き出した。

 が、そんな中堅組をジャンジャック様が呆れたように止める。


「落ち着きなさい二人とも。レックス・ヘッセリンクがあの程度で怪我を負うわけないでしょう。ほら、見てみなさい」


 地面に大の字で倒れていた伯爵様がヒョイっと軽い身のこなしで立ちあがり、服の汚れを落としたあと満面の笑みでエリクスに拍手を送った。

 

「やはり、そう甘くはありませんか。流石は伯爵様です」


「まさか僕の必殺の体当たりを返してくるとは、素晴らしい成長だエリクス。心底驚いたぞ?」


 伯爵様の称賛を受けたエリクスが、弱々しく微笑む。


「覚えていらっしゃいますか? 昔、伯爵様にカナリア公爵領へ修業に連れて行っていただいたことがあります」


 奥様を抱き抱えていられる時間を延ばすためだなんだというおかしな理由だったあれか。

 それを聞いたイリナに膝に乗られたのが懐かしい。

 伯爵様も覚えていらっしゃるようで、うんうんと頷いてみせる。


「忘れるわけがないだろう。あれはちょうどシャビエル達が生まれる前だった。それがどうかしたか?」


「あの時に行われた模擬戦で、伯爵様が今と同じように先代のサルヴァ子爵様に体当たりを仕掛けられたのです。そして、自分がしたように受け止め、放り投げられました」


 横に立つメアリがああ! と声を上げ、伯爵様もぽんっと手を打ってみせる。

 どうやら本当にあったことらしい。


「蜘蛛の糸のような細い細い勝ち筋があるとしたらそれだと思い、実際上手くハマったと思ったのですが……。四十路を過ぎた雇い主が丈夫すぎる!!」


「はっはっは! 丈夫でないとヘッセリンク伯爵なんてやってられないのさ」


 伯爵様の朗らかな笑い声を聞いたエリクスが悔しげに顔を顰め、髪を掻き回したあと再び拳を構えた。


「おやおや。その構えは、まだ降参しないということでいいのかな?」


「それはそうです。可能な限り速やかに伯爵様を倒し、お義父さんに娘さんをくださいと頭を下げなければなりませんので。降参している暇などありません」


 しばしの睨み合い。

 先に動いたのは伯爵様だった。

 

「オドルスキ」


「はっ。御前に」


 名前を呼ばれたオドルスキ殿が滑らかな動きで進み出て片膝をつく。


「勇者殿がお前をご指名だ。男親の力、存分に見せてやれ」


「……御意」


 オドルスキ殿との短いやり取りを終えた伯爵様がエリクスに歩み寄り、その胸をドンッと叩く。


「このレックス・ヘッセリンクから一本取ったんだ。そこらの有象無象くらいからはまあ、ユミカを守ってやれるだろう。だがまだ油断するな。次の相手は怒れる男親だ。気張れよ?」




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