第495話 過去のお話6-1 ※主人公視点外

 ありゃあ俺がまだ駆け出しの若造の頃だ。

 ロソネラの船乗り連中といえば、レプミア中の裏街で知らねえやつはモグリだって言われるくれえには名が通ってた。

 ジジイになって思い返せば、家の力を自分のもんだと勘違いして恥ずかしいことばっかりやってた気がする。

 いや、もちろんお天道様やロソネラの親分に顔向けできねえことはやってねえさ。

 ただ、ガキの頃は何の根拠もなく無駄に威張り散らしてたと言われりゃ、反論せず大人しく反省するくれえにはイキがってた。


「ジャルティクに渡りたいのですが、船を貸してもらえますか?」


 そいつは突然やって来やがった。

 長い黒髪を一つに括った派手な赤いローブをまとった細身の男。

 ニコニコと人を警戒させない笑みを浮かべながら港にやってきた男は、当時現役だった俺の親父に歩み寄るとそう切り出した。


「寝言は寝て言え」


 たまに現れる頭のおかしい輩だと判断した親父がしっしっと手を振ると、男は心外だと言わんばかりに首を振り、懐から書状を差し出した。


「本気ですよ? はい、こちら。ロソネラ公からの紹介状です」


 胡散臭そうにそれを受け取り、ざっと目を通した親父が眉間に皺を寄せる。


「……本物だな。てめえ、何者だ」


「聞かない方がいいですよ? 私はただこっそりとジャルティクに渡りたいだけの旅人。それでいいでしょう」


 絶対に口には出さねえが、ロソネラの荒くれ者達を束ねる親父を尊敬している俺は、男の態度に一瞬で頭に血が上って詰め寄った。


「てめえ、親父に生意気いってんじゃあねえぞあっ!?」


 最後まで言い終わる前に男の拳が腹にめり込む。

 今まで食らったことのない一撃に耐えきれず、情けなくも膝から崩れ落ちちまった。

 

「ああ、申し訳ない。うるさかったのでついつい。繰り返しになりますが、何も聞かない方がいい。ね?」


 霞む目で男を見上げると、ニヤリ、と唇を歪めている。

 その笑みに思わず悲鳴を漏らした俺を庇うよう、親父が前に立った。


「親分からの指示なことはわかった。が、俺達も伊達や酔狂でやべえ橋渡ってるわけじゃねえ。いくら親分の知り合いでも素性の知れねえ相手のために身体は張れねえな」


「まったく、ロソネラ公の仰ったとおり頑固者なようですね。いいでしょう。これからも定期的にお世話になるつもりですから名乗っておきますか。私はプラティ・ヘッセリンク。レプミアの西に住む田舎者です。よろしく、船乗りさん」


 豪胆でちょっとやそっとじゃ動じない親父の顔色が変わるのを、その時初めて見たね。

 もちろん悪い方に変わったんだが。


「ヘッセリンクだと……? おいおい、よりによってそうくるかい。うちの倅が失礼をした。このとおりだ」


 俺や一家の若い衆が見ている前で深々と頭を下げる親父。

 そこまでする必要があるほどのやばい相手だってことを、後で知らされて死ぬほど殴られたのを今でも覚えてる。


「いえいえ。尊敬するお父上に私が無礼を働いたのですから。で? 協力はしていただけるのですか?」


 気にしてないというような男の態度に緊張を緩めた親父が、慎重に言葉を選ぶ。


「協力はしてえ。だが、今は時期が悪い。ジャルティクのアホどもがロソネラの船を狙ってうろついてやがるんだ」


 海に線引きなんてありゃしねえからジャルティクの漁船とかち合うことなんてざらにある。

 お互い荒くれ者だったりするが、その時は事故を避けるために譲り合うってのが常識だ。

 なのに、その頃はジャルティク側から来る船がレプミアの船にちょっかいを出すようになってやがった。

 いや、はっきり攻撃してきてたと言ってもいいだろう。

 実際沈められた船だってあったくらいだ。

 仁義を切って最低限の武装しかしてねえこっちとしてはやられっぱなしの状況に、俺を含めた若え衆は痺れを切らしかけてたな。

 そんな状況だったから、親父も男を刺激しねえようにやんわりとジャルティクに行くのは難しいと、そう伝えたわけだ。

 だが、その男が聞いたのは別のこと。


「その船はオラトリオ伯爵家のものではありませんよね?」


「ああ。オラトリオんとこはうちの親分と兄弟分だからな。取り締まってくれちゃいるんだが、アホどもが次から次へと湧いてきやがる」


 ジャルティクで信用できるのはオラトリオだけ。

 これは今も昔も変わらねえ。

 男はそれを聞いて頷くと、一切の気負いを見せずこう言い切った。


「わかりました。なら沈めてしまいましょう」


「あ? なんだって?」


 俺に学がねえから理解できなかったのかと思ったが、親父にもわからなかったらしく、間の抜けた表情で聞き返してたな。


「邪魔なんでしょう? ついでなので、あなた達の仕事がしやすいようまとめて沈めてあげます。心配いりません。私は強いですよ? よろしければ試してみますか」


 言うやいなや、男の身体から炎が吹き上がる。

 地面はもちろん空まで焦がしちまいそうな熱。

 親父の側近の兄さん方が身につけたナイフに手を伸ばそうとすると、それを鋭い声で止めた。

 

「下がれてめえら!! 俺がいいって言うまで絶対動くなよ? この手合いは、やるっつったら本当にやる」


 それを聞いた男は感心したように頷き、親父に向かってパチパチと拍手を送った。


「素晴らしい。私の炎を見てもなお刃に手を伸ばしたあなた達も、それをしっかりと止めてみせたあなたも。許すようならオーレナングに連れて帰りたいくらいです。気に入りました。片手間じゃなく、本格的にあなた達のお仕事のお手伝いをしてあげましょう」

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