第494話 船と炎の看板

 今回はお忍び遠征なのでいつもの濃緑の外套は身につけず、全員で地味な灰色を纏って南に向かう。

 僕は大人しくしておけばどこにでもいる三十路男だから顔を出して歩いているけど、メアリにはフードで顔を隠してもらった。

 うちの弟分ったら綺麗すぎて人目に付きやすいからね。

 オドルスキもその身体のサイズで目立ちはするけど、こちらは隠しようがないので敢えて顔もフルオープンにしている。

 

 ロソネラ領への旅は、前回同様順調だった。

 南に行けば行くほどロソネラ公の影響下にある貴族領が多く、それらの領地にはしっかり街道が整備されている。

 領地間の往来をスムーズにするため、ロソネラ公爵家が資金援助しているらしい。

 街道には定期的に衛兵の詰所もあるため、ロソネラ領最南端の港町まで一切足止めもなく到着することができた。

 レプミアは今日も平和だ。


 偽名で宿を取ったあと、まず着手したのはグランパの助言に従い、船に炎の装飾がある看板を掲げた魚屋を探すこと。


「兄貴、見つけたぜ。船の看板に炎の装飾のある魚屋」


 散歩がてらにユミカを連れて外出したメアリが速攻で見つけて来ました。

 嘘だろ?

 いや、別に隠れて営業している非合法の店じゃないから探せば見つかるか。

 グランパの友達だから裏街とかにあるのかと思ってたけど、魚屋だもんね。


「すごいの! お店にたくさんお魚が並んでて、どれもすごく美味しそうだったよ!」


 お魚大好きユミカ様が目をキラキラさせながら僕の腕にしがみついてくる。

 

「そうかそうか。ジャルティクでの用事が終わったらまたたくさん買って帰ろう。ロソネラ公爵領の干物は絶品だからな」


「うん! お義母様へのお土産にしたい! いいでしょう? お義父様」


「もちろんだ。他にも目ぼしいものがあれば買って帰ってやるとしよう」


 可愛い娘のおねだりに相好を崩すオドルスキ。

 その幸せいっぱいの光景に僕もエリクスも自然と頬が緩んでしまう。

 守りたい、天使の笑顔。

 やはりこの機会にきっちりジャルティク側とは話をつけるべきだろう。


「すまない。聞きたいことがあるのだが」


 宿からほど近い場所に建っていたその店は、確かに船の看板に炎の装飾が施されていた。

 いや、後から追加したであろう炎の装飾がデカ過ぎて、燃え盛る炎に船が突っ込んで行ってる風に見える。

 間違いない。

 ここだ。

 店番は、愛想のいい小柄な老婆だった。


「いらっしゃい。おや、さっきのお嬢ちゃん達じゃないか。見ない顔だから旅の途中かい? なら日持ちがするのがいいねえ」


 こちらの話を聞かずに、旅の人ならおまけしなきゃねえと呟きながら干物を見繕い始める。

 

「ああ、済まないが今日は魚を買いに来たわけじゃないんだ。プラティ・ヘッセリンクという名に覚えはあるか?」


「……。何者だい?」


 え、やだ、怖い。

 一瞬前までニコニコしながら干物を選んでいたはずの老婆が、笑顔を消してドスの効いた低音で誰何してきたら心臓もキュッとなるというものだ。


「おっと、そう警戒しないでくれ。私はレックス・ヘッセリンク。『炎狂い』プラティ・ヘッセリンクの孫と言えばわかってもらえるかな?」


 伝わるかわからないけど、コマンドに保管しておいてもらった濃緑に金塊の外套を見せながら身分を明かす。

 老婆は厳しい目で外套に触れ、生地の質感や金塊の縁取りを確認したあと、納得したように頷いた。

 どうやらちゃんと身分証明になったらしい。


「じゃあ、あんたが今のヘッセリンク伯爵様かい? 確かにプラティさんに似てるねえ。ちょっと待っておくれよ? あんた! あんたちょっと!!」


 プラティさんときたか。

 さてはグランパ。

 ジャルティクに寄る前にこの港町界隈でヤンチャしてたな?

 

「なんだ店先で大きな声出しやがって。またジャルティクの馬鹿貴族でも来やがっ、……プラティの叔父貴!?」


 不機嫌さを隠そうともせず店の奥から出て来たのは、堅気に見えない鋭い眼光と日に焼けた浅黒い肌が目を引く、長身痩躯の老人。

 その老人が僕の顔を見るなりプラティの叔父貴と叫んで腰を抜かしたようにへたり込む。

 

「いや、似てるがそんなわけねえか。叔父貴はとっくにくたばっちまってらあな」


「ご老人、僕はそんなに祖父と似ているかな?」


 首を振りながら自分に言い聞かせる老人に改めてヘッセリンクの外套を示すと、こちらも外套を検分したあと納得したように地面にどっかりと座り込む。


「プラティの叔父貴を祖父と呼ぶってことは、あんたが当代のヘッセリンク伯爵様かい。ああ、よく似てる。生き写しって言っても過言じゃねえや」


 言われないこともない。

 というか、上の世代のおじさま方にはパパンよりもグランパに似てるとよく言われるからね。

 自分ではあそこまで意地悪く笑ってるつもりはないんだけど。


「雰囲気までそっくりじゃねえか。顔一杯笑ってるはずなのに、どこか危なっかしい、逆らっちゃいけねえ圧力振り撒いてるとこなんて特にな」


 初対面の老人から下されたあまりの評価に、ついつい弟分に真実を確認せずにはいられない。


「メアリ、僕はそんなか?」


「俺に聞くなって。こちとら年がら年中あんたに張り付いててとっくにおかしくなってんだ。圧力なんて感じねえよ」


 それじゃあ圧力がない証明にはつながらないじゃないか。

 オドルスキ、エリクスも笑うんじゃない。

 ユミカ、お兄様は圧力すごいよ! は褒め言葉じゃないから人前で言っちゃいけないよ?


「上がんな。お忍びなんだろう?」


 くいっと親指で店の奥を指す老人。

 いちいち仕草が絵になるね。

 断る理由もないので遠慮なくお邪魔させてもらうと、老婆がお茶を用意してくれていた。


「あんたみたいな大人物が正規の手続き踏んで来たなら嫌でも情報くらい入るんだよ。ついこないだ来た時みてえにな。それがねえってことは、伯爵様としてロソネラに入って来てねえってこった」


 へえ、グランパのお友達だからただの船乗りや魚屋さんじゃないとは思ってたけど。

 同業者のトップで独自のネットワークとかを持ってるのかもしれない。


「ご明察。ちょっと力を貸してほしくてな。祖父からも、南方でなにかあれば船に炎をあしらった看板を掲げた魚屋を頼れ、と」


 さもそんな遺言があったかのように話しているが、もちろん聞いたのはつい最近だ。

 しかし、グランパが故人だと信じて疑わない老人は感動の面持ちで目に涙を浮かべている。


「……そうかい。叔父貴はくたばってもまだ俺みたいな荒くれもんを頼ってくれてるんだな。若、目的地はジャルティクかい?」


「若!? いや、まあいいが。そうだ。可能な限り人知れずジャルティクに渡りたい。力を貸してくれるだろうか」


「野暮なこと聞くなよ若。俺達ロソネラの船乗りは受けた恩を忘れねえ。プラティの叔父貴に受けた恩、若に返させてもらうぜ」

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