第663話 お小遣いの使い道

 会談を終えたその夜。

 ゲルマニス公爵邸にある広いホールのような部屋に集まったのは、ゲルマニス公爵家の皆さん。

 奥様はもちろん、お子様やご兄弟、さらにはゲルマニス公のお父様にお母様方まで。

 そう、お父様。

 つまりは先代ゲルマニス公爵だ。

 挨拶をさせてもらうと、末の息子をくれぐれも頼むと深々と頭を下げられた。

 想像していたよりも腰が低いのは、女性陣から放たれる言語化し難い圧力の影響もあるだろう。

 個人的にこのおじ様に思うところはないので、万事お任せをと請け負うと、ほっとしたような表情でもう一度頭を下げる先代様。

 オライー君が親父さんにも愛されていることがわかって一安心だ。

 お茶会で先に顔を合わせていたエイミーちゃんに先代以外のゲルマニス公爵家の皆さんを紹介してもらい、ひと通り挨拶を済ませたところで宴が始まった。

 ここからは、僕の愛妻のターン。

 宴開始の合図と同時に解き放たれたエイミーちゃんが、会場に用意された食事を片っぱしから食らい尽くしていく。

 誤解してほしくないのは、マイプリティワイフは決して下品に食い散らかしたりしないということだ。

 あくまでも上品かつ清楚に、しかしてマナーの範囲を逸脱しないギリギリの速度で皿の上の料理を胃袋に収めていくのがエイミーちゃん流。

 その姿を初めて見るゲルマニス側の人々が、食事も会話も忘れてしばし見入っていたのも無理はない。

 それほど圧巻の光景だったのだから。

 

「これは聞きしに勝るな」


 エイミーちゃんの神々しいまでの食べっぷりに釘付けになっていたゲルマニス公がようやく再起動して呟く。

 流石は僕の可愛いエイミーちゃん。

 貴族の中の貴族たるゲルマニス公の想像を軽々と超えていくなんて鼻が高い。


「ふむ。今日もたくさん食べるエイミーは美しい。女神とはきっとこんな姿形をしているのでしょう。そう思いませんか、ゲルマニス公」


 否定されることなどはなから想定していないような僕の問いかけを受けたゲルマニス公が、苦笑いを浮かべながらバンッ! と背中を叩いてくる。

 これがカナリア公やアルテミトス侯なら生死の境を彷徨うところだけど、腕力系貴族ではないゲルマニス公からのアタックなのでほぼノーダメだ。


「この状況で堂々と惚気るなと言いたいところだが、オーレナングの女神を満腹にさせることができたことは光栄と言っておこうか」


 オーレナングの女神。

 その呼称に反論の余地は一切ないが、強いてさらに一歩踏み込むならば、レックス・ヘッセリンクの女神だろうか。

 いずれにしても愛妻を素敵に表現してくださったお礼に、僕の女神の真実を披露してさしあげよう。


「うちのエイミーの本気はこんなものではありませんよ?」


 エイミーちゃんがあれくらいで満腹なんてとんでもない!

 そう伝えると、ゲルマニス公の表情が僅かに歪む。


「……本来の食料庫だけではなく、臨時で広めの客室一つがパンパンになるほど食材を買い込んできたのだが」


「こちら代金です。お納めください」


 コマンドに保管してもらっていた硬貨でパンパンの袋を取り出して差し出す。

 もちろんラスブラン侯からもらったお小遣いだ。

 派手な服を仕立てるくらいならエイミーちゃんのご飯の一部にあてた方がいいからね。


「ずいぶん準備がいいな」


「祖父からもらった小遣いです」


「三十を超えて小遣いをもらっているのか? 俺が口を挟むことではないが、いかがなものかと思うぞ?」


 しっかりしろよ若いの、とでも言いたげな表情のゲルマニス公に、慌てて言い訳を繰り出す。

 

「いやいや。私は何度もいらないと言っているのですが、聞こえないとばかりに送ってくださるのですよ」


 ゲルマニス公はラスブラン侯の為人から僕の言い訳が真実だと判断したらしい。

 深々とため息をつきながら、相変わらず変人だなあの爺さんはと呟きつつ袋を押し返してきた。

 

「とりあえずこれを受け取るのはやめておこう。孫に渡した小遣いがゲルマニスに流れたことがばれて、ラスブラン侯がヘソを曲げても困る」


 バレないでしょ、と言い切れないのがラスブラン侯の恐ろしさだったりするので、素直にもう一度しまっておくことにする。


「では、竜種の肉が手に入ったら、王城より優先してゲルマニス公爵家に送らせていただきます」


「それは嬉しいが、とりあえずゲルマニスを優先したから送る量が減ったなどと王城に伝えないと約束してもらおうか」


 一番面白そうなアクションが封じられてしまいました。

 流石はゲルマニス公、抜かりなし。


「カナリア公やラスブラン侯でもあるまいし、そんな悪ふざけはしませんとも」


 そんなライトなやりとりをしながらご家族とも歓談することしばし。

 相当量の料理を胃に収めたらしいエイミーちゃんが、僕と目が合った瞬間満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。


「やあ、楽しんでいただいているかな?」


「はい。全てのお料理が素晴らしくて、年甲斐もなくはしゃいでしまいました」


 ゲルマニス公の問いかけにほんのり頬を染めながら恥ずかしげに答えるエイミーちゃん。

 可愛い。


「ヘッセリンク伯爵夫人からお褒めの言葉をいただいたと厨房の人間に伝えておこう。きっと喜ぶはずだからな」


「初めて見る料理が多かったのですが、ゲルマニス公爵領の郷土料理なのでしょうか」


 レシピを教えてもらえるならマハダビキアに再現してもらいたい料理も複数あったくらいだ。

 

「最近俺が北の料理を好んでいてな。昨年エスパール伯爵領で食べて気に入ったものを再現させてみた。若干香辛料の癖があるかもしれないが、これがやみつきになる」


「ほう、北の料理でしたか。個人的には全く癖や違和感がありませんでしたね。妻の言うとおり、どれも素晴らしい味です」


 北の方の料理なら、エスパール伯に聞いたらレシピを教えてもらえるかもしれないな。

 

「普段から竜種や魔獣の肉を食べ慣れているレックス殿を満足させられるなら我が家の料理人達も捨てたものではないな。気分がいいから賞与でも検討するか」


「よければお使いください」


 家来衆へのボーナスと聞いては黙っていられないと再び小遣い袋を取り出したが、呆れたように首を横に振るゲルマニス公。


「その小遣いは受け取れないと言っただろう。そうだな、最近洒落っけが出てきたようだから、服の一着でも仕立ててみてはどうかな?」

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