第178話 ちょび髭と天使 ※主人公視点以外

 なぜこうなったのか。

 いや、わかっている。

 悪いのは私だということも、原因はくだらない嫉妬だということも。

 伯爵の名を継ぐにあたり、父からは口を酸っぱくしてヘッセリンクには関わるなと、確かにそう言われていた。

 ヘッセリンクにまつわる噂の半分も事実ではないことも、当然理解はしている。

 しかし、それでもあの男を無視することなどなぜできようか。

 十貴員の席次は我がエスパール伯爵家が七。

 ヘッセリンク伯爵家が九。

 その差はわずか二。

 あってないような差だというのに、あの若造は次代の国王たる王太子殿下に、早々と右腕に指名されたという。

 それを聞いた私の胸中には焦りが渦巻いた。

 しかも、あの闇蛇の残党を引き入れている事実を掴むに至っては、焦りに恐怖が加わる。

 さらに、手塩にかけて育てた愚息が、その怨敵ヘッセリンクに憧れ、オーレナングで勤めたいなどと嘯いているらしいと聞いては、ヘッセリンクを敵視する以外にできることがあっただろうか。

 まあ、その後の有り様は、思い返しても目も当てられない惨状だ。

 カナリア公からは、厳しい沙汰も覚悟するよう言われている。


 魔獣の森からヘッセリンクの屋敷に戻ることができた日。

 食事を掻き込んだ瞬間、不覚にも涙が出そうになった。

 生きている。

 あそこは、地獄だ。

 なぜあのような巨大な竜を前に笑っていられるのか。

 考えても答えは出ない。

 明日早々に出立し、国都に向かおう。

 そう考え、もうオーレナングに来ることもないだろうと、最後に屋敷の中を見て回ることにした。

 ヘッセリンク伯曰く、常識的に過ごすなら好きにして構わないと。

 誰が常識を語ってくれているのかとも思ったが、今の私にそれを言う資格はない。


「これは……歴代の当主の私物、か」


 屋敷のエントランスに併設された博物館のようなスペースで、飾り物にしても大袈裟すぎるサイズの槍や、悪ふざけとしか思えない派手なローブを眺めていると、誰かがホールに入ってきた。

 どうやら子供のようだ。

 一人は、可愛いらしい女児。

 そしてもう一人は、私に悪夢を刻んだヘッセリンク伯の人型召喚獣マジュラス殿だった。

 

「あ……、お客さまだよ、マジュラスちゃん!」


「ん? おお、エスパール伯爵様ではないか。ご機嫌ようなのじゃ」


 二人はこちらに気付くと、小走り的近づいてきた。

 召喚獣に至っては気軽に挨拶などしてくるではないか。

 お陰様でご機嫌は最悪だ。

 

「ええっと、私はユミカです! ヘッセリンク伯爵様の家来衆をしてます」


 恐怖で混乱する私に、女児が元気よく頭を下げた。

 この幼い子供がヘッセリンク伯の家来衆?

 まさか、この女児も召喚獣なのか!?

 いや、隣に立つマジュラス殿から感じるような威圧感はない。

 おそらく人間、なはずだ。


「そ、そうか。私は、リンギオ・エスパールという。よろしく、お嬢さん」


 ぎこちなく挨拶を返すと、女児……ユミカ嬢は満面の笑みを浮かべた。


「はい! リンギオおじ様」


「り、リンギオおじ様!?」


「エスパール伯、なにか?」


 予想外の呼び方に思わず声が裏返ったが、マジュラス殿の視線に貫かれて頭が冷えた。

 この子供に擬態した何かが起こした先日の光景を忘れることはできていない。

 

「いやいやいやいや!構わないのだが、なかなか心臓の強いお嬢さんだな。それで、何かな?」


「リンギオおじ様は、どこか痛いのかしら。ユミカは心配」


 無造作に近づいてくるユミカ嬢に緊張を隠せなかったが、なんと、私の手をキュッと握りながら潤んだ目で見上げてくるではないか。

 

「いいや、特段痛いところはないが……」


「そうなの? すごく元気がないみたい。ご飯は食べた? マハダビキアおじさまのご飯は世界一だって、お兄……ヘッセリンク伯爵様が言ってたわ!」


 どうやら、気落ちしていることを雰囲気で察したこの子は、私を励ますつもりらしい。

 きっと、優しい子なのだろう。


「ああ。先程いただいたが、とても美味しかった」

 

 なぜか胸が温かくなるのを感じながら、ぎこちない笑顔を作って見せる。

 すると、唐突にポケットを探り始め、小さい手を差し出してきた。


「おじさまのご飯を食べたのに、それでも元気がないのね? じゃあ、はい! これあげる」


 彼女の手に乗っていたのは、赤い球体。


「これは? 飴玉のようだが」


「うん! いい子でいるとヘッセリンク伯爵様がくれるの。お義父様達には内緒だよって。とても美味しいのよ? よさん? をごまかしていい材料を揃えたって言ってたわ」


 とんでもないことを言い出すユミカ嬢。

 子供のために予算をごまかして飴玉の材料を揃えるだと?

 この一粒にどれだけの金を注ぎ込んだというのか。


「何をやっとるのだあの男は……。こほん。これはお嬢さんが食べなさい。おじさんは、悪いことをしてヘッセリンク伯に叱られてしまってね。だから元気がないように見えるのかもしれない」


 言葉にすると情けなさが込み上げてくる。

 しかし、初対面の大人のそんな言葉にも、目の前の女児の笑顔が崩れることはなかった。


「そうなの? じゃあ、ユミカが一緒に謝りに行ってあげる! 行きましょう、リンギオおじ様!」


 それどころか、強引に手を繋いで奥に連れて行こうとするではないか。

 

「ままま、待ってくれお嬢さん。大人同士の話なのでな? そう簡単に許してもらえるものでは」


 子供相手に何をしているのだ私は。

 だが、なぜかこの女児には強く抵抗できないでいる。

 もちろんマジュラス殿も怖い。

 怖いが、それが原因ではない気がしてならない。


「でも、お兄様はこの間もさいしょう様に叱られたから謝って許してもらったって言ってたわ? さいしょう様は大人の方よね? その前もエイミー姉様……奥様や執事のお爺さま達に叱られて謝ってらっしゃったし。大丈夫、許していただけるわ!」


 本当に何をやっているのだあの若造は!

 

「説得力が凄いのじゃ。のう、エスパール伯。今の貴殿は、先日までの薄っぺらい意地が消えているように見える。まあ、心が折れたとも言うのだろうが」


 私の心を折った原因の一人がそう分析するが、まさしくそのとおりだ。

 心が折れるとは、まさに今の私の状態を指すのだろう。

 意地もプライドも、今の私には価値のないものだ。


「謝れば万事解決とはならないじゃろうが、それでも何かしら起きるかもしれんぞ?」


 マジュラス殿の言葉に、私は首を横に振った。


「流石にそこまで甘くはないだろう。相手はあの狂人ヘッセリンク伯だ。しかも、陛下のお言葉を無視してのことだからな」


「ふむ。個人的には先日エスパール伯に若干悪戯した節もあるのでヒントをあげるのじゃ。もし謝る気になれば、その時は必ずこのユミカお姉様を連れて謝りに行くのじゃ。そうすれば、悪いことにはならん。約束するのじゃ」


 肉体的にも精神的にも疲れているからだろうか。

 はたまたユミカ嬢の無垢な優しさに触れたからだろうか。

 マジュラス殿の言うことに従ったわけではないが、なぜか謝罪に行くことを受け入れてしまった。


「……わかった。では明日の朝、国都に向かう前にヘッセリンク伯に謝罪することにしよう」


 マジュラス殿はその決断に満足そうに頷くと、ユミカ嬢の手を握る。


「ユミカお姉様。リンギオおじ様が主に謝りに行く時、一緒に付いて行ってあげてほしいのじゃ」


「明日でいいの? わかったわ。リンギオおじ様、明日お食事が終わる頃にここで待ってるね!」

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