第320話 二つ名

「マーシャ、痩せたのではないか? ちゃんと食べているか?」


 たっぷりと時間をかけて抱きしめ合った後、パパンが心配そうな表情でママンの頬に手を添える。

 表情筋が長期休暇中のはずなのに、ママンを前にするとこんなに表情豊かになるのか。


「あら、痩せてなどいませんよ? レックス殿が定期的に魔獣のお肉を届けてくださいますから食べ過ぎないよう気をつけているくらいです」


 ママンには国都を守ってもらってるし、元闇蛇の構成員達の面倒も見てもらってるからね。

 たまに獲れる竜種の肉なんかは優先的に国都に送るようにしている。


「何を言う。もっと食べてもいいくらいだ。少し太った君もきっと美しいだろう」


 真剣に驚いた顔をする父と、それを見て楽しそうに笑う母。

 

「ジーカス様ったら。相変わらず口説き上手なのですね」


 母の言葉を受けて、パパンは視線を合わせながら手を取る。

 その表情はグランパの火球を紙一重で避けている時のように真剣だ。


「初めて逢ったあの日。死ぬまで君を口説き続けると決めた。まさか、死んだ後までマーシャを口説くことができるなど夢にも思わなかった」


「ジーカス様を連れて行ってしまった神を恨みましたが、この瞬間だけは感謝しないといけませんね」


 再びの抱擁。

 そんな感動のシーンを目の当たりにしつつ、パパンの口から紡がれ続けるキラーワードの数々を心のメモに速記しながら、僕はグランパを羽交い締めにしていた。


「お祖父様、いい場面なので落ち着いてください!」


 雰囲気を壊さないように小声で釘を刺すと、グランパも暴れながら小声で返してくる。


「離してくださいレックス。恋する息子の顔など見ていられるモノではありません」


 ジタバタと暴れるグランパ。

 信じられるかい?

 この人、いい雰囲気の息子夫婦に向かって火の球投げ付けようとしてたんだぜ?


「それを言うなら僕だってそうです。両親が抱き合って至近距離で見つめ合う場面など、どうしたらいいのか」


 まあ、グランパの気持ちもわからないでもない。

 他人のイチャイチャならまだ見てられるけど、グランパから見たら息子夫婦、僕から見たら両親の抱擁シーンだから。

 身内のそれを直視するのは正直きつい。

 

「だから、とりあえず二人を引き剥がすためにジーカスを狙撃しようというのですよ」


「手段!」


 だからの使い方が間違ってますよ。

 とりあえず、この場をセッティングした者としては茶化して終わらせるわけにはいかないので、二人が納得するまで僕がグランパを抑え込むしかない。


「……外野がうるさいな。マーシャ、父と息子が私たちの仲に嫉妬しているようだ。ずっと抱きしめていたいが残念ながらこのくらいにしておこう」


「ふふっ、そうですね。久しぶりのジーカス様の腕の中、幸せでした」


 流石に僕達が暴れているのに気づいたパパンがイケメン台詞とともに母に口付けして抱擁を解くと、ママンも優しい微笑みを浮かべてその腕をとった。

 幸せそうでなによりです。


「レックス」


 お説教ならこの息子夫婦を狙撃することも辞さない構えだった頭のおかしいお祖父様にお願いしたい。

 そう思って身構えていると、意外にも優しい笑顔続行のパパン。


「よくマーシャを連れてきてくれた。礼を言う。まあ、父上達と共謀して隠していたことは業腹だがな」


 チクリと言われてしまったが、そこはサプライズ企画なので許してほしい。


「事前に知らせてしまっては感動が薄れてしまうでしょう? 私なりの親孝行のつもりだったのですが」


「おかしなことを。どんな状況でもマーシャと再会するのに感動が薄れるわけがないだろう」


 こんなに全編惚気続けられるような人だった?

 噂では、鉄仮面的表情筋全休系ヘッセリンクだったはずなのに、ママンと再会してからここまでずっと惚気オンリーなんだけど。

 聞いてた話と違うという視線をグランパに送ると、眉間に皺を寄せて首を横に振られてしまった。


「そんな顔をされても困りますね。貴方は知らないでしょうが、昔からマーシャが絡んだ時のジーカスは正常な判断を欠く傾向にあるんですよ」


 なるほど、理解はできる。

 僕もエイミーちゃんが絡むとついつい愛が暴走しがちだからね。


【レックス様は奥様が絡まなくても暴走しがちですが?】


 しーっ。

 大事なところだから静かに。


「『巨人槍』と恐れられた父上がここまでになるとは」


 コマンドを制しつつため息をついた僕に、祖父が言う。


「若い頃は無口でつっけんどんでとっつきにくくて仕方ないところから『無言槍』と呼ばれていたんですよ? それがマーシャと出会ってからは喋ること喋ること。無言でなくなってしまったから『巨人槍』に変わっていったんです」


「母上が父上の二つ名を変えさせた、と。愛とは偉大なものですね」


 愛を知り、無言でなくなる、無言槍。

 

「レックスもお嫁さんの影響で二つ名が変わるかもしれませんよ? 『狂人』、でしたか? 史上最もヘッセリンクを体現し、家の異名をそのまま個人の二つ名としているレックスですからね。行き着くところは、『狂王』あたりですか」


 面白そうにそんなことを言われるが、もちろん肯定できるわけもなく。

 そもそも『狂人』は僕の二つ名ではないですよ?

 

「やめてください縁起でもない。二つ名とはいえ王を称するなど不遜すぎます。何より私は『狂人』と呼ばれることを認めておりません」


「今さらでしょう。ああ、お嫁さんの方に二つ名がつく可能性もありますね。なんと言ってもオーレナングに常駐する初めてのヘッセリンク伯爵夫人ですから」


「エイミーに? それなら『女神』以外ないでしょう」


 美女神、優女神、食女神。

 とにかく女神が付くなら個人的には受け入れよう。


「親が親なら子も子ですね。レックスが『狂王』なら、さしづめあの子は『狂妃』でしょう」


 うん、不採用。

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