第263話 森の向こう

「なあ、兄貴。あの灰色の奥って何があるんだろうな」


 ある暑い日。

 エリクスと一緒に報告書作成などの事務仕事を進めていると、それをソファーでだらけながら見ていたメアリがふとそんなことを呟く。

 

「灰色? 深層の奥のあれか? さあ、考えたこともないが。常識的に考えれば国があって人が住んでるのだと思うが」


 この世が平坦で、端っこは滝になってて行き過ぎたら落っこちる、なんてことがなければだけど。

 

「いやさ。エリクスがユミカに聞かれたらしいんだよ。東にはブルヘージュがある。北や南にも国がある。じゃあ、西は? 森の向こうには何があるの? ってさ」


 北はエスパール伯爵が、南はロソネラ公爵がそれぞれ窓口になって友好関係を築いているし、つい最近仲直りしたばかりの東はベルギニア伯爵が一層の関係深耕を図ってくれるだろう。

 東西南北のうち、東南北は問題ない。

 そうなってくると、西はどうなんだい? と聞きたくなるのは当然の流れか。

 しかも、森の西になにかが、万が一国家があるとしたら。

 国境を接しているのは我がヘッセリンク家だ。


「エリクスはなんと答えたんだ?」


「自分も教師として嘘はつけませんから。わからない、と。より正確には、伯爵様同様考えたこともない、ですが」


 レプミアのブラックボックスだからね、魔獣の森。

 エリクス曰く、深層だけじゃなく浅層や中層にも手付かずの謎が長年放置されているらしい。

 慢性的な人手不足に悩む我が家に、その謎を解き明かせとは国も言ってきていない。

 藪を突いて蛇が出る可能性もあるし、放置して困ることも起きていないので個人的にはそれでいいと思う。


「爺さんやハメス爺にも聞いたけど、やっぱり考えたこともねえってさ。不思議なもんだよな」


 考えても無駄だからなあ。

 あの森を踏破したいなんて考えるのは、よっぽどの夢想家か、無敵の力を持つ勇者様か。

 とにかく普通の人間は森の向こうなんてないと、無意識で思い込んでるんじゃないだろうか。


「深層の奥、か。……ふむ」


 とは言うものの、この地を任された伯爵たるもの、思い込みだけで済ますのはよくないか? なんて考えていると、その様子を見たメアリが慌てたよう立ち上がった。


「あ、違う違う! 行ってみようぜ! とかそんなんじゃねえんだよ。ヘッセリンクの当主だけに伝わる森の向こうの情報とかあるのかなと思ってただけで」


「そうです伯爵様。なので真剣に探索を検討しないでくださいお願いします」


 メアリに続いて早口で捲し立てるエリクス。

 心配しなくてもそんな危なそうなこと考えてないから。

 君たち二人の前で父親としてヤンチャは控えると誓ったよね?


「これまで歴代のヘッセリンク伯爵が誰一人森の向こうを目指さなかったのだからな。わざわざそれをする必要がなかったということなんじゃないか?」


 歴代のヘッセリンク伯爵が共通して持っていないもの。

 それが野心だ。

 なので、森の向こうに思いを馳せたりしないし、ましてやまだ見ぬ地を目指して侵攻しようだなんてことにはならないわけですよ。


「まあ実際そうなんだろうなあ。なんなら灰色のとこだって入るようになったの最近だし」


「ほぼ手付かずの謎だらけの場所だ。本来なら学者でも連れて行って色々調べたほうがいいんだろうが……」


 学者さんを連れて行っていい場所じゃないからな、あのグレーゾーン。

 ブラックボックスなのにグレーゾーンだってさ、ははっ。


【わーお。切れ味鋭い】


 今のは我ながら恥ずかしかったからそっとしておいてほしい。

 

「好き好んであんな危険地帯に行きたがる学者なんてエリクスだけだろ。見ろよこれ。森に入るためにはまだ足りない! とか言って鍛えまくってるんだぜ?」


 メアリがエリクスの上着をめくると、うっすらと腹筋が割れてきているのがわかった。

 ちゃんと言いつけを守って睡眠は取ってるみたいだし、仕事も滞ってないけど、お前はどこを目指してるんだと言いたい。

 

「これはこれは。ひょろひょろで頼りなかったエリクスが懐かしいな」


 そう言うと、まだ満足してないとばかりに首を振るエリクス。

 

「実際、自分にはまだ足りないものばかりですから。努力の質次第で比較的手に入りやすいのが筋力なので、メラニアさんに指導を仰いでそちらから着手しています」


 隣国の最高戦力がトレーナーについてるのか。

 我が家の家来衆に比べ、メラニアが人として常識的な範疇にいることを考えれば正しい選択だな。


「別にいいんだけどさ。ユミカに効率のいい筋肉の付け方とか講義するなよ?」


「大丈夫ですよ。ユミカちゃんに筋力をつける訓練はまだ早いですからね。今は皆さんが考えた修行で得られる自然な負荷で充分でしょう」


 小さい頃から筋肉つけ過ぎるといけないって聞くしね。

 しかし、ムキムキマッチョなユミカなんてそんな。


「……筋骨隆々のユミカ、か。うん、天使だな」


「ええ、天使ですね」


 結局どんなユミカも天使だった。

 僕の中でそこはもう揺るがない事実。

 エリクスも同意してくれたのでがっちりと握手して微笑み合った。

 

「ユミカならなんでもいいって思想、今すぐなんとかしてもらえるかね? 我が家の人間の悪癖だぜ? ユミカに必要以上の筋肉なんて必要ねえから」


 悪癖だと?

 ユミカを愛で、成長を見守ることこそ我々ヘッセリンクの使命だ。

 ただ、このメアリの指摘にも一理あるとは思うわけで。


「なるほど、メアリの言うとおりだな。なぜならユミカに戦うための筋力など必要ないのだから」


「っ! 確かに」


 息を呑むエリクス。

 

「盲点だった! じゃねえんだよ。ああ、まあいいや。直らねえから悪癖なんだもんな」


 匙を投げるのが早いこと早いこと。

 エリクスも冗談でやってるので半笑いだ。

 若手はいい雰囲気で仲良くやってるらしく安心した。

 

「まあ、ユミカはオドルスキよろしく大剣を振り回したいらしいからな。本当にそれを目指すなら筋力は必須だろう」


「大剣をぶん回すユミカねえ。実現したら演劇の題材になりそうな浪漫溢れる話だな。ま、現実では流石に厳しいだろ」




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